『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

生活の場面@居場所ハウス

写真は、岩手県大船渡市の「居場所ハウス」で少し前に見かけた場面です。この場面を見て、「生活の場面」という表現が頭をよぎりました。

手前の女性は、梅を販売するため、重さを測ってビニル袋に入れる作業をしています。梅は地域の方が持って来てくださったもの。
テーブルでは男性、女性の2人がクルミ剥き。その隣で座っている男性。さらにその奥で立ち話をしている人。

この場面からは次のように多くのことが伺えます。
・梅、クルミという季節の食にまつわる行為がなされている。
・梅、むいたクルミを販売して、「居場所ハウス」の収益にすると言うように、生計に関わる行為がなされている。
・年代、性別など属性が異なる人がいる。
・作業をしながら時々会話が行われているものの、みなが同じことをして過ごしているのではなく、それぞれが別のことをしながら、「居場所ハウス」という場所に居合わせている。

「生活の場面」とはこういうことをいうのではないかと感じました。
ワシントンDCのIbashoは8理念の1つとして「あくまでも「ふつう」を実現すること」(Normalcy)掲げていますが、「ふつう」が現れた場面だと言えるかもしれません。

そして、これを反対にすると次のようになります。
・地域の季節と関わりがない(全国一律である)。
・生計とは切り離されたサービスの利用者としての関わり。
・対象とする人の属性が同じ
・みなが同じ活動に参加する

これがもしかすると施設ということになるのかもしれません。