『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

千里ニュータウン「ひがしまち街角広場」の運営終了に向けて

千里ニュータウン新千里東町の「ひがしまち街角広場」は、近隣センターの空き店舗を活用して、2001年9月30日にオープンしました。オープンから間もなく19年となります。最初の半年間は豊中市の社会実験として補助を受け運営されていましたが、その後は補助を受けない「自主運営」として、住民ボランティアにより運営が継続されてきました。

19年の運営を通して、高齢者が日常に立ち寄ったり集まったりできる場所として、学校帰りの子どもたちが水を飲みに立ち寄れる場所として、様々な地域活動のグループを生み出す場所として、地域において大きな役割を担ってきました。
しかし、運営場所として活用してきた近隣センターが再開発されるのに伴い、間もなく運営を終了することが決まっています。

2020年9月18日(金)の夕方、日々の運営を中心的に担っているスタッフのほぼ全員が参加する会議が開かれ、運営終了に向けての話し合いがもたれました。
会議では、おおよそ次のような手順で運営が終了することが確認されました。

2021年春:現在の体制での運営を終了

新しい近隣センターの完成に伴い、2021年春の時点で、東町会館(集会所)と郵便局を除く全ての店舗が新しい近隣センターに移転する予定となっています。
このタイミングで、「ひがしまち街角広場」は現在の体制での運営を終了することが確認されました。

2021年春〜2022年夏:現在の空き店舗を活用した運営継続・実験的な試み

2021年春の時点で、店舗が新しい近隣センターに移転します。この時点では新しい地区会館はまだ完成していないため、新しい地区会館に入居する東町会館(集会所)と郵便局は、現在の近隣センターに残ることになります。そして、新しい地区会館が完成する2022年夏に、東町会館(集会所)と郵便局が移転します。

「ひがしまち街角広場」も2022年夏まで現在の近隣センターの空き店舗に残ることが認められてます。そこで、1週間のうち数日は「ひがしまち街角広場」のスタッフの有志の何人かで、「ひがしまち街角広場」(のような場所)としての運営を継続すること、残りの日は、何かやりたいという人が実験的な試みができるように、空き店舗を貸し出すことが確認されました。
この1年間の試みが、どこかに新たな場所を確保する助走期間になればという意見もありました。ただし、場所を確保できる保障は今のところはありません。

先日の会議では、この期間の家賃をどう負担するのか、テーブルや椅子などの家具、冷蔵庫やエアコンなどの電化製品をどの時点で撤去・廃棄するのかなどが話し合われました。

なお、「ひがしまち街角広場」が2022年夏まで現在の近隣センターの空き店舗に残ることが認められたのは、「ひがしまち街角広場」に出入りする人々が、近隣センターの再開発に伴って行き場所がなくなるブランクを作らないようにすることが配慮されたから。つまり、この配慮には、新しい地区会館に「ひがしまち街角広場」を継承するカフェが計画されることがセットになっていました。過去形で書いたのは、この配慮が再開発のプロセスにおいて必ずしも継承されていないからです。

2022年夏以降:現在の空き店舗の完全閉鎖

2022年夏に、新しい地区会館が完成し、現在の近隣センターに残っていた東町会館(集会所)と郵便局が移転。これによって、現在の近隣センターは完全に閉鎖され、跡地には分譲マンションが建設されることになります。

「ひがしまち街角広場」の空き店舗も完全に閉鎖となりますが、この時点で「ひがしまち街角広場」に関わってきた人々、1年間の実験的な試みに参加していた人々がどうなるかは未定です。新しい場所を確保することができず、この時点で本当に解散という可能性もあります。

新しい地区会館に開かれるカフェが、「ひがしまち街角広場」を(一部でも)継承する場所となり、スタッフや来訪者だった人々も関わったり、出入りしたりすることになればという希望もないわけではありません。しかし、地域自治協議会のカフェ・プロジェクトのメンバーはインターネットの手段によってのみ募集されており、40〜50代の住民が中心。そのこともあり、「若い人向けのカフェには自分たち高齢者が行っても居心地が悪いだろう」、「私たちはもうここまでと違う?」という話も先日の会議では出されました。
その一方で、地域自治協議会のカフェ・プロジェクトではカフェのテーブルやカウンター、テイクアウト用の小窓などハード的なことを議論しているだけで、どういう場所を目指して、どういう運営をするかが話し合われているわけではない。そうだとすれば、「ひがしまち街角広場」がどういう場所にするかについて積極的に働きかけることはできないか。例えば、週の何日かを若い人が運営するカフェに、週の何日かを「ひがしまち街角広場」のような場所にするというように、日替わりの場所にする可能性はないだろうかという前向きな意見も出されました。


新しい地区会館のカフェがどうなるかは見通しが立たないこともあり、次のような意見も出されました。

  • 「ひがしまち街角広場」はこれまで地区会館とは別に運営してきた。近隣センターの再開発で、地区会館の枠に入ってでしか運営できなくなるという状況自体が問題ではないか。
  • 屋外にテントを張って、テーブルを並べて「ひがしまち街角広場」のような場所を開けないか。
  • 府営住宅でも、C棟(UR新千里東町団地)で開かれている「街かどデイハウス千里」(街デイ千里)や、他の地域の府営住宅で開かれている「ふれあいリビング」のような場所を作れないか。
  • 行き場所をなくす人がいる、小学校内のコミュニティ・ルーム内の鍵を預かる場所がなくなるなど、「ひがしまち街角広場」がなくなると地域にこのような影響があるという声をどんどん挙げていく必要がある。

先日の会議では以上のようなことが話し合われました。まだまだ議論しなければならないことは多いため、今後も定期的に会議を開くということになりました。
先日の会議に参加させていただき、次のようなことも感じました。

「ひがしまち街角広場」では、2001年9月のオープンから2011年5月までAさんという女性が代表をつとめておられました。「ひがしまち街角広場」をどのようにするかはAさんの考えが反映された部分が大きく、それは「ひがしまち街角広場」にも継承されています。
その反面、Aさんがいるからこそ「ひがしまち街角広場」が成立しているのではないかという意見も出されていたのは事実です。しかし、代表が交代してから既に9年以上も運営が継続されています。先日のスタッフ会議では、それぞれのスタッフが長年にわたって運営を担ってこられた経験を背景として、それぞれの考えや思いを発言されていました。その光景を見て、このスタッフの方々が(スタッフを担当した期間に違いはあるものの)「ひがしまち街角広場」を支えてこられたのだという当たり前のことに改めて気づかされました。それぞれのスタッフによって考えが異なる部分はありますが、それも含めて、「ひがしまち街角広場」のメンバーであるとお互いに認識し合っておられることもわかりました。
「ひがしまち街角広場」の解散は残念な出来事ですが、このようにして築かれた関係を何とか継承するかたちにつながればと思います。

「ひがしまち街角広場」に初めて訪れたのは2004年の春。その後、調査をしたり*1)、千里ニュータウンでの地域活動のために訪れたりと、これまで「ひがしまち街角広場」との関わらせていただいてきました。地域外から来ているにも関わらず、先日の重要なスタッフ会議に参加させていただいたことを感謝していますし、何らかのかたちで還元することができれば、そのためにはどのような協力ができるだろうかと考えています。


  • 1)今回の出来事は研究という行為についても色々なことを考えさせられます。これまでも、今でも多くの先進事例や、上手くいっている事例の研究が行われてきました(自分自身もそのような研究を行ってきました)。「ひがしまち街角広場」に対しても先進事例として、上手くいっている事例として多くの研究が行われてきました。
    研究には、情報が得られた場所しか調査しにくい、既に運営を終了した場所の調査はしにくいという限界があるため、研究対象が先進事例、上手くいっている事例に集中してしまうのはやむを得ないのかもしれません。しかし、長い間関係を継続させていただければ、場所の様々な姿が目に入ってくる。中には上手くいっていない側面があることも目に入ってくる。研究者は客観的な視点を持つ必要があるため長く関係を継続することについては色々な意見があると思います。しかし結果として長く関係を継続できたとすれば、そのような者が担える役割はあると考えています。それが研究なのか、研究者なのかと言われると反論できませんし、研究者は良い論文を書いて広く社会に成果を還元するのだという意見ももっともです。しかし、そのような迷いも抱きつつ、何か協力できないかという思いを抑圧することも不自然な振る舞いのようにも感じます。