東日本大震災から5年。大船渡市末崎町では小学校校庭の山岸仮設、中学校校庭の平林仮設が6月末で閉鎖されることになっています。県営の災害公営住宅(55戸)への入居も5月末から始まり、両仮設からは転居が進んでいます。
個人的なことですが、先日、山岸仮設からの転居を行いました。山岸仮設で暮らして3年弱。その間、住民の方々、支援員の方々にはいろいろお世話になりました。そして、色々なことを教わりました。
山岸仮設で教わったことの1つは、仮設住宅の入居期間は決して空白の期間でないということ。仮設住宅は被災者が暮らす仮の住まいであることはもちろん。住戸自体も永住できるようには建設されていません。けれども、仮設住宅での暮らしは決して仮のものではないということ。入居者の方から、「仮設住宅も懐かしい」、「仮設住宅から人が減っていくのは寂しい」と聞いたこともあります。
山岸仮設では様々な活動・イベントが行われてきました。入居していた3年の間にいくつもの活動・イベントに参加させていただき、楽しい時間を過ごさせていただきました。「被災者だからって、いつもしょんぼりしてるわけではない」という言葉も聞きました。このように様々な活動・イベントを行っていることに対して、「そんなに多くの活動・イベントを行ったら、仮設住宅が居心地よくなり、入居者の自立を妨げるんじゃないか」という意見もあったとのこと。しかし、少なくとも山岸仮設においては、この意見は妥当ではないと言えます。
復興においては、仮設住宅を解消することが目指されます。もちろん仮設住宅が解消されることは良いこと。しかし、仮設住宅も暮らしの場であることは事実であり、そこでの暮らしを空白期間と捉えてはならないのだと思います。また、以下にも関わりますが、仮設住宅では地域を越えた出会い、つながりが生まれる場であったことも事実です。
教わったことの2つ目は、地域を越えたつながりの大切さ。
集会所の壁には、山岸仮設で行ってきた活動・イベントの写真がずらっと貼られていました。これらの写真は入居者にとっての思い出のアルバムになると同時に、地域を越えたつながりを大切にするために展示されていたもの。山岸仮設に支援などでやって来た人が、再びやって来た時、自分の写真が写っているのを見たらきっと嬉しいと思うから、とのこと。
東日本大震災後、今まで東北に来たことがない方も含めて、多くの方が支援に来てくださいました。このような人々との地域を越えた出会い、つながりが生まれたことは、これから地域にとって大きな財産になると思います。
3つ目は、入居者が減少していく中でも、活動を継続することの意味。
山岸仮設では毎朝、集会所前でラジオ体操が行われてきました。入居者の移転とともに徐々に参加者は減少し、最近では多くても4〜5人であり、少ない時は2人という日もあったようですが、それでもラジオ体操は毎日継続されてきました(今でも継続されています)。
東日本大震災から5年が経過しましたが、まだ多くの方が仮設住宅で暮らしています。そして、いつ仮設住宅がなくなるのかについて、現時点では目処は立っていません。しかし、いずれは無くなってしまうのが仮設住宅という暮らしの場。仮設住宅では入居が始まった時から、入居者が徐々に減少していく中で、それでも、そこでの暮らしをどうやって大切にし続けるかという経験をされてきたのだと思います。
仮設住宅が経験してきたことは、これから日本中が経験することに通じる気がします。つまり、人口が減少していく中で、どうやって地域での暮らしを大切にし続けるかという課題です。
こうした大きな課題に対して答えを持ち合わせているわけではありませんが、山岸仮設から教わったことを振り返れば、規模を縮小しつつも活動を続けていくことが大切になると思います。そのためには、人数が多ければ多い方が良いと見なすのではなく、人数が少なくても細く長く続けることに意味があるのだというように価値観を変えることが求められます。また、地域内だけで完結するのではなく、地域外の人々とのつながりを大切にし、折りに触れて訪問してくれるような人々を増やしていくことも大切になると思います。
山岸仮設の集会所に貼られた写真に写った多くの人々の中には、これからも末崎町を訪れる人がきっといると思います。