『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

仮設住宅という住まい

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大船渡市末崎町にある大田仮設では毎朝、ラジオ体操が行われています。先日のラジオ体操には、既に仮設住宅から退去され高台に移転された方が参加されていました。
また、同じく末崎町にある山岸仮設(小学校校庭)、平林仮設(中学校校庭)はこの6月末で閉鎖。来月からは撤去作業が行われることになっています。先日、以前、山岸仮設に住んでおられた方が「居場所ハウス」にやって来られました。来月、山岸仮設の元住民の女性と、支援でお世話になった方とで懇親会を開くので会場を貸して欲しいという話がありました。

仮設住宅が撤去されていくことは、震災からの復興において大きな前進であることは間違いありません。しかし、仮設住宅から退去した後も、仮設住宅に顔を出す方がいる。仮設住宅で出会ったメンバーでの集まりを持とうとする方がいる。
仮設住宅の撤去が進む中、このような方々がいるのを忘れてはならないと思います。このような方々にとって仮設住宅は、高台移転するまでの「仮」住まいという以上の意味をもっているのではないか。もちろん、住宅の建設工事が遅れている、災害公営住宅への入居手続きが遅れている、あるいは、今後の住まいの目処が立っていないなど様々な理由でまだ仮設住宅にお住まいの方もいる現状では軽々しいことは言えませんが。

繰り返しになりますが、仮設住宅が撤去されることは復興の大きな前進。しかし、仮設住宅東北の経験を次の被災地に継承していくためには、撤去された仮設住宅を忘れ去るのではなく、「仮設住宅という住まいは被災者に、被災した地域に何をもたらしたのか?」という視点も必要だと感じます。