『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

岩手県大船渡市末崎町について

末崎町の概要

岩手県大船渡市は三陸海岸南部の代表的な都市の1つで、市の一帯は典型的なリアス式海岸となっています。末崎町は、大船渡市内に10ある町の1つで、大船渡市の最南端に位置。ワカメ養殖発祥の地であるなど、漁業が盛んな町です*1)。
末崎町の南東部は三陸復興国立公園に指定されている碁石海岸があり、穴通磯、乱暴谷展望台、碁石海岸レストハウス、世界の椿館、大船渡市立博物館などの観光名所・施設が集まっています。

末崎町は陸前高田市の境界に位置していますが、大船渡市と陸前高田市を結ぶ三陸道自動車道・国道45線は末崎町の北端を通っているため、三陸道自動車道・国道45線に対して袋小路のような位置にあります。加えて、末崎町内には店舗や飲食店がほとんどないため、末崎町外の人が日常的に買物や飲食に来ることはほとんどありません。

船渡市が2013年8月26日~9月15日に実施した「復興に関する市民意識調査」によると、震災前から末崎町に住み続けている住民は89.9%であり*2)、末崎町は長期にわたって住み続ける人が多いことがわかります。

末崎町の人口・世帯数

平成最後となる2019年4月末の末崎町の人口は4,086人で大船渡市に10ある町の中で5番目、世帯数は1,522世帯で10ある町の中で6番目となっています。

末崎町は東日本大震災による大きな被害を受けました。死者は32名、行方不明者は29名。家屋の被害は全壊606戸、大規模半壊53戸、半壊58戸、一部損壊40戸であり、被災家屋等の合計は757戸になります*3)。

末崎町の人口は、1980年代をピークとして減少が続いています。震災により人口はさらに減少し、2019年4月末時点の人口は震災前年の約83%にまで減少しました。末崎町にとっての平成とは、人口が減少し続けた時代だったということになります。
世帯数は近年微増し続けていましたが、震災で減少。その後はまた微増しています。2019年4月末時点の世帯数は、震災前年と比較すると約94%に減少してます。
人口が減少しているにも関わらず、世帯数が微増傾向にあることは世帯あたりの人員が減少していることを意味します。世帯あたりの人員は一貫して減少しており、2019年4月末時点で約2.68人となっています。

大船渡市の高齢化率は日本全国平均を上回っていますが、末崎町の高齢化率はさらに大船渡の平均を数%上回っており、2017年10月31日時点で38.8%、約5人に2人が65歳以上という状況になっています。

末崎町内には市立の小学校、中学校が1校ずつあります。末崎小学校の近年の児童数は2002年をピークに、末崎中学校の近年の生徒数は2006年をピークに減少。2016年5月1日時点の末崎小学校の児童数は146人、末崎中学校の生徒数は92人であり、震災前年に比べるといずれも6割ほどにまで減少した。現在、生徒数が減少していることから、末崎中学校は大船渡中学校との統合が検討されています*4)。

仮設住宅・高台移転

震災後、大船渡市では37ヶ所に計1,811戸の仮設住宅が建設。住戸数は138戸から4戸までと多様ですが、平均の住戸数は48.9戸となっています*5)

末崎町には5ヶ所に計313戸の仮設住宅が建設されました。市営球場の大田仮設(134戸、末崎中学校校庭の平林仮設(70戸)、末崎小学校校庭の山岸仮設(58戸)、民有地の小中井仮設(27戸)と大豆沢仮設(24戸)の5ヶ所であり、震災から2~3ヶ月が経過した2011年5~6月にかけて入居が行われ、仮設住宅ごとに自治会が立ち上げられました。

小・中学校の校庭としての利用を再開するため、校庭の仮設住宅から先に閉鎖されることとなり、山岸仮設、平林仮設は2016年6月末に閉鎖されました。
その後、2016年12月末で小中井仮設が、2017年3月末で大田仮設が、そして、2018年3月末で最後まで残っていた大豆沢仮設が撤去され、末崎町の仮設住宅は震災から約年で閉鎖されたことになります。

末崎町では全ての高台移転が既に完了しています。
仮設住宅からの移転先には災害公営住宅、防災集団移転、自力再建などがあります。
災害公営住宅は、末崎町内の3ヶ所に建設。集合住宅形式の平団地(11戸)、平南アパート(55戸)と、戸建て住宅形式の泊里団地(6戸)です。防災集団移転促進事業による住宅は、末崎町内の10地区で計135戸が建築されました。

末崎町の仮設住宅、高台移転はこちらの記事もご覧ください。

行政区の変化

末崎町は北から大きく細浦、中央、碁石の3地区に分けられており、東日本大震災前には18の行政区が存在していました。行政区の中心になるのが地域公民館です*6)。
震災の影響により2013年3月には泊里地域が解散、2017年3月には細浦地域と内田地域が合併。行政区の数が減少する一方、55戸の災害公営住宅「平南アパート」は既存の行政区に加わらず、災害公営住宅の自治会単独で新たな行政区「平南団地」を設立。「平南アパート」は平地域に立地するが、平地域の世帯数が他の集落に比べて多くなり過ぎるなどの理由から、単独の行政区が立ちあげられることになりました。
新たな行政区「平南団地」が設立されたことで、現在、末崎町の行政区は17となっています。各行政区の世帯数は40~200世帯とばらつきがあります。

末崎町内の行政区(公民館・自治会)は強いまとまりをまった地縁型の組織です。震災後、従来の公民館とは別に、5ヵ所の仮設住宅それぞれに自治会が設立されたことで、仮設住宅の入居者は、震災前に住んでいた行政区の公民館、仮設住宅の自治会の2つの地縁型の組織に同時に所属している状態になっていました*7)。
仮設住宅の入居者のうち、高台移転によって従来の行政区に戻る人は同じ公民館にそのまま所属し続けることになりますが、別の行政区に高台移転する人は所属する公民館が変わることになります。
このように震災後の末崎町では、解散・合併・設立により行政区自体が変化すると同時に、行政区の構成員も変化していくという意味で地縁型の組織に揺らぎが生じていたと言えます。ただし、その揺らぎも、高台移転がほぼ完了したことで収まりつつあると言えます。

なお、仮設住宅の自治会は、仮設住宅の閉鎖に伴い解散となりましたが、山岸仮設の元住民は、仮設住宅が閉鎖された後も「居場所ハウス」で自治会主催の同窓会を継続して開いており、仮設住宅で生まれた関係が今でも継続されていることは注目すべき動きです。

震災後のいくつかの動き

震災からの復興の過程で、末崎町にはいくつかの動きが生じました。「居場所ハウス」が開かれたのもその1つですが、その他、次のような動きが見られます。

大船渡市の盛駅と気仙沼駅を結ぶJR大船渡線は震災による大きな被害を受けました。JR大船渡線の盛駅〜気仙沼駅間は鉄路での復旧を断念し、BRT(Bus Rapid Transit/バス高速輸送システム)が導入。末崎町内には従来からあった細浦駅に加えて、2013年9月28日には碁石海岸口駅が新設されています。
BRT気仙沼線・大船渡線、その役割が評価され、2016年度グッドデザイン賞の「グッドデザインベスト100」を受賞しています。

津波で大きな被害を受けた門之浜湾の旧大田団地の被災跡地には、大船渡市が誘致する「いわて銀河農園」(紫波町)のトマト工場の建設が進められています。
門之浜湾、及び、トマト工場の建設の様子はこちらをご覧ください。

細浦湾の被災跡地には、多目的広場「シーサイドパーク細浦」が完成し、2019年4月28日(日)にオープニングセレモニーが開催されました。「シーサイドパーク細浦」は市の指定管理者として、細浦地区再生協議会が管理することとなっています。


参考

  • 1)「デジタル公民館まっさき」のウェブサイトには、ワカメ養殖の技術が完成したのは昭和32年(1957年)と記載されている。
  • 2)大船渡市『「復興に関する市民意識調査」結果報告書』2013年10月24日より。アンケート調査は18歳以上の市内に在住する市民(5,990人)、及び、市外に避難している市民(128人)を対象とするもので、有効回収数は2,825、有効回収率は46.4%となっている。末崎町の住民は対象者が688人、有効回収数が328、有効回収率は47.7%となっている。
  • 3)岩手県大船渡市「地区別の被害状況について」(2011年6月2日)より。死者・行方不明者は2011年5月27日時点、被災家屋等の合計は2011年5月24日時点の被害状況である。
  • 4)2017年7月13日には、末崎地区公民館「ふるさとセンター」にて末崎中学校の統合にかかわる懇談会が開催された(「末崎中の統合はどうなる?」・『館報まっさき』第272号, 2017年7月20日)。その後、末崎地区と大船渡地区それぞれに統合協議会が設立され、2017年10月30日に第1回末崎地区学校統合協議会が開催されている(「末中と大中の統合に向けて」・『館報まっさき』第275号, 2017年10月20日)。
  • 5)岩手県「応急仮設住宅の建設に係る進捗状況について」より。
  • 6)地域公民館は自治公民館であり、社会教育施設としての公民館とは異なる。自治公民館の建物は、行政区(集落)住民の共有財産である。
  • 7)仮設住宅に住んでいた市役所への派遣職員、被災地支援として来た人など、被災者以外の人は仮設住宅の自治会のみに所属していた。