『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

依頼を受けずに行うことが、余計なお世話とは見なされない関係

地域の人が日常的に出入りしている「居場所ハウス」では、日々、色々な出来事が起こります。先日、次のようなことがありました。

この日、近くに住む90代半ばの女性が「居場所ハウス」にやって来ました。90代半ばですがお元気で、一人暮らしをされており、この日も歩いて「居場所ハウス」に。

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参加しようと思っていた教室はあいにく行われていなかったのですが、しばらく「居場所ハウス」で過ごして行かれました。「こんな年寄りが生きてても、みんなに迷惑かかる」いう女性に対して、「長生きした方がいいんだよ」と声をかける80代の方が声をかける場面も。
女性は表で販売していた居場所農園の野菜(ジャガイモ、ほうれん草など)や帽子などを買ってくださいました。荷物が重くなったということで、荷物を持って一緒に家まで歩いていく方。
女性と入れ違いにやって来た方は、「○○さんに会いたかった」ということで、家に電話をされていました。この方は、家に様子を見に行くということもされていたようです。

声をかけあったり、荷物を運んだり、電話したり、家に様子を見に行ったり。1つひとつはささやかかもしれませんが、「居場所ハウス」で生まれた関係です。
他の地域では、こうした地域の人々の助け合いを時間通貨・地域通貨にする試みも行われています。依頼したいことが明確であれば、時間通貨・地域通貨は、過度に善意に頼らない持続可能な関係を築くことに有効かもしれません。

ただし、この日の「居場所ハウス」で行われたこと、つまり、声をかけあったり、荷物を運んだり、電話したり、家に様子を見に行ったりというのは、決して、依頼を受けてやったことではありません。

依頼を受けてやっているわけではないが、余計なお世話だとは見なされない関係。こうした関係が築かれる拠点に「居場所ハウス」がなっていけばと思います。

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*写真は90代の女性が作って持って来てくださった縫いぐるみ。