少し前のことになりますが、大船渡を対象とするフィールドワークをされている方と話をする機会がありました。話をした内容は、お互いのフィールドワークのこと、大船渡で見てきたことについてです。
これまで何回か学校校庭の仮設住宅が撤去される様子をご紹介してきましたが、このことについて、震災後に末崎町で見られた風景と、その風景の変化を伝える意味があるのではなないかと考えていると話をしました。
入居者が高台に移転し、仮設住宅が閉鎖されることは復興の大きな進展です。ただし、仮設住宅に住んでいた方からは、仮設住宅が懐かしいね、という話を聞くこともあります。また、短期間ではあれ暮らしていた住まいがなくなることに対して、ある種の寂しさもあります。
しかし仮設住宅に対する懐かしさ、寂しさは表立っては言いづらい雰囲気があるのではないかと感じます。仮設住宅がなくなることは復興の進展という良きことであり、被災者にとって仮設住宅は支援として、家賃無料で住まわせてもらっていたという思いがあるかもしれません。一方、仮設住宅に住んでいない人、つまり被災していない人にとっては、仮設住宅に対しては何かを言いにくい雰囲気がある。
仮設住宅をめぐってこうした状況はありますが、仮設住宅は震災後に見られた風景であり、人々による地域を越えた多様な関わりが生まれた場所であることは事実。少なくともそうした風景を記録として残しておくことは、長い目で見れば被災地の経験の継承の1つの形になると思います。
運営・研究に関わっている「居場所ハウス」については、次のような話をしました。
それは、研究の過程で得られた知識や情報を、どうやって地域に還元するかが大切だと考えている、ということです。研究において重視されるのが一般性つまり、それは一般的に言えることなのかということ。一般性があれば、その知識は他にも適用していくことができるものとなる。一般性が重要であることは間違いありませんが、研究の過程で得られた一般的ではない特殊な情報、例えば、「居場所ハウス」に深く関わっているが故に一般的だとは言えない情報に意味がないのかというと、そういうわけではないだろうと思います。ここで考えねばならないのは、「誰がその情報を必要としているのか?」という問いです。
建築計画学の分野では、近年、「利用の時代」がキーワードの1つになっています。日本建築学会の2010年度大会において「「利用」の時代の建築学へ−建築計画にとって何が課題になり得るか?」という研究協議会が開催されたのが、この言葉が大きく取り上げられた最初ではないかと思われます。この研究協議会の趣旨は以下のように述べられています。
しかし、時代の局面は大きく変わりつつある。これから先の主要なテーマは、最早新規建設でもそれに並走する建築学でもなく、有り余る既存建物内外の空間をいかに豊かな居住環境に仕立て上げ、それを継続していけるのか、その実践とそれを支える建築学ということになろう。そこで鍵を握るのは「利用」である。利用の仕方、その構想次第で、既存建物内外の空間は、豊かな居住環境にもなり得るし、打ち捨てられた廃墟やゴーストタウンにもなり得る。「利用」について、専門家の側はそれを想定して建築を計画・設計し新規建設してきたとはいえ、基本的には空間の利用者自身が決定権を持つ問題である。とすれば、建築学或いは建築の専門家はこの新たな課題にどのように関わり得るのか。また、建築計画にとっては何が課題になり得るのか。この悩ましい問題について、最近の興味深いストック利用の動きを確認する中で、考えてみたいと思う。
*松村秀一「「利用」の時代の建築学へ−建築計画にとって何が課題になり得るか?」・日本建築学会 建築計画委員会編『「利用」の時代の建築学へ−建築計画にとって何が課題になり得るか?(2010年度日本建築学会大会(北陸) 建築計画部門 研究協議会資料)』日本建築学会 2010年09月
専門家による「計画の時代」から、有り余る既存建物の「利用の時代」へ。ただし、利用という言葉には、「誰か(専門家)によって既に作られた建物」を人々が利用するという意味合いを含んでいるように感じます。そうした側面が重要であると同時に、時代はもう一歩先に進んでいるのではないか。近年の「居場所ハウス」をはじめとする「まちの居場所」で見られる光景、あるいは、東日本大震災後の仮設住宅で見られた光景は、(建物は専門家によって建てられた場合があるとしても)人々はそれを単に利用しているのではなく、それを資源としながら新たな価値を生み出すと同時に、建物自体を作り替えているというもの。
「計画の時代」でもなく、「(計画されたものの)利用の時代」でもなく、計画と利用という行為が当事者である人々によって担われるものになり、両者が連続的、循環的であるという意味で「当事者の時代」と言ってよいのではないかと思います。現在は、「計画の時代」から、「利用の時代」と「当事者の時代」へと移行しつつある時代。
東日本大震災の被災地では現在、高台移転のための集合住宅、戸建住宅、公共施設、港湾などのインフラ整備、防潮堤など多くの建設工事が行われていますが、これらが一段落すれば、もう大規模な建設工事が行われることはなくなるだろうと思われます。「利用の時代」、「当事者の時代」へと移行するのは必然。
「利用の時代」、「当事者の時代」において求められる知識とは、全国一律に同じ基準に則ったビルディングタイプを普及させていくための知識ではなく、既に目の前にある建物をどう利用するか、変えていくかという個別具体的なもの。そうした知識を必要としている当事者である人々にとって有用な情報とは、一般性をもつがゆえに抽象的な情報ではなく、ある具体的な場所の歩みがつまった辞書のようなかたちの情報ではないのか。
だとすれば、専門家に担える役割の1つは、研究の過程で得られた特殊な情報を副産物として捨ててしまうのではなく、積極的に還元するための編集という役割だと思います。
もちろん、研究とは有用性だけを過度に求めることは慎まねばなりません、当事者となる人々にとって、たとえ有用でなくても、少なくとも無意味なものではあってはならないと考えています。