現在の日本でサードプレイスに注目する意味

レイ・オルデンバーグは『サードプレイス−コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」−』(みすず書房 2013年)において、「インフォーマルな公共生活の中核的環境」を第一の家、第二の職場に続く「サードプレイス」(第三の場所)と呼び、その特徴を次のように述べています。

「サードプレイスは中立の領域に存在し、訪れる客たちの差別をなくして社会的平等の状態にする役目を果たす。こうした場所のなかでは、会話がおもな活動であるとともに、人柄や個性を披露し理解するための重要な手段となる。サードプレイスはあって当たり前のものと思われていて、その大半は目立たない。人はそれぞれ社会の公式な機関で多大な時間を費やさなければならないので、サードプレイスは通常、就業時間外にも営業している。サードプレイスの個性は、とりわけ常連客によって決まり、遊び心に満ちた雰囲気を特徴とする。他の領域で人びとが大真面目に関わっているのとは対照的だ。家とは根本的に違うたぐいの環境とはいえ、サードプレイスは、精神的な心地よさと支えを与える点が、良い家庭に酷似している。」(p97)
レイ・オルデンバーグ(忠平美幸訳)『サードプレイス−コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」−』みすず書房 2013年

『サードプレイス−コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」−』に掲載されている「解説」において、マイク・モラスキーは「本書は日常生活の見逃しやすい側面に光を当てることによって、社会そのもの、そして読者自身の身近な社会との関係について大いに考えさせてくれる刺激的な書である。」(p472)としたうえで、しかし本書には気になる問題があると指摘し、次の点をあげています。

  • 「オルデンバーグがあまりにもノスタルジーに浸かっている」
  • 都会におけるサードプレイスの可能性
    :「アメリカの都会には、多様な人種やエスニシティや信教人々が住んでいるが、それぞれの集団が分かれて暮らしていることが多い」。サードプレイスが「基本的には男女がそれぞれに集まりやすく、またローカルである」のだとすれば、「同じような者同士しか集まらないサードプレイスになりかねない」。
  • 女性に対する認識の古さ
    :「オルデンバーグがいまだに専業主婦を念頭に入れて論を進めているという印象を受ける」
  • 「チェーン店がどうしてサードプレイスになり得ないのか」
  • 「オルデンバーグが欧米以外の社会にほとんど言及していない」

レイ・オルデンバーグが取りあげているのは欧米の事例が中心であり、日本については「その場での礼儀作法が生活全般の規範になっている日本の茶室」(p33)という言及がなされているだけですが、サードプレイスは現在の日本を考える上で非常に重要な概念。レイ・オルデンバーグ、そして、マイク・モラスキーによる指摘を参考にすれば、現在の日本でサードプレイスに注目する意味として、例えば次の点をあげることができると考えています。

郊外(ニュータウン)

レイ・オルデンバーグはサードプレイスの反対にあるものとして「非場所」(ノンプレイス)をあげています。

「かつて場所があったところに、今わたしたちが見出すのは〈非場所〉だ。本物の場所では、ヒトが人間である。彼または彼女は、ユニークな個性をもった一個の人間だ。非場所では、個性など意味がなく、人はたんなる顧客や買い物客、クライアントや患者、席に座る身体、請求書の宛先、駐車する車にすぎない。非場所では、人は一個の人間であることも、そうなることもできない。個性は意味をなさないばかりか、妨げにもなるからだ。〈トビーズ・ダイナー〉〔地元の軽食堂〕は場所だった。今その跡にある〈ワンダー・ワッパー〉〔ファストフードのハンバーガー店〕は非場所である。」(p327)

「現代の都市環境は、単機能の役割を果たす者としての人びとに、必要なものを提供する。それは人をクライアントや客、労働者、通勤者に変え、人間になる機会をほとんど与えない。人を締めつけ、拘束する。一つの場所で一種類の活動しか許さず、効率の名のもとに(誰のため?)それ以外の活動を阻止する。ようするに、都市環境は、昔よりはるかに人間の要求に応えることが少なくなっている。」(p330)
*レイ・オルデンバーグ(忠平美幸訳)『サードプレイス−コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」−』みすず書房 2013年

「非場所」において、人は「ユニークな個性をもった一個の人間」としてではなく、「たんなる顧客や買い物客、クライアントや患者、席に座る身体、請求書の宛先、駐車する車」のように「単機能の役割を果たす者」になる。レイ・オルデンバーグは「非場所」を生み出すものとして、都市計画家による「単機能の空間利用」な都市環境をあげ、その例として何度も郊外をあげています。

レイ・オルデンバーグがあげているのはアメリカの郊外ですが、「単機能の空間利用」という点では、日本に数多く開発された郊外も同様です。
千里ニュータウンは1962年からまちきが始まった日本で最初の大規模ニュータウンですが、千里ニュータウンの新千里東町に「ひがしまち街角広場」というまちの居場所(コミュニティ・カフェ)があります。2001年9月30日のオープン以来、近隣センターの空き店舗を活用し、住民ボランティアにより、補助金を受けない自主運営が継続されている場所。初代代表の女性は、「ひがしまち街角広場」を開いた経緯を次のように振り返っています。

「ニュータウンの中には、みんなが何となくぶらっと集まって喋れる、ゆっくり過ごせる場所はございませんでした。そういう場所が欲しいなと思ってたんですけど、なかなかそういう場所を確保することができなかったんです。」
*「ひがしまち街角広場」初代代表の発言

千里ニュータウンは当時の行政、専門家、研究者が総力をあげて生み出した街で、様々な施設が整えられていた。けれどもそれらの施設において人は「単機能の役割を果たす者」になるだけであり、具体的に何かの役割を果たしているとは言いにくい「何となくぶらっと集まって喋れる、ゆっくり過ごせる場所」がなかった。「ひがしまち街角広場」はこのような住民の思いを背景として生まれた場所。
サードプレイスは、郊外(ニュータウン)を「単機能の空間利用」から解放するための住民活動を捉える上でも、注目すべき概念だと考えます。

まちの居場所

マイク・モラスキーはサードプレイスを次のように定義しています。

「「とりたてて行く必要がない」、そして「いつでも立ち寄って、帰りたいと思ったらいつでも帰れる」という基準に加え、「その場所が提供している品物やサービスとは別の目的のために行く」という点が重要だと私は考える。」(p479)
*マイク・モラスキー「解説」・レイ・オルデンバーグ(忠平美幸訳)『サードプレイス−コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」−』みすず書房 2013年

日本におけるサードプレイスになる可能性のある場所として、マイク・モラスキーは次のような場所をあげています。

  • 「下町や地方都市にあるようないわば「街角の喫茶店」」
  • 「赤提灯や大衆酒場のような庶民的な居酒屋」
  • 「カウンター中心の小ぢんまりした赤提灯や、合席になりがちな大衆酒場」
  • 「年季の入った、小ぢんまりした個人経営の場所」
  • 「大衆食堂」
  • 「早朝のゲートボールグラウンドや、囲碁や将棋クラブ」
  • 「銭湯」

ここではあげられていませんが、2000年頃から、日本では「ひがしまち街角広場」のようなまちの居場所(コミュニティ・カフェ、地域の茶の間、まちの縁側などと呼ばれることもある)が各地に同時多発的に生まれています。
まちの居場所がもつ役割は、レイ・オルデンバーグがあげるサードプレイスのコミュニティ構築機能との共通点が多く、サードプレイスはまちの居場所を考える上でも有効な概念です。

チェーン店

チェーン店がサードプレイスになり得るかどうかは、最も興味深く、同時に、最も議論になる部分です。
レイ・オルデンバーグ自身は、チェーン店がサードプレイスになることには否定的な立場をとります。レイ・オルデンバーグはアメリカの居酒屋を取り上げた章で、居酒屋を次の3つに分類しています。

  • 「致命的な居酒屋」
    :このような居酒屋では、「客はエレベーターに乗り合わせた他人どうしのように、互いにわれ関せずを決めこんでいる」。
  • 「BYOFの居酒屋」(Bring Your Own Friends=各自で友だちを連れて来てね)
    :「とくに混んでいるときには、まるでサードプレイスであるかのような錯覚をいだかせるかもしれない」が、「一つの集団から別の集団へと渡り歩く者はいない。誰ひとり、部屋の向こう側の友人に声をかけは」せず、「一人で入ってきた客は、ほぼ間違いなく一人のまま」である。このような居酒屋では「快適志向が強く、応接間のような雰囲気や、絨毯、座り心地のいい椅子をそなえていたりする」。
  • 「サードプレイスの居酒屋」
    :「客どうしにある程度の結束が見られ、それは、ただ同じ時に同じ部屋を共有しているだけの状態をはるかに超えている」。

日本のチェーン店から受ける印象も、「致命的な居酒屋」、あるいは、「BYOFの居酒屋」の状態であることです。

マイク・モラスキーも、「オルデンバーグのチェーン店に対する批判は大いに共感できる」とし、上で紹介したように日本におけるサードプレイスになる可能性のある場所としてチェーン店をあげてはいません。けれども次のように、チェーン店が、客の使い方によってはサードプレイスになり得る可能性を示唆しています。

「サードプレイスとは、主観性が必然的に内在している概念だからである。たとえば、ある店が常連客にとってまぎれもないサードプレイスとして機能していても、別の客にとって同じ店が単に飲み食いする−−言い換えれば、消費する−−便宜上の場所にすぎないという事態がよくあるだろう。強いて言えば、サードプレイスは客の使い方によって決まるものである。」(p472)
*マイク・モラスキー「解説」・レイ・オルデンバーグ(忠平美幸訳)『サードプレイス−コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」−』みすず書房 2013年

ある客にとって、あるチェーン店はサードプレイスになるかも知れないが、別の客にとってそこはサードプレイスではない。

マイク・モラスキーは指摘していませんが、来客のコミュニティへの関わり方という視点と同時に、店主、定員といった運営に関わる人のコミュニティへの関わり方という視点も重要ではないかと考えています。

「その場所に(いつも)居て、その場所を大切に思い、その場所(の運営)において何らかの役割を担っている人であり、その場所とセットでしか語り得ない人」を場所の主(あるじ)と呼んでいますが、サードプレイスの運営に関わる人は、まさにこうした意味での主(あるじ)であることが多いのではないか。
店の収益が減少しつつあった時に、その店を撤退するのか、あるいは、地域の状態を良くすることで店の運営を改善しようとするのか、その運営者がその地域を仕事場として認識していないのか、あるいは、地域の構成メンバーとしての当事者意識を有しているのか。チェーン店であるか否かに関わらず、運営者の地域への関わり方のスタンスが、そこがサードプレイスになるか否かにおいては重要なポイントになるのではないかと思います。

第一・第二・第三の場所の境界の揺らぎ

マイク・モラスキーは、レイ・オルデンバーグの女性に対する認識の古さを指摘していましたが、日本でも専業主婦は減少しています。ただし、現在の日本では状況はさらに進んでいます。

サードプレイスとは、第一の場所である家、第二の場所である職場に続く第三の場所とされていますが、非正規雇用の増加、雇用の流動化により職場はもはや確固としたものとして存在しなくなりつつある。定年退職とは、第二の場所としての職場の喪失という意味合いがあるとも言えます。
在宅勤務、あるいは、農業の見直しといった変化も見られますが、ここでは家と職場とが明確には切り離されなくなりつつある状況もある。ただし、これまでも農業に従事していた人、個人商店を営んできた人などにとっては、家と職場が明確に切り離されていなかったことを考えれば、これは新たな動きではなく、家とは別の職場に通勤するのが自明視されてきた特殊な時代が崩れつつある動きとして捉えた方がよいかもしれません。
第一の場所としての家に関しても、家に居場所がないと感じる人々、家庭内での虐待・暴力なども生じています。あるいは、シェア・ハウスのように、家族(血縁家族)だけに閉ざされた家のあり方に問題提起する動きも生まれています。

現在の日本では、このように第一の場所としての家、第二の場所としての職場の存在自体を自明視できなくなりつつある。これは、第一の場所である家、第二の場所である職場に続く第三の場所という観点では、上手く捉えることができない領域が増えつつあるということ。
だからと言って、レイ・オルデンバーグのサードプレイスの概念が無効にになるわけではありません。ここで重要なのは、レイ・オルデンバーグの定義を逆戻りして、サードプレイスを第三の場所ではなく、「インフォーマルな公共生活の中核的環境」として捉えようとすることではないか。

「気のきいた出来合いの用語がないので、本書では独自の言葉を採用するとしよう。今後は「サードプレイス(第三の場所)」を、「インフォーマルな公共生活の中核的環境」の意味で使うことにする。サードプレイスというのは、家庭と仕事の領域を超えた個々人の、定期的で自発的でインフォーマルな、お楽しみの集いのために場を提供する、さまざまな公共の場所の総称である。この用語は使えるだろう。偏りがないし、簡潔で軽やかだ。三脚台の意義と、その三本の脚の相対的な重要性が前面に打ち出されている。」
*レイ・オルデンバーグ(忠平美幸訳)『サードプレイス−コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」−』みすず書房 2013年

そして、第一の場所である家、第二の場所である職場と、それとは別の第三の場所という観点ではなく、レイ・オルデンバーグが次のように説明する場所の持つ意味に注目しながら、生活を「三脚台」によりどう支えていくかという観点をもつことで、現在の日本で生じている様々な動きを捉えることができるのではないかと考えています。

  • 第一の場所:保護される場所
  • 第二の場所:労働環境、生産的な役割をもてる場所
  • 第三の場所:インフォーマルな公共生活の中核的環境