『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

地域の窓口になる場所@居場所ハウス

大船渡市末崎町の「居場所ハウス」はオープンから6年となりました。少し前、「居場所ハウス」に赤ちゃんを抱いた女性がやって来られたました。1週間ほど前に末崎町の碁石の方から、「居場所ハウス」の近くに越してきたばかりだとのこと。引っ越してきたものの、誰に挨拶すればいいかわからなくて、と女性。この話を聞いて、居合わせたスタッフは、平地区の公民館長*1)に電話をしていました。

1ヶ月ほど前には、やって来た女性から次のような相談がありました。畑にしている土地があるが、高齢のため耕作を続けることができなくなったので、土地を借りて耕作してくれる人はいないだろうか、という相談です。すぐに思い当たる人がいなかったため、思い当たる人が連絡すること、そして、末崎地区公民館に話をしてみてはどうかということを伝えました。

引っ越ししてきたばかりで誰に挨拶していいかわからない、畑を借りてくれる人を探しているが誰に言えばいいかわからない。このように、地域で暮らしていると誰に相談していいかわからない困り事が出てきます。市役所も相談の窓口を設けていますが、これらは行政に相談するというものではない。かと言って、地域の家の1軒1軒の扉を叩くのもハードルが高い。
こうした状況では、「居場所ハウス」のように容易に出入りでき、常に地域の誰かがいる場所は、誰に相談していいかわからない困り事の窓口になるということだと思いました。もちろん、「居場所ハウス」が全てを解決することはできませんが、「とりあえず、あそこに行けば何とかなるかもしれない」と期待を持ってもらえることが重要だと思います。

誰に相談していいかわからない困り事に関連して、次のようなことも考えさせられました。

1つ目は、近所づきあいについて。
大都市と異なり、地方の末崎町では、住民みなが顔見知りで、お互いの家のことをよく知っているというイメージを持たれるかもしれません。古くからある家、そのような家が多い地区ではこうした状態がまだ残っていると思います。しかし、「居場所ハウス」のある平地区のように東日本大震災後の高台移転で多くの住宅が建設された地域では、必ずしも住民みなが顔見知りではないのが現実です。

2つ目も近所づきあいに関することですが、最近建設されている住宅(戸建住宅・集合住宅)は、物理的に外に開いていないこと。津波の被害を受け高台移転された高齢の女性から、次のような話を聞いたことがあります。震災前に住んでいた地区では縁側のある家が多く、縁側は開け放たれていた。けれど、今の家はいつも扉が閉まっている。だから、道を歩いていても誰にも会わないと。
このような住宅の変化に加えて、車社会の地方では、ほとんどの人が車で移動するために、道で出会った人が挨拶したり、立話をしたりする機会が少ないのかもしれません。

もちろん、地方といっても状況は様々。だからこそ、住民みなが互いによく知っていて、濃密な近所づきあいをしているというようなイメージを画一的に当てはめてはいけないのだと思います。

3つ目は、人口減少・高齢化に関わること。
2019年6月末の末崎町の人口は4,081人。人口がピークだった1980年代後半には6,000人を超えていたことを考えると、3分の2にまで人口は減少しています。高齢化率は正確な数字はありませんが、約40%。ただし、これらは数字の話。
畑を耕す人がいなくて雑草が伸び放題になっている、葬儀が立て続けに行われるなど、人口減少や高齢化というのは決して数字で表現される抽象的な話ではないということを考えさせられます。


  • 1)平地区は「居場所ハウス」を含む地域の行政区で、末崎町内に17ある行政区(公民館16+災害公営住宅の1自治会)の1つ。末崎町の公民館は、社会教育施設としての公民館ではなく、自治公民館として各行政区の中心となる場所で。平地区の公民館長は、平地区の自治会長のような存在だと言える。
  • 2)末崎地区公民館は16ある公民館と異なり、公共施設であり、末崎町全体の中心となる場所。末崎地区公民館長は、末崎町の町長のような存在だと言える。