『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

ディスカバー千里による新千里東町のまち歩きの下見

ディスカバー千里(千里ニュータウン研究・情報センター)ではこれまで様々なまち歩きを行ってきましたが、新型コロナウイルス感染症の拡大により、まち歩きを中止してきました。現時点でも感染が収束する見通しは立っていませんが、その一方で、新たに転入してこられた若い世代の方に千里ニュータウンの歴史や魅力を伝えることは大切だと考え、感染防止対策を講じながらまち歩きを再開するための方法を検討しています。

2020年10月14日、若い世代の方々にまちを紹介する場合、どのようなコースを歩けばよいかを検討するため、新千里東町のまち歩きの下見を行いました。
まち歩きの下見には、ディスカバー千里のメンバーに加えて、新千里東町に入居された若い世代の方、「ひがしまち街角広場」で調査をされている大学生などにも参加いただきました。

新千里東町のまち歩きコース


14時に千里阪急ホテルに集合。20分ほど、千里ニュータウンの成り立ちや新千里東町の特徴について説明を受けた後、次のようなコースを歩きました。

千里ニュータウンの竹林は「大阪みどりの百選」にも選ばれていますが、千里阪急ホテルのすぐ隣にある千里東町公園でも、美しい竹林を見ることができます。竹林はボランティア・グループの「千里竹の会」のメンバーによって手入れがされています。
「千里竹の会」は、新千里東町近隣センターのコミュニティ・カフェ「ひがしまち街角広場」から生まれた地域活動のグループの1つです(※ディスカバー千里の前身の「千里グッズの会」も「ひがしまち街角広場」から生まれたグループの1つ)。

(新千里東町の竹林)

(千里竹の会)

千里東町公園に沿って、歩行者専用道路の「こぼれび通り」を西に歩くと、UR新千里東町団地が見えてきます。一般的に、URの団地は住棟が平行に配置されることが多いのですが(平行配置)、UR新千里東町団地では、住棟が緩やかな囲みを作るように配置されているという特徴があります(囲み型配置)。大阪万博の時、UR新千里東町団地の中層の住棟は各国のコンパニオンのための宿舎として活用されていました。

(UR千里東町団地)

千里ニュータウンでは、後半に開発された住区(新千里北町以降に開発された、豊中市域4住区と吹田市域の竹見台・桃山台)には、住区全体を歩行者専用道路がめぐっており、近隣センター、小中学校、公園などの主な場所は歩行者専用道路に面して立地しています。計画に携わった方の話によると、開発時、日本には歩行者専用道路というものが存在しなかったとのこと。従って、千里ニュータウンは日本における歩行者専用道路の発祥の地ということになります。

先ほどから歩いてきた「こぼれび通り」も歩行者専用道路の1つ。
「こぼれび通り」の特徴として両側の植栽帯をあげることができますが、土地の用途としては両側の植栽帯も道路扱いとなっています(道路の中に植栽がなされている)。なお、後に開発される泉北ニュータウン(大阪府)、多摩ニュータウン(東京都)では、「こぼれび通り」を発展させ、より幅の広い緑道がもうけられることになったということです。

(こぼれび通り)

(こぼれび通り)

テニスコート脇の丘を登ります。眺望スポットとなっており、遠くには万博開場の太陽の塔も見ることができます。近くには円形の藤棚。立派な藤なのですが、手入れがされておらずベンチに座ると薄暗い感じがするという感想も出されました。

(千里東町公園の丘)

(千里東町公園の藤棚)

14:50頃、藤棚を出発。再び「こぼれび通り」に降りて、西に歩きます。
UR新千里東町団地の4棟の高層住棟のうち、1棟は現在建て替え中。来月(2020年11月)から新たな住棟への入居が始まります。建て替え後の団地は、千里グリーンヒルズ東町と名称が変更。千里ニュータウンの集合住宅の壁にはA~Dの住棟標示がなされています。A:府住宅供給公社、B:府営住宅、C:公団(UR)、D:社宅を表していますが、A~Dという序列ができるという考えから、建て替え後の住棟からはA~Dの住棟標示はなされなくなっています。

(UR千里グリーンヒルズ東町)

あかしや橋を渡って、15時過ぎ、近隣センターに到着。近隣センターの周りの広場では、多くの子どもたちが遊んでいました。

(近隣センター)

「ひがしまち街角広場」の前を通り、アソカ幼稚園、医療センター脇を通り抜け、もくせい公園へ。新しい近隣センターが入る分譲マンションの建設もずいぶん進んでいることが見えます。

(新近隣センターが入居する分譲マンション)

もくせい公園は大きなグラウンドがあり、グラウンドから一段降りたところに遊具の置かれた遊び場があります。
遊び場でも、多くの子どもたちが遊んでいました。再開発された分譲マンションのほとんどはゲートがあり(ゲーティッド・コミュニティになっており)、住民以外は敷地内に自由に出入りできません。分譲マンションないでは(別の分譲マンションに住んでいる友だちと)遊べないため、公共スペースである近隣センターの周りや公園で遊ぶ子どもが多いのではないかという話でした。

府営新千里東住宅の再開発によって生まれた府営豊中新千里東住宅へ。
敷地中央に集会所があり、月に2回、住民が集まる「3・3ひろば」が開かれてきましたが、新型コロナウイルス感染症の感染防止のためお休みされているとのこと。集会所にはシャッターが下ろされており、周囲にも人気はありませんでした。

(府営豊中新千里東住宅)

府営豊中新千里東住宅の集会所を北に歩くと、再開発される前の府営新千里東住宅の住棟が5棟残されたエリアがあります。
府営新千里東住宅は、住棟が中庭を作るように配置されたという特徴があります(囲み型配置)。中庭には集会所、子どもの遊び場、バレーボールコートなどがありました(新千里東町のママさんバレーのチームは全国大会に出場したことがある)。このエリアにはかろうじて中庭が残されており、再開発前の府営新千里東住宅の雰囲気がわかります。(新千里北町では車止めとして利用されている)キリンの遊具も残されています。ただし、これらの住棟も近いうちに再開発により建て替えられる予定です。

(府営新千里東住宅の中庭)

(府営新千里東住宅の中庭のキリン)

一緒に歩いていた学生からは「100号階段」、「200号階段」という階段室の番号について質問がありました。
府営新千里東住宅は階段室型の住棟で、例えば5階建ての住棟の場合、10戸(1階に2戸ずつ)が同じ階段室を使っていました。基本的に10戸の住民しか階段室には入らないため(10戸の郵便受けは全て階段室の入口に設置)、階段室はコミュニティの最小単位となってきました。これは、再開発後の府営豊中新千里東住宅が廊下型の住棟で、各住戸を出るといきなり不特定多数が通る可能性のある廊下につながっているのとは大きな違いです。
住戸番号の付け方も特徴的で、「200号階段」の場合、201・202号室が1階、203・204号室が2階、205・206号室が3階、207・208号室が4階・209・210号室が5階にあります。これは201号室・202号室・・・が全て2階にある一般的な集合住宅の住戸番号の付け方とは異なっています。こうした特徴的な住戸番号の付け方は、府営新千里東住宅だけでなく関西の団地に広く見られます。
建築だけでコミュニティが形成されると言えませんが、府営新千里東住宅には階段室のまとまり、住棟によって作られた中庭のまとまりというように、段階的なコミュニティのまとまりが存在したことは、府営新千里東住宅の人々の関係に影響を与えたと想像されます。

15:30頃、府営新千里東住宅を出発。ほぼ同じルールを歩いて、16時頃、千里阪急ホテルに戻りました。


この日はまち歩きの下見ということで、やや長時間のまち歩きとなりました。今後、ディスカバー千里では一緒に歩いた若い方からの感想を聞きながら、実際に歩くコースを検討することを考えています。