『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

シンガポール・HDBの団地住棟のヴォイド・デッキ

シンガポールでは、国民の約8割がHDB(Housing and Development Board:住宅開発庁)が開発する住宅に住んでいます。HDBの団地を歩いていて気づくのは、住棟の1階部分が壁のないオープンスペースになっていることです。

このような場所はヴォイド・デッキ(Void Deck)と呼ばれています。ヴォイド・デッキは、住民にとっての日常的な場所であり、結婚式や葬儀を行う場所であったりと、HDBの団地のコミュニティにとって重要な場所。そのため、ヴォイド・デッキはコミュニティのために作られていると説明されます。
しかし、元々は、子どもが雨に濡れているのを見た法務省・国家開発省大臣のエドモンド・W・バーカー(Edmund W. Barker)が、建物を1階分高くすれば子どもたちの避難場所になるのにと発言したことがきっかけで作られるようになったという説もあるようです*1)。

作りつけのテーブル・椅子が設置されているのもヴォイド・デッキの特徴。テーブルがチェス盤になっているテーブルもあります。

特に初期に建設された団地の住棟では、特徴的なタイル張りテーブル・椅子が設置されています。

HDBの団地を歩いて、ヴォイド・デッキに関していくつか気づいたことがあります。

1つ目は、宗教に関わるものが祀られているヴォイド・デッキがあること。大阪府企業局が開発した千里ニュータウンは、政教分離の考えから宗教施設が計画されることはありませんでした。そのこともあり、千里ニュータウンの団地を歩いていても宗教を感じることはないため*2)、千里ニュータウンの団地とシンガポールの団地の違いの1つだと感じます。

2つ目は、ヴォイド・デッキには様々な機能が追加されていること。
宅配ボックス、リサイクル回収ボックスや、最近では新型コロナウイルス感染症の検査キットを受け取ることができるボックスが置かれているヴォイド・デッキも見られます。

「CHEF-IN-BOX/VENDCARÉ」という温かい食事や飲物の自動販売機が並べられたカフェ・コーナーがもうけられているヴォイド・デッキも見かけたことがあります。

3つ目は、特別な名前が付けられているヴォイド・デッキがあること。
例えば、腰壁によって緩やかに周りと区切られ、住民コーナー(Residents’ Corner)のような名前が付けられている場所。このような場所は、一般のヴォイド・デッキに比べるとテーブル・椅子、壁、床の仕上げなどのしつらえが異なっています。

高齢者のためのフィットネス・コーナー(Elderly Fitness Corner)として、健康器具が並べられたヴォイド・デッキ

近年リニューアルされているHDBトア・パヨ(Toa Payoh)では、スタディ・コーナー(Study Corner)という学習コーナーがもうけられています。

近年開発されたタンパニーズ・ノース(Tampines North)のタンパニーズ・グリーンウィーヴ(Green Weave)、プンゴル(Punggol)のウォーターフロント@ノースショアI & II(Waterfront @ Northshore I & II)では、ヴォイド・デッキの一部がコミュニティ・リビングルームと呼ばれています。

(タンパニーズ・グリーンウィーヴの「THE LIVING ROOM」)

(ウォーターフロント@ノースショアのコミュニティ・リビングルーム)

ブキ・バトック(Bukit Batok)のカンポン・カフェ(Kampung Cafe)は、ヴォイド・デッキをリノベーションして開かれています。

(ブキ・バトックのカンポン・カフェ)

4つ目は、ライブリー・プレイス・プログラム(Lively Places Programme)の補助を受けて、手が加えられているヴォイド・デッキがあること。
ライブリー・プレイス・プログラムは、ヴォイド・デッキを含めたパブリック・スペースを良いものにする住民プロジェクトをサポートするもので、このプログラムから補助を受けて、ミューラル(壁画)が描かれたり、植栽がされたり、団地の写真が展示されたりと、ヴォイド・デッキをコミュニティの場所にするために多様なかたちで手が加えられています。

(ライブリー・プレイス・プログラムにより手が加えられたHDBビシャンのヴォイド・デッキ)

このようにヴォイド・デッキは、その時々で必要な機能をコミュニティに追加するための余白として機能していると考えることができます。場合によっては、住民が自分たちの手で空間に手を加えることを可能にする余白にもなっています。一般的に、戸建住宅と違って、団地は供給主体によって空間が作り込まれているため、後から機能を追加すること、住民が空間に手を加えることは難しくなっています。そうした団地だからこそ、ヴォイド・デッキのような余白となる空間が意味を持ってくると感じます。


ヴォイド・デッキはHDBの団地を特色づける場所になっていますが、ヴォイド・デッキが作られたのは1969年以降であるため*2)、HDBが初期に開発した住棟にはヴォイド・デッキはありません。
例えば、HDBがクイーンズタウン最初に建設し、1960年10月に完成した住棟には、写真のように1階部分にも住戸があることがわかります。

(HDBが最初に建設したクーンズタウンの住棟)

同じクイーンズタウンにあるHDBコモンウェルス(HDB Commonwealth)にもヴォイド・デッキは見られません。

(HDBコモンウェルス)

一方、近年開発されたタンパニーズ・ノース(Tampines North)のタンパニーズ・グリーンヴァージュ(Tampines Greenverge)では、1階部分が駐車場になっています。駐車場の屋上の2階部分が庭園になっており、このレベルにヴォイド・デッキがもうけられ、一部がコミュニティ・リビングルームと呼ばれるエリアになっています。このように、ヴォイド・デッキが1階にはない団地も見られます。

(タンパニーズ・グリーンヴァージュの2階レベルのヴォイド・デッキ)

このようにHDBの団地住棟におけるヴォイド・デッキは時代により変化していることがわかります。


■注

(更新:2022年8月9日)