シンガポールでは国民の約8割がHDB(Housing and Development Board:住宅開発庁)が建設する住宅に住んでいます。
HDBは、現在でも多くの住宅を建設していますが、HDBの歴史や取り組みを紹介するHDBギャラリーの展示では、計画において重視しているポイントとして、①緑(Greenery)、②コミュニティ(Community)、③移動・輸送(Mobility & Transport)、④スマート・サステナブル(Smart & Sustainable)、⑤統合された商業施設(Integrated Commercial Facilities)、⑥ヘリテージ(Heritage)の6つが紹介されています*1)。
ここで注目するのはヘリテージで、次のように紹介されています。
■ヘリテージ(Heritage)
新しい街や団地の計画・開発において、ヘリテージは個性的なアイデンティティと場所の感覚(Sense of Place)を生み出すための重要な要素となります。可能であれば、記憶に残るランドマークを保存したり、その場所の思い出を取り戻すためにマーカーやストーリーボードを設置したりしています。地域のヘリテージを反映させたテーマのある遊び場も設置されています。
※HDBギャラリーの展示の翻訳。
ビダダリ
HDBギャラリーの展示では、ヘリテージの視点を取り入れた代表的なエリアとしてビダダリ(Bidadari)があげられています。
ビダダリ(Bidadari)は、シンガポールの中央に位置するトア・パヨ(Toa Payoh)の一部で、近年、大規模な開発が行われているエリアです。
このエリアにはかつて墓地がありました。1996年、政府が墓地跡を開発することを発表。2013年には、HDBが墓地跡を住宅地として開発することを発表しました*2)。2011年にはMRT北東線(MRT North East Line)のウッドレイ(Woodleigh)駅が開業しています。
「ビダダリ団地(Bidadari Estate)は、緩やかに起伏する緑と豊なヘリテージ(遺産)をいかすように計画されています。団地の開発においては、地形と渡り鳥が巣を作ることができる広大な緑地が保護されます。ヘリテージ・ウォーク(Heritage Walk)やアルカフ湖(Alkaff Lake)など、この団地の思い出を伝える場所がもうけられます。バートリー・ロード(Bartley Road)からアッパー・セラングーン・ロード(Upper Serangoon Road)まで、団地内を通り抜ける全長1.6kmのビダダリ・グリーンウェイ(Bidadari Greenway)は、住民の活動拠点となります。」
※HDBギャラリーの展示の翻訳。
ここで紹介されているヘリテージ・ウォーク(Heritage Walk)、アルカフ湖(Alkaff Lake)はまだ開発中ですが、既にいくつかのHDBの団地(集合住宅)が完成しています。
(手前がアルカフ湖のあるビダダリ公園)
(ビダダリ・グリーンウェイ)
アルカフ・コートビュー
アルカフ・コートビュー(Alkaff CourtView)は、MRTのウッドレイ駅の南に位置するHDBの団地で、HDBの優れたプロジェクトに与えられる「HDBアワード2022」を受賞しています。
- 竣工年:2020年
- 住戸数:1,258戸
- 住棟数:6棟
- 最高階数:17階<*3)/li>
アルカフ・コートビューの共用空間の特徴として、ソーシャル・ベランダ(Social Verandah)があります。ソーシャル・ベランダは、敷地の西を走るアッパー・セラングーン・ロード沿いにもうけられた屋根のある幅の広い通路で、保育所(Child Care Centre)、管区パヴィリオン(Precinct Pavilion)、バス停をはじめ、住棟間の緑地(Common Green)、住棟1階のヴォイド・デッキ(Void Deck)にもうけられたコミュニティ・リビングルーム(Community Living Room)など団地内の重要な場所をつないでいます。また、マーケットのための場所としても使われるということです。
(アルカフ・コートビュー)
(ソーシャル・ベランダ)
(アッパー・セラングーン・ロード側からみたソーシャル・ベランダ)
(住棟間の緑地)
(コミュニティ・リビングルーム)
住棟間には駐車場が配置されていますが、おおよそ北側部分と南側部分で異なっており、北側部分の駐車場は屋上(2階レベル)が庭園とされています。南側部分の駐車場の上階は保育所(Child Care Centre)、アクティブ・エイジング・ハブ(Active Aging Hub)をはじめ各種のサービスを提供する施設が集まるコミュニティ・モール(Community Mall)とされています。
(駐車場の屋上の庭園)
(正面の建物がコミュニティ・モール)
ビダダリ・グリーンウェイを挟んで東に位置するHDBの団地、アルカフ・レイクビュー(Alkaff LakeView)との間には、駐車場の屋上の庭園のレベル(2階レベル)で歩行者専用のブリッジがかけられています。さらに、アルカフ・レイクビューと次に紹介するアルカフ・オアシス(Alkaff Oasis)の間にも歩行者専用のブリッジがかけられており、歩行者専用道路と車道の立体交差によって歩車分離が実現されています。
(アルカフ・コートビューとアルカフ・レイクビューを結ぶ歩行者専用のブリッジ)
アルカフ・オアシス
アルカフ・オアシス(Alkaff Oasis)は、アルカフ・コートビューの南東に位置するHDBの団地で、HDBの優れたプロジェクトに与えられる「HDBアワード2023」を受賞しています。
- 竣工年:2021年
- 住戸数:1,594戸
- 住棟数:16棟
- 最高階数:17階<*4)/li>
アルカフ・オアシスは最高階が17階の16棟の住棟からなる1,594戸の大規模な団地で、16棟の住棟は囲み型に配置されているのが特徴です。住棟間には立体駐車場が配置され、立体駐車場の屋上(5階レベル)は庭園(Rooftop Garden)になっています。屋上庭園は植栽がされ、ベンチ、遊具、健康器具が置かれたコーナーがもうけられています。
アルカフ・オアシスは、敷地の外から見ると高層の住棟が壁のように聳え立っているように見えますが、住棟間には屋上庭園として広いスペースがもうけられています。
(アルカフ・オアシス)
(立体駐車場の屋上の庭園)
住棟とビダダリ・グリーンウェイの間には緑地帯がもうけられており、遊歩道が走っています。住棟1階のヴォイド・デッキ(Void Deck)には、アルカフ・コートビューと同じくコミュニティ・リビングルーム(Community Living Room)がもうけられている場所もあります。
(ビダダリ・グリーンウェイ沿いの遊歩道)
(コミュニティ・リビングルーム)
ウッドレイ・グレン
ウッドレイ・グレン(Woodleigh Glen)は、MRTのウッドレイ駅の北に位置するHDBの団地で、この団地も「HDBアワード2023」を受賞しています。
- 竣工年:2021年
- 住戸数:668戸
- 住棟数:8棟
- 最高階数:14階<*5)/li>
ウッドレイ・グレンの特徴は、複数のレベルに共用空間としての歩道や庭園がもうけられていること。
住棟間の1階レベルには、ビレッジ・ストリート(Out Village Street)と呼ばれる南北に細長い歩道がもうけられています。植栽がなされ、所々にベンチが置かれています。
2階レベルには、ビレッジ・ストリートを挟むように歩道(Elevated Green Breezeway)が走っており、ビレッジ・ストリートを見下ろすことができます。それぞれの住棟へは2階レベルからもアクセス可能。住棟の入口付近には作り付けのテーブル・ベンチを備えたコミュニティ・リビングルーム(Community Living Room)がもうけられるなど、住棟内外を連続させることが考慮されているように感じました。
3階レベルには、ブリッジで繋がれた複数の庭園がもうけられています。庭園は、かつてのアルカフの庭園(Alkaff gardens)をモチーフにしたものだとのこと。庭園には、ベンチ、遊具、健康器具が置かれたコーナーがもうけられています。
ビダダリ公園に面した住棟の10階レベルには、バードウォッチング・スカイテラス(Bird-Watching Sky Terraces)と呼ばれる庭園がもうけられており、ここからはビダダリの街を一望することができます。
一般的に団地は、大規模になるほど単調な景観になってしまいますが、ウッドレイ・グレンは複数のレベルに歩道や庭園がもうけられていることで、変化に富んだ、圧迫感を与えない景観を実現しているように感じました。
(ウッドレイ・グレン)
(1階レベルのビレッジ・ストリート)
(2階レベルの歩道)
(コミュニティ・リビングルーム)
(3階レベルの庭園)
(バードウォッチング・スカイテラス)
ウッドレイ・グレンの南には、ウッドレイ・ヴィレッジ(Woodleigh Village)という同じく「HDBアワード2023」を受賞している複合施設があり、まだ工事中でしたが、両者を結ぶ歩行者専用のブリッジが作られるようです。
また、ウッドレイ・グレンの北は緑地になっており、緑地の延長としてビダダリ公園につながるブリッジが建設されていました。
(ビダダリ公園につながるブリッジ)
ビダダリに近年開発された3つのHDBの団地をご紹介しました。これらの団地を実際に歩いて、次のようなことが印象に残っています。
□囲み型配置の住棟
いずれの団地も、住棟は平行に配置されるのでなく、中庭を作るように囲み型に配置されています。敷地の外から見ると、高層の住棟が聳え立っているような印象を受けますが、敷地の中に入るとその印象は一変します。
住棟を囲み型配置した団地は、千里ニュータウンの府営住宅にも見られます。千里ニュータウンの府営住宅の場合、住棟間には地上レベルで中庭が作られました。しかし、自家用車の普及に伴って、入居開始後に住棟間の一部が駐車場とされ、中庭が狭くなったところもあります。
団地の規模が大きくなればなるほど、駐車場が巨大になってしまいます。駐車場は不可欠ですが、それでは駐車場をどのように配置するのかという課題が発生します。ここで紹介したシンガポールの3つの団地では、敷地の中央に配置した駐車場の屋上を庭園とし、屋上庭園にアクセスしやすくすることで、この課題に対応することが考えられていると感じます。
□団地を連結する歩行者専用のブリッジ
3つの団地は、いずれも隣接する団地と歩行者専用のブリッジで結ばれており、歩行者は車にあうことなく移動するという歩車分離が実現されています。
敷地内だけでなく、街全体で歩車分離を実現する試みは、千里ニュータウンの歩行者専用道路と共通するものとして興味深いと感じました。
□ヴォイド・デッキとコミュニティ・リビングルーム
HDBの住棟の特徴として、1階レベルにもうけられたヴォイド・デッキをあげることができます。ここで紹介したアルカフ・コートビュー、アルカフ・オアシスは、1階レベルのヴォイド・デッキにコミュニティ・リビングルームがもうけられていました。
これに対して、ウッドレイ・グレンにも1階レベルのヴォイド・デッキを見かけましたが、コミュニティ・リビングルームは2階レベルに移されており、HDBの住棟が変化していることが伺えます。
□組み合わせの工夫
いずれの団地にも屋上庭園、ベンチ、遊具、健康器具、コミュニティ・リビングルーム、管区パヴィリオンなど、共用空間を構成する要素には、細かなデザインは異なるものの、共通点が見られることがわかります。それぞれの団地で異なるのは、アルカフ・コートビューのソーシャル・ベランダ、アルカフ・オアシスの立体駐車場の屋上庭園、ウッドレイ・グレンの複数レベルの歩道や庭園というように、これらの要素と、住棟、駐車場の組み合わせ方。同じ要素でも組み合わせ方の違いによって、それぞれ個性のある団地になるのだということも印象に残っています。
■注
- 1)HDBギャラリーの詳細はこちらを参照。
- 2)Wikipedia「Bidadari, Singapore」のページより。
- 3)99.coの「Alkaff CourtView」のページより。
- 4)99.coの「Alkaff Oasis」のページより。
- 5)99.coの「Woodleigh Glen」のページより。竣工年のみMND Linkの「Woodleigh Glen BTO Project: Infusing Innovative Design with Smart Technology」のページより。