『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

ひがしまち街角広場:「結果としての福祉」が実現される場所

2021年9月10日、2021年度日本建築学会大会(東海)において、福祉起点型共生コミュニティと新しい地域拠点計画のあり方検討特別調査委員会の主催により研究協議会「福祉からはじまる地域共生コミュニティの場の可能性」が開催されました。この研究協議会の資料集に、千里ニュータウンの「ひがしまち街角広場」についての記事を寄稿しました。

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ひがしまち街角広場:「結果としての福祉」が実現される場所

1.結果としての福祉

福祉は、「幸福。特に、社会の構成員に等しくもたらされるべき幸福」注1)という意味をもつが、これを実現するための障害者、生活保護受給者、高齢者など一般的に社会的弱者と見なされる人々に対するサポートやセーフティーネットの意味で用いられる場面も多い注2)。本稿で紹介する大阪府千里ニュータウンの居場所(コミュニティカフェ)である「ひがしまち街角広場」は、一般的に社会的弱者と見なされる人々に対するサポートやセーフティーネットの機能を担っているが、注目すべきは、このような機能を担うことを目的として開かれたのではなく、運営の結果としてこのような機能を担うようになってきたことである。
筆者は、「ひがしまち街角広場」をはじめとする各地の居場所から、居場所と施設では機能の位置づけが異なっていることを教わった。居場所では運営の結果として機能が備わっていくのに対して、施設ではあらかじめ機能が設定されているということである(田中康裕, 2021)。本稿では、「ひがしまち街角広場」で実現されている「結果としての福祉」について考察したい。

2.地域の人々が求めた場所

2000年、千里ニュータウンの1住区である新千里東町が建設省(現・国土交通省)の「歩いて暮らせる街づくり事業」のモデルプロジェクト地区に選定され、事業で行われた住民へのアンケート、ヒアリング、ワークショップをふまえ「7つのまちづくり提案」がなされた。その1つが、「近隣センターを生活サービス・交流拠点へ」という提案である(山本茂・宮本京子, 2001)。この提案を受けた豊中市の社会実験として、2001年9月30日に近隣センターの空き店舗を活用して開かれたのが「ひがしまち街角広場」である(写真1, 2)注3)。
「ひがしまち街角広場」初代代表の赤井直さんは、次のように話す。「ニュータウンの中には、みんなが何となくふらっと集まって喋れる、ゆっくり過ごせる場所はありませんでした。そういう場所が欲しいなと思ってたんですけど、なかなかそういう場所を確保することができなかったんです」注4)。ニュータウンとは暮らしに必要な機能を割り出し、それらの機能を学校、病院、集会所、店舗など種々の施設に割り当てる方法によって作られた街だと捉えることができる。実際、このようにして計画されたニュータウンを歩くと、種々の施設が整った街だという印象を受ける。ところが、種々の施設を整えるだけでは地域の人々が切実に求めていた「みんなが何となくふらっと集まって喋れる、ゆっくり過ごせる場所」は実現されなかったのである。「ひがしまち街角広場」を地域の人々が求めていたことは、割り出した機能を種々の施設に割り当てる方法によって街を作ることに対する大きな問題提起となっている。
当初、「ひがしまち街角広場」は2001年12月末までの約3か月間だけ、社会実験として運営される計画であった。しかし、せっかく開いた場所を閉鎖するのはもったいないという地域からの声に応えるかたちで、社会実験は2002年3月末まで延長された。そして、社会実験終了後には地域の人々による自主運営として継続されることになった。
オープン時の空き店舗の改修などの費用と、社会実験期間中の運営費は豊中市が負担していたが、自主運営が始まってからは豊中市からの補助を一切受けておらず、コーヒ、紅茶などの飲物の100円の「お気持ち料」と、夕方以降と定休日の会場使用料によって家賃、光熱水費など全ての費用を賄っている。自主運営を始めるにあたっては、来訪者がおらず赤字になった場合は、補助金を受けてまで無理に運営を続けないことが確認された。このこの背景には、来訪者がいない状況は、「ひがしまち街角広場」が地域で求められていないことを意味するという考えがある。
現在、新千里東町の近隣センターは再開発が進められている。再開発によって運営に活用できる店舗を確保できなくなることが直接的なきっかけとなり、「ひがしまち街角広場」は2022年夏頃に、20年以上にわたる運営の幕を下ろすことが決まっている注5)。

(写真1)近隣センターの空き店舗を活用した場所

(写真2)日常の様子

3.「ひがしまち街角広場」の運営

3-1.プログラムのない日常の場所

「ひがしまち街角広場」は2001年9月のオープンから2002年1月までは週7日、2002年2月からは日曜を除く週6日、11~16時に運営されてきた注6)。運営時間中はボランティアの当番が滞在し、飲物を100円の「お気持ち料」で提供している。食事は提供されていないが、お弁当や購入した食事の持ち込みは自由である。
毎日運営されている理由は、「みんなが何となくふらっと集まって喋れる、ゆっくり過ごせる場所」を実現するためには、「いつでも行ったら開いてる安心感」が大切だと考えられたからである。「週に1回とか、月に何回っていうのは、誰でもいつでも行ってみようかと思った時に行けない、自由に出入りできない。『あぁ今日行ったら閉まってたわ』、『今日はお天気悪いから閉まってたわ』ってなったら、『行ったら開いてるかな?』と心配になったら、来てもらえないようになるから、いつでも行ったら開いてる安心感が一つの目的で毎日やっておりました」。
「ひがしまち街角広場」ではプログラムは行われていない。ただし、社会実験期間中は展示会、フリーマーケット、体験教室などのプログラムが定期的に行われていた。自主運営が始まってから、プログラムは次第に行われなくなっていったという経緯がある。「色んな行事というか、そういうことをやっても、結果的にはやっぱりみんなイベントよりも、ゆっくりただ座ってお茶飲んでしゃべっていくぐらい。そうなったら、今日はマッサージの日とか、何とかの勉強会の日とか、何とかの講習会の日っていうのは、あまり意味のないことだと思う」、「メインがだんだん、みなの希望としてお茶飲む場所っていうことになったんですね」。このようにして、「ひがしまち街角広場」は地域の人々が求める、プログラムのない日常の場所として定着していったのである。

3-2.緩やかな主客の関係

「ひがしまち街角広場」には、1日に約35人が訪れ続けている。多い時には、1日の平均が50人を超える月もある。来訪者の中心は高齢者だが、来訪者が属性によって限定されているわけではない。子どもたちが学校帰りに立ち寄ることは学校公認で、子どもたちが水を飲みに立ち寄ったり(写真3)、近隣センター隣の幼稚園に子どもを預けている母親グループが集まったりすることもある。来訪者の多くは、飲物を飲みながら当番や他の来訪者と話をして過ごすが、無理に会話に参加することが求められるわけでなく、本や新聞を読むなど一人で過ごす人もいる(写真4)。テーブルは2人掛けと4人掛けの小さなもので、テーブルや椅子は人数に応じて、当番や来訪者が自由に動かすことができる。
運営を担うのは15人ほどのボランティアで、2~3人ずつ交代で当番を担当している。ボランティアのほとんどが、新千里東町に住む女性である。オープン当初、当番の人数を確保するために自治会連絡協議会、公民分館、校区福祉委員会、地域防犯協会の既存の団体に、当番の担当日を割り振っていた。しかし、オープンからしばらくすると既存の団体に所属していない人が入りにくい雰囲気になってきたという。そこで、以降は既存の団体とは関係なく個人としてボランティアの当番になるように変更されている。現在の当番の中には、オープン当初に既存の団体のメンバーとして運営に関わり、その後は個人として当番を続けている人もいれば、既存の団体とは無関係に個人として当番になった人もいる。
当番は、給与や交通費など金銭の支給を受けない無償ボランティアである。わずかでも金銭の支給を受けるとサービスする側/される側に関係が固定されてしまう。きちんとした金額の給与を支払えるならそれでもよいが、給与を支払うとしても中途半端な金額にしかならない。それなら無償ボランティアにする方がよいと考えられてのことである。「いくらかでもお金をもらってるとなったら、・・・・・・、お金を出した方ともらってる方になりますよね。それよりも、みんなどっちもボランティア。来る方もボランティア、お手伝いしてる方もボランティアっていう感じで、いつでもお互いは何の上下の差もなく、フラットな関係でいられるっていうのがあそこは一番いい」。
このように話されている通り、「ひがしまち街角広場」では当番と来訪者が共に話をしている光景が頻繁に見られる(写真5)。来訪者の中には、忙しくなったらコーヒーを運ぶのを手伝ったり、テーブルの後片付けを手伝ったりする人もいる。写真や絵画を展示したり、竹細工を展示したりする人もいる。お土産などを差し入れる人もいる。地域への還元として行われる10月の周年記念行事にも、多くの人々の協力がなされた(写真6)注7)。「ひがしまち街角広場」は多くの人々の協力によって成り立っているのである。

(写真3)水を飲みに立ち寄る子どもたち

(写真4)一人で過ごす人もいる

(写真5)一緒に話をする当番と来訪者

(写真6)10月の周年記念行事に協力する人々

4.「ひがしまち街角広場」が生み出したもの

4-1.目の前の人への対応

ひがしまち街角広場」では、例えば、独居の高齢の女性を引越し作業中に見守ったり、ガスを止められた人にお湯を提供したり、泣いていた子どもを母親が帰宅するまで預かったりするという出来事があった。次のように、独居の高齢の男性が「ひがしまち街角広場」で倒れたという出来事もあったという。「コーヒーを出した途端にふ~っと横になって、慌てて椅子を並べて寝てもらって。独居老人ですからね、担当の民生委員さんがどこの人だっていうことは聞いてたからすぐ連絡して。それで救急車で行かれたんですよ、病院へ。・・・・・・。ある日、パジャマのまま病院から来てはるんですよ。民生委員さんから『もう無事退院されましたので、ありがとうございました』って電話かかってきてんけど、『いや、もう『街角』に今、座ってはるねん。パジャマのままで』って、『え~、家帰らんと『街角』行きはった』言うて、民生委員さんがびっくりされたこともありますね」。
ここで紹介したのはごく一部だが、「ひがしまち街角広場」は一般的に社会的弱者と見なされる人々に対するサポートやセーフティーネットの機能を担ってきた。ただし、「ひがしまち街角広場」をこのような機能を担うことを目的として開かれた場所だと捉えてはならない。
「ひがしまち街角広場」は毎日運営されており、運営時間内には当番をはじめ地域の誰かが滞在している。対象者が属性によって限定されておらず、プログラムも行われていない。こうした運営のあり方は、プログラムに参加するのではないかたちで、地域の人々が互いに目の前にいるという状況を日常的に生み出している。多くの場合、この状況は緩やかな見守りになっているが、先に紹介した独居の高齢の女性、ガスを止められた人、母親が留守で泣いていた子ども、倒れた独居の高齢の男性など、目の前にいる人が何らかの助けを求めた場合には、見守りから一歩踏み込んだ「それぞれに応じたものを、その場でできる」かたちでの対応が行われる。これが、「ひがしまち街角広場」が実現している「結果としての福祉」である。
「応じたっていうことがものすごい大事なんですよ。それぞれに応じたものを、その場でできるというのが。青少年とか、成人期とか、高齢者とかに応じたじゃなくて、同じ成人でも色んなレベルの人がいるでしょ。だから、どこにも応じたことがやれる場所じゃないといかんわけでしょ、こういうところっていうのは。枠にはまってない、枠からはみ出た人には対応できないって言ったらだめじゃないですか」。ここで重要なのは、「青少年とか、成人期とか、高齢者とかに応じたじゃなくて」というように、目の前の相手がある属性の人だから対応が行われるのではなく、「色んなレベルの人」、「枠にはまってない、枠からはみ出た人」というように、何らかの助けを求めている顔の見える存在だからこそ対応が行われることである。「ひがしまち街角広場」が生み出す目の前に人がいる状況は、地域の人々をある属性ではなく、顔の見える存在として浮かびあがらせている、つまり、地域を可視化するものなのである。
地域を可視化するという観点に注目すると、「ひがしまち街角広場」は次のような意味でも地域を可視化してきたことがわかる。

4-2.地域情報の交差点

「ひがしまち街角広場」の表には掲示板が設置されている(写真7)。掲示板を活用して学校の情報を地域に発信してはどうかという「ひがしまち街角広場」からの呼びかけにより、掲示板には小中学校の学校通信が貼られることになった。この他にも、2か月に1度発行されている地域新聞『ひがしおか』、地域行事の案内、ポスターなど様々なものが掲示板に貼られている。壁などのスペースは作品発表のために開放されており、地域の人々の写真や川柳、竹細工などが展示されている。
このような機能を赤井直さんは「地域情報の交差点」と表現する。「何となくふらっと集まって喋れる、ゆっくり過ごせる場所」は、地域情報を伝えたり、作品を発表したりする場所として相応しいのである。「ひがしまち街角広場」自体が「地域情報の交差点」というメディアになることで、地域にどのような情報があるのか、どのような特技を持つ人々がいるのかなどを浮かびあがらせている。

4-3.新たな活動の立ちあげ

「ひがしまち街角広場」には、新たな活動を立ちあげるきっかけになってきたという側面もある。以前活動していた「写真サークル・あじさい」は、壁に展示されていた写真を見た人が、このような写真を撮れるようになりたいと希望したことがきっかけとなり、写真を展示していた人を講師とするサークルとして立ちあげられた。
「千里竹の会」(2003年設立)は、「ひがしまち街角広場」で公園の竹薮が荒れているという話題が出たことがきっかけとなり、「ひがしまち街角広場」での話し合いを通して立ちあげられたグループで、公園内の竹林整備、間伐した竹を使った竹細工・竹炭づくりを行っている。千里ニュータウンのお土産の作成・販売、歴史の収集・発信を行う「千里グッズの会」(2002年設立、2012年から「ディスカバー千里」として活動)注8)、住まいのサポートと街の再生についての活動を行う「千里・住まいの学校」(2004年設立。2006年NPO法人化)は、「ひがしまち街角広場」に集まった地域の人々、専門家、大学教員、学生らによって立ちあげられたグループである。現在、これらのグループはいずれも「ひがしまち街角広場」の枠を越えてた活動を展開している。
2017年から「ひがしまち街角広場」は、「千里竹の会」、「ディスカバー千里」など関わりのあるグループと連携し、東町公園で「竹林清掃&地域交流会」を主催しており、地域の人々が自分たちの地域の環境を維持管理する拠点としての機能も担うようになった(写真8)。
地域の団体が会議を開くための機能を担う場所として、集会所や公民館をあげることができる。ただし、集会所や公民館は体制が整い、活動目的や内容がはっきりしている団体が利用する場所としては適している反面、メンバーを集めたり、活動目的や内容をはっきりさせたりするなど、これから活動を立ちあげていく段階では利用しにくい。新たな活動は、必ずしも集会所や公民館における会議を通して立ちあげられるわけでなく、「みんなが何となくふらっと集まって喋れる、ゆっくり過ごせる場所」における会話から生まれることもある。
「ひがしまち街角広場」は新たな活動を立ちあげるきっかけとなることで、地域にどのような課題があるのか、その課題に対してどのように取り組もうとしている人々がいるのかなどを浮かびあがらせている。

(写真7)表の掲示板

(写真8)竹林清掃&地域交流会

5.地域の可視化

「ひがしまち街角広場」は地域情報を伝えたり、作品を発表したり、新たな活動を立ちあげたり、地域の環境を維持管理する拠点になったりというように多くの機能を担ってきた。一般的に社会的弱者と見なされる人々に対するサポートやセーフティーネットは、「ひがしまち街角広場」が結果として担うことになった機能の一部である。「ひがしまち街角広場」がこのように多くの機能を担うことになったのは、「みんなが何となくふらっと集まって喋れる、ゆっくり過ごせる場所」として、地域を可視化しているからである。
地域の可視化を通して「結果としての福祉」が実現されることと、あらかじめ想定した対象者にサポートやセーフティネットとしての福祉を提供することとは、担っている機能のみを取り出せば同じように見えるかもしれない。しかし、あらかじめサポートやセーフティネットの対象となる人々を想定するプロセスは、ある属性によって人々をカテゴライズすることと不可分である。このカテゴライズにより、ある属性をもった人々がサポートやセーフティネットの受け手として認識されることで、社会的なものとして弱者が生み出されてしまう。
「ひがしまち街角広場」のあり方はこれとは異なる。「枠にはまってない、枠からはみ出た人には対応できないって言ったらだめ」と赤井直さんが話していたように、「ひがしまち街角広場」では相手が弱者としてカテゴライズされているからではなく、目の前で何らかの助けを求めている顔の見える存在だからこそ、「それぞれに応じたものを、その場でできる」かたちでの対応がなされている。「結果としての福祉」とは、弱者を社会的なものとして生み出すことなく、人々が幸福な状況を実現する。

謝辞
本稿の執筆においては、「ひがしまち街角広場」代表の太田博一氏から貴重なご意見をいただきました。心より感謝申し上げます。

  • 1)『スーパー大辞林3.0』より。
  • 2)例えば、厚生労働省の分野別の政策一覧のページでは、「福祉・介護」というように福祉と介護が一括りにされており、「福祉・介護」のカテゴリーの中に「障害者福祉」、「生活保護・福祉一般」、「介護・高齢者福祉」の3つが位置づけられている。https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/
  • 3)「ひがしまち街角広場」の詳細はウェブサイト(https://machikado-hiroba.site)、及び、田中康裕(2021)を参照。
  • 4)本稿で引用している「ひがしまち街角広場」についての発言は、全て赤井直さんの発言である。
  • 5)新千里東町は、千里ニュータウンの12住区の中で唯一、全ての住宅が集合住宅である。そのため、他の地域のように運営に活用できる空き家(戸建住宅の空き家)がそもそも存在しない。このことは、地域の人々が活動場所を確保するのを困難にする大きな要因になっている。
  • 6)新型コロナウイルス感染症の拡大を受け、2020年3~5月は臨時休業になり、運営再開後の2020年6月からは月曜~金曜の11~16時の週5日の運営となった。そして、近隣センターの再開発に伴い、2021年6月からは水・木曜の11時~16時と金曜の11~13時に運営日時が短縮されている。
  • 7)10月周年記念行事は、2013年の12周年記念までは毎年行われ、その後、2016年に15周年記念が行われた。
  • 8)筆者は2004年から「千里グッズの会」に参加し、その後、「ディスカバー千里」にも参加している。

参考文献