『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

全国ホームホスピス協会の全国合同研修会:一方的な支援から助け合い/何気ない日常へ

先日(2018年12月1日(土))、仙台で開催された全国ホームホスピス協会の全国合同研修会〈暮らしの中で“死にゆく”こと〉に参加させていただきました。

ホームホスピスとは「病いや障がいがあっても最期までその人らしく暮らせる「家」」であり、ウェブサイトには次のようにも紹介されています。

「ホーム(home)には地域や家族という意味もありますから、私たちは住み慣れた地域の中にあるもう一つの「家」にケアを必要とする人々が暮らし、ホスピスケアのチームが入ってサポートする仕組みを「ホームホスピス®」と呼んでいます。」
*「一般社団法人全国ホームホスピス協会」ウェブサイトより。

全国合同研修会では、ホームホスピスとは既存の制度からもれ落ちた人々に対応する場所であり、施設ではなく普通の家を使って普通の暮らしをする場所、地域の中で暮らせる場所。何度も繰り返されていたのは、ホームホスピスとは既存の制度の外側にあるもので、(制度に基づいた)施設ではない「家」だということ。
ホームホスピスが問いかけるのは制度とは何か、地域で暮らすとは何かという問いであり、全国合同研修会でもこの議論がなされました。

日本で最初に開かれたホームホスピスは、2004年に宮崎市に開かれた「かあさんの家」。2018年9月1日現在、全国41ヶ所で開かれており、5ヶ所が開設に向けた準備中。全国合同研修会には、既にホームホスピスを開いておられる方、これからホームホスピスを開こうとされている方、様々なかたちで支援されている方などが参加されていました。
ある方が、ホームホスピスとは、ホームホスピスという事業を行なっているのではなく、ムーブメントだと話されていましたが、全国合同研修会は新たな動き(ムーブメント)が広がりつつある場所に居合わせているような印象を受けました。

日本では2000年頃から、コミュニティ・カフェ(まちの居場所)が各地に開かれています。既存の制度・施設の枠組みから漏れ落ちたものに対応するために、地域で暮らす人が自らの手で開いた場所であること、開設者・運営者は顔の見える「主」(あるじ)として場所を運営していること、開設者・運営者は女性が多いこと、空き家や空き店舗など既存のストックを活用して開かれている場所が多いこと、2000年代という時期など、コミュニティ・カフェ(まちの居場所)とホームホスピスには多くの共通点があることもわかりました。全国合同研修会でお会いしたホームホスピスを実践されている方々の姿からは、これまでコミュニティ・カフェ(まちの居場所)でお会いした方々が思い浮かぶようでした。ホームホスピスのムーブメントとは、コミュニティ・カフェ(まちの居場所)にも関わる大きなもので、既存の社会を再構築しようとするものだと言ってよいのかもしれません。

全国ホームホスピス協会のニュースレター「たんぽぽ」には次のように書かれています。

「ホームホスピスには、一人一人に合わせた「ケア」と「器(住まい)」があり、受け入れに当たっては、病気の症状や障害の程度、年齢などの制限を設けていません。がん末期で認知症や神経難病など医療の依存度が高く、また重度の介護状態であると、病院でも施設でも受け入れを敬遠されます。自宅が無理なら病院か施設へと選択を迫られる現状に、「ここに居ていいよ。ここがいい」という居場所づくりだともいえます。居場所とは、もちろん安心して暮らす場所でもありますが、自分の存在が認められ、敬われていると確信が持てるところではないでしょうか。」
*市原美穂「ご挨拶 全国ホームホスピス協会の役割」・『たんぽぽ』一般社団法人ホームホスピス協会 第2号 2017年9月30日

最後の言葉は、まさにコミュニティ・カフェ(まちの居場所)にも当てはまります。こうした理由が、全国合同研修会のシンポジウムにお声がけいただいた理由だったのだと考えています。

全国合同研修会では、奥田知志氏による基調講演「制度にない制度を考える」が行われました。奥田知志氏は日本バプテスト連盟東八幡キリスト教会の牧師、ホームレス支援を行う認定NPO法人抱樸の理事長、そして、大船渡の「居場所ハウス」でも協力いただいている公益財団法人共生地域創造財団の代表理事などをつとめておられる方です。

奥田氏は、戦後の日本の社会構造は「家族・企業」と」制度」によって成立していたが、「家族・企業」の役割が縮小することで、両者の間には狭間が生じていると指摘。例えば、従来の企業は家族をまるごと扶養していた(第3号被保険者など)が企業はその余裕を失いつつある。そして、家族もかたちを変えつつある。
奥田氏は、人が制度につながれない背景には、多くの制度は家族を前提としていること、制度の対象ではないが何らかの支援を必要とする人がいることの2つがあると指摘。そして、制度の対象ではないが何らかの支援を必要とする人の支援は、家族が引き受けていたが、今はそれができなくなっているのだと。これはホームレス支援の場面だけでなく、例えば、人口減少が進む地方の介護の場面などにも相当することです。奥田氏は「制度を既存の枠組みと考えると、最大の枠組みは「家族」だったのではないか」とも話されていました。

そこで奥田氏が重視するのが家族機能の社会化、あるいは、社会的相続。これは「社会とは、赤の他人が赤の他人のために健全に傷つけること」、「赤の他人がお葬式を出せる社会」という言葉に現れていると思います。

奥田氏は家族機能として、「①家庭内サービスの提供」、「②記憶の装置」、「③家庭外資源活用——つなぎ・もどしの連続的行使」、「④役割付与」、「⑤何気ない日常」の5つをあげ、社会的相続とはこれを赤の他人ができるようになることだと話されています。
「①家庭内サービスの提供」は例えば食事を作ったり、病気の看護をしたり、教育したり、介護したりすること。この部分は社会化が進みつつある。「②記憶の装置」は、例えば既往歴を把握したり、その人の生き方を語ったりすること。赤の他人がお葬式をあげることの難しさの1つに、赤の他人は、家族のようにはその人の記憶を持っていないから。「③家庭外資源活用——つなぎ・もどしの連続的行使」は、例えば「あの病院は評判がいい」、「あの病院は評判が悪い(から行かない方がいい)」などの情報を与えることで、社会資源をコーディネートしたり、淘汰したりすること。奥田氏は、日本における支援論では①②③は行われているが、あくまでも問題をどう解決するかに焦点があてられており、次の④⑤が十分ではないと指摘されていました。
「④役割付与」とは、例えば小さな子どもでも仏壇にご飯をお供えしたりするなど、家族とはそれぞれが役割を持つことで、助けたり助けられたりするものであること。そして、「⑤何気ない日常」は、家族とは何気ない日常が行われるところであり、その延長線上に葬儀があるのだと。

一方的な支援ではなく、助け/助けられるという関係の反転が生じること、何気ない日常を大切にすること。これは、コミュニティ・カフェ(まちの居場所)でも大切なことです。そして、ある場所において繰り広げられる「何気ない日常」を、その価値を毀損することなくどう把握していけるか、言語化できるか。これは、建築を学んだ者が貢献できる1つのことだと思いました。


奥田氏は著書で次のようにも述べておられます。

「私は正直にいうと、誰かと出会うことが怖い。傷つくからだ」と述べる奥田氏は、同時に「傷つくことなしに誰かと出会い、絆を結ぶことはできない」と。

「誰かが自分のために傷ついてくれる時、私たちは自分は生きていていいのだと確認する。同様に自分が傷つくことによって誰かが癒されるなら、自らの存在意義を見出せる。絆は、自己有用感や自己尊重意識で構成される。これが絆の相互性という中身だ。」
*奥田知志「絆は傷を含む――弱さを誇るということ」・茂木健一郎 奥田知志『「助けて」と言える国へ−人と社会をつなぐ』集英社新書 2013年

そこで奥田氏が提案するのは、「傷ついても倒れない仕組み」を作ること。奥田氏は次のように「社会は傷を分配する仕組み」、「健全に傷つくための仕組み」だと指摘、

「社会は傷を分配する仕組みである。自己責任や身内の責任のように、一部の人に傷を負わせるのではなく、再分配する。それが、社会というものだ。」
*奥田知志「絆は傷を含む――弱さを誇るということ」・茂木健一郎 奥田知志『「助けて」と言える国へ−人と社会をつなぐ』集英社新書 2013年

「社会というのは、〝健全に傷つくための仕組み〟だと私は思います。傷というものを除外して、誰も傷つかない、健全で健康で明るくて楽しいというのが「よい社会」ではないと思います。本当の社会というのは、皆が多少傷つくけれども、致命傷にはならない仕組みです。」
*奥田知志 茂木健一郎「〈対談〉真のつながる力とは何か」・茂木健一郎 奥田知志『「助けて」と言える国へ−人と社会をつなぐ』集英社新書 2013年

参考

(更新:2018年12月11日)