『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

まちの居場所の可能性を考える

最近、ある方からの依頼を受け、居場所、「まちの居場所」(コミュニティ・カフェ、茶の間、サロンなど)についての原稿を書かせていただきました。学生の頃から考えていたこと、これまでに訪問した場所のこと、最近訪問した場所のこと、最近議論したことなどを改めて振り返って書いたものです。
現在社会において、施設でない場所としての「まちの居場所」がもつ可能性は、人が集団の中の1人として扱われるのではなく、個人として居られるということ、それと同時に、その個人とは個人とが孤立せずに居られるということだと考えています。介護予防に効果があるとか、孤立防止に役立つとかというように、「まちの居場所」を何かの手段として捉えるのではなく、そこに居られること自体に意味がある。だからこそ、居られること自体を豊かなものとして描き、それを共有する作業が大切なのだと思います。

「まちの居場所」の可能性を考える

1.「まちの居場所」をめぐる近年の動き

2000年頃からコミュニティ・カフェ、地域の茶の間、まちの縁側、宅老所などの新たなタイプの場所が、時には専門家抜きに、同時多発的に開かれてきた。これらの場所は介護、生活支援、育児中の親の孤立防止、退職後の地域での暮らし、貧困といった切実な、けれども、従来の施設・制度の枠組みでは十分に対応できない課題に直面した人々が、自分たちの手で課題を乗り越えるために開かれた場所。これらの場所でしばしばキーワードとされるのが居場所であり、筆者らはこのような場所を「まちの居場所」と名づけ注目してきた(日本建築学会, 2010)。

大阪府の千里ニュータウンに「ひがしまち街角広場」という場所がある。2001年9月30日のオープンから約15年間にわたって、近隣センター(商店街)の空き店舗を活用し、住民ボランティアの手により運営され続けてきた「まちの居場所」である(写真1, 2)。
「ひがしまち街角広場」の元代表は「ニュータウンの中には、みんなが何となくふらっと集まって喋れる、ゆっくり過ごせる場所はありませんでした。そういう場所が欲しいと思ってたんですけど、なかなかそういう場所を確保することができなかったんです」と話す。学校、病院、集会所、店舗など種々の施設が計画的に配置された千里ニュータウンにおいて、この言葉がもつ意味は大きい。施設においては、例えば学校は教師が子どもを教育する場所、病院は医者が患者を治療する場所というように、人はある特定の属性・役割をもつ存在と見なされ、特定の目的を達成することが期待される。集会所は人々が集まるための施設であるが、会議の時以外は鍵がかかっており、日常的に人々が出入りできないことが多い。上にあげた言葉は、種々の施設を整えるだけでは、「みんなが何となくふらっと集まって喋れる、ゆっくり過ごせる場所」は実現できないことを述べているのである。このことを痛感した住民自らが生み出し、運営を続けている施設ではない場所が「ひがしまち街角広場」である。
「ひがしまち街角広場」は日曜を除く週6日、11時~16時に運営されており、コーヒー、紅茶などの飲物が100円で提供されている。5月のたけのこ祭り、10月の周年記念行事以外にはプログラムはほとんど行われておらず、訪れた人々は飲物を飲んだり、話をしたり、新聞や本を読んだりと思い思いに過ごすことができる。来訪者の中心は地域の高齢者だが、小学校の子どもたちが学校帰りに水を飲みに立ち寄る場所にもなっている。

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(写真1)新千里東町の近隣センター

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(写真2)「ひがしまち街角広場で思い思いに過ごす人々」

日々の運営を担うのは高齢の女性を中心とする約10人のボランティア。ただしボランティアも来訪者も千里ニュータウンで暮らしてきた住民という点では同じ立場。そのため「ひがしまち街角広場」では両者の関係がサービスをする側/される側と明確に分かれておらず、忙しい時は来訪者も飲物を運ぶ、逆に、時間がある時はボランティアも来訪者と一緒に話をするという光景が見られる。
「ひがしまち街角広場」で見られるのと同じような光景は、多くの「まちの居場所」でも見ることができる。従来の施設は、ある特定の属性・役割をもった人が、特定の目的を達成するための場所として計画されるのに対して、「まちの居場所」は特定の目的がなくても、そこに居られることが大切にされている(注1)。それが結果として、多様な人々が訪れることにつながっている。

近年ではますます多様な「まちの居場所」が開かれており、もはや時代の1つの流れを形作っていると言って過言ではない。2015年、「介護予防・日常生活支援総合事業」(新しい総合事業)が施行された。そこで盛り込まれたサービスの1つに「通いの場」があるが、これはコミュニティ・カフェ、地域の茶の間、まちの縁側などの活動をモデルにしたものだと言える(注2)。当初、草の根の活動として、住民が中心となって試行錯誤を通して運営されてきた「まちの居場所」は、介護予防、生活支援、孤立防止などの効果があることが認識され、それを制度の中に位置づけようとする動きが生まれている。
このように「まちの居場所」に注目が集まっている現在、改めて、居場所とは何か、「まちの居場所」とは何かを振り返ることで、現在社会において「まちの居場所」もち得る可能性を考えてみたい。

2.居場所という言葉

1955年に刊行された『広辞苑(初版)』には既に居場所の項目が掲載されており、「いる所。いどころ。」という説明がなされている。その時点では「いる所。いどころ。」という意味しか持たなかった居場所が、様々な意味合いで使われるようになったのは1980年代になってからである。
居場所をタイトルに含む図書は1980年代の中頃から継続的に出版されるようになる(図1)。1980年代、居場所は「学校に行かない・行けない子どもたち」との関わりで使われていた。当時の状況について萩原(2001)は、「「居場所」という言葉がマスコミにしばしば登場するようになってきたのは、1980年代に入ってからになる。その頃、学校に行かない・行けない子どもたちが目立ち始め、登校拒否現象として社会問題になってきたことと深く関わってのことであ」り、「1980年代半ば、「居場所」といえば、学校に行けない子どもたちのフリースクールやフリースペースをさしていた」と述べている。『まちの居場所』(日本建築学会, 2010)で取りあげた「東京シューレ」はその先駆的な場所である(注3)。

160831居場所をタイトルに含む図書-1.001

(図1)タイトルに「居場所」を含む図書の出版数。CiNii Booksで「タイトル:居場所」「資料種別:図書・雑誌」の条件で検索した結果。ヒット数は305件

当初、「学校の外」(芹沢, 2003)という意味を持っていた居場所という言葉は、その後、行政の文書にも登場するようになる。1992年、文部省委嘱の学校不適応対策調査研究協力者会議がまとめた「登校拒否(不登校)問題について-児童生徒の『心の居場所』づくりを目指して-」と題する最終報告書において、「登校拒否はどの子どもにも起こりうるという観点にたって、学校が子どもにとって自己の存在感を実感でき精神的に安心できる場所(心の居場所)となることが大切であると指摘された」(田中, 2001a)のである。2004年度からは放課後や週末に学校を開放し、退職した教員や大学生、PTA関係者ら地域の大人が子どもたちのスポーツや文化活動などの様々な体験活動を支援する「子どもの居場所づくり新プラン」が始められ、行政が居場所を設置していく動きが見られるようになった。
「学校の外」(芹沢, 2003)というように従来の施設・制度から外れたところで使われ始めたが、次第にその意味が広く認識され、行政もその普及を後押ししていく。居場所をめぐるこうした流れは、近年、福祉の分野で生じていることと同様である。
1980年代、子どもとの関わりで使われていた居場所という言葉は、その後、高齢者、障がい者、母子家庭の母親・子どもなど、様々な人々にとっての居場所が論じられるようになっていく。1990年代後半以降、居場所をタイトルに含む図書の出版数が増加し、年間で10冊を越えるようになる(図1)。「まちの居場所」が各地に同時多発的に開かれるようになったのも、ちょうどこの頃である。

3.居場所の意味

居場所とは、従来の施設・制度から漏れ落ちたものの価値をすくいあげようとするところで使われ始めた言葉である。それでは、居場所はどのような価値をすくいあげようとしてきたのか。このことを考えるために、居場所がどのような意味で使われているのかを見ることとする。

例えば、藤竹(2000)は居場所を「自分が他人によって必要とされている場所であり、そこでは自分の資質や能力を社会的に発揮することができる」場所としての「社会的居場所」と、「自分であることをとり戻すことのできる場所」であり、そこにいると「安らぎを覚えたり、ほっとすることのできる場所」としての「人間的居場所」の2つに大別している。佐藤(2004)は、思春期の子どもの居場所条件として「ホットして安らげる空間」、「人と人との関係性が開かれていく空間」、「自分探しの学びが生まれる空間」の3つをあげている。このような居場所に関する記述を整理すると、概ね次の3つの意味で使われているとまとめることができる。

①ありのままの自分が受け入れられる
藤竹(2000)のいう「人間的居場所」、佐藤(2004)のいう「ホットして安らげる空間」がこの意味での居場所に相当する。この他に、例えば次のような記述が見られる。

「そこを居場所と呼べるということは、精神的な意味で、気取らずに生の自分を出すことができる、言葉をかえれば、言いたいことが言える場所と言っていいかもしれません。」(渋谷, 1999)

「居場所というのは、大人にとっても、子どもにとっても同じ意味をもつ。基本的には、自分を受け容れてもらっている場所のことだ。・・・・・・。では、自分を受け容れてもらう、とはどういうことなのか。それは、喜怒哀楽に共感してもらう、ということだ。受容されるということの核心は、共感なのである。」(岩月, 2000)

②自分の力が発揮できる
藤竹(2000)のいう「社会的居場所」がこの意味での居場所に相当する。この他に、例えば次のような記述が見られる。

「〈居場所〉は、主に役割関係・人間関係のなかでの地位に関わっている。特定の役割を安定的に確保できている場合、〈居場所〉は確保されていると言える。」(藤田, 1996)

「「社会に開かれた居場所」とは、社会的な認知・評価とともに自分自身でも他者からの見方や評価と一致している場である。職場や家庭などにおける居場所が典型的であろう。その人がそこに居ることを必要とされたり、自分の力を発揮し認められ社会的な認知を受けているといえる。」(三本松, 2000)

③世界を垣間見ることができる
佐藤(2004)のいう「人と人との関係性が開かれていく空間」、「自分探しの学びが生まれる空間」がこの意味での居場所に相当する。この他に、例えば次のような記述が見られる。

「子どもの参画や子どもの居場所を考えるうえで重要だと思うのは、内部では干渉し過ぎない緩やかな関わり、緩やかだが無視できるほどではないつながりが保障されていて、なおかつ外部とは希望すればつながりを持てるが、隠れていようと思えばそれも保障されているということである。」(筒井, 2004)

「居場所とは、常に社会と自分との関係を確認せずにはおれない現代という変動社会における、自分専用のアンテナショップ(新しい商品の売れ行きを確かめるために実験的に新商品を陳列し販売する店舗)のようなものである。」(田中, 2001b)

ありのままの自分が受け入れられること、自分の力が発揮できること、世界を垣間見ることができること。居場所の意味には広がりがあるが、注目すべきは、いずれの場合においても、まず個人に焦点が当てられていることである。施設・制度において、人はある属性や役割をもった存在として見なされる。施設・制度から漏れ落ちたものの価値をすくいあげようとする居場所が、人をある属性や役割をもつ集団の中の1人ではなく、かけがえのない個人であることを尊重するのは当然だと言える。けれどもさらに注目すべきは、居場所における個人は決して孤立した存在ではなく、他者との関係において語られていることである。居場所とは、人が集団の中の1人ではなく、かけがえのない個人としてあること、けれども、その個人は決して他者と切り離されていないこと、言わば「個人として、孤立せずに」あるという他者との関係の豊かさを表現するために使われている言葉だと言える。

このことは、もちろん「まちの居場所」にも受け継がれている。「まちの居場所」は小規模な場所が多く、また、空き店舗や空き家といった既存のストックを活用しているという意味ではささやかな場所である。しかし実際に足を運んでみると、「こんな場所があるのか」と、そこで実現している「個人として、孤立せずに」居られることがもつ豊かさに驚かされる。

4.「まちの居場所」の可能性

「まちの居場所」を訪れると、創設者、代表者など肩書きは多様であるが、「この人がいるから、この場所が成立している」と感じる人物に出会う。筆者はこのような人物を場所の主(あるじ)と呼んでいるが(田中, 2010)、「主」とは「まちの居場所」において3つの役割を担っていると言える。その場所をどのような場所にしたいのかという明確な理念を持ち、空間のしつらえ、スタッフや来訪者への気づかい、地域で築いてきたネットワークなどに基づいて理念を具現化し、そうして生まれてきたものを共有していくという3つの役割である。

従来、「まちの居場所」の運営が取りあげられる場合、具現化の部分だけが注目される傾向にあった。しかし、具現化の部分だけに注目していたのでは、「まちの居場所」を硬直した場所として捉えてしまう恐れがある。特に「まちの居場所」が制度化の流れの中に置かれつつある現在、理念と共有化の部分を忘れてはならない。制度化により形式だけが優先され、先駆者たちの、あるいは、制度作りに携わった人々の理念が忘れ去られていくことは往々にしてあるからである。
制度化のために先進事例の視察や調査が行われる際には、ある程度の成功をおさめている事例、名前の通った事例が対象とされる。逆に、既に閉鎖された事例、失敗した事例は視察、調査しにくい。そのため、先進事例の視察や調査においては「現在、成功しているのは、過去に○○があったから」というように、現在から過去へと遡る視点に立って事例が捉えられる傾向にあると思われる。

けれども、「まちの居場所」は決して当初の計画通りに運営されているわけではない。先程紹介した「ひがしまち街角広場」の元代表は、「場所づくりしたところで、こちらの押し付けがあったらだめなんですよね。だから、はっきり言えば来る人がつくっていく、来る人のニーズに合ったものをつくっていく」と話す。他の「まちの居場所」でもしばしば話に出される内容である(注4)。「まちの居場所」では、来訪者の要望、地域の状況などに対応しながら、徐々に運営内容が膨らんでいく。当初は想像すらしていなかったことが、人と出会ったり、地域の状況が変化したり、直面する課題を解決したりする中で選び取られたという意味で、「まちの居場所」の運営は過去からの必然として成立しているわけではない。「まちの居場所」の歩みをともに辿るならば、現在の姿は様々な可能性の中から選び取られたものの1つだと言ってよい。
現在の姿は様々な可能性の中から選び取られたものの1つであるとしても、「まちの居場所」の運営はぶれることなく、過去から現在へと着実に歩みを進めているように見えるのは何故なのか? 問うべき点はここにあると考えている。この点について筆者は、「まちの居場所」には明確な理念があるだと考えている。明確な理念があるからこそ、その時々の状況にぶれることなく、柔軟に対応することができる。こう考えるならば、理念とは、条件が違えば他であったかもしれない可能性を含むものということになる。だからこそ、「どんなことがあったのか」という時々の経験を確認し、それを蓄積していくことで、「自分たちが目指していたことは、これだったのだ」というのを事後的に共有する作業も不可欠なのである。

「まちの居場所」での活動は、確かに介護、生活支援、育児中の親の孤立防止、退職後の地域での暮らし、貧困などの様々な課題解決につながっていく。けれども、「まちの居場所」がもつ可能性の核心は、これらの課題を解決できるということではない。繰り返しになるが、「個人として、孤立せずに」居られるという、人々の豊かな関係性を地域で築けるという点にこそ、「まちの居場所」の可能性はある。この豊かな関係性があるからこそ、上にあげた様々な課題は解決されていくのである。
「まちの居場所」は「個人として、孤立せずに」居られるようにと、丁寧に作りあげられている。それは、明確な理念が失われてしまえば、あるいは、生み出されたものを絶えず共有しようとする意識を失ってしまえば簡単に損なわれてしまうもの。そうなれば、人は特定の属性・役割をもった集団の1人として扱われ、サービスする側/される側という固定された関係への依存が生まれてしまう。それは、先駆者たちが「まちの居場所」に賭けた可能性とは大きく異なる。だからこそ、「個人として、孤立せずに」居られることを豊かなものとして描き出し、その価値を広く共有することが重要である。

注1)鈴木(2004)は「「ただ居る」「団欒」などの、何をしていると明確に言いにくい行為」を含めた、「人間がある場所に居る様子や人の居る風景を扱う枠組み」として「居方」(いかた)という概念を提唱している。鈴木が「居方」の類型として提示する「居合わせる」、「思い思い」などの概念は、人が居られることを大切にする「まちの居場所」の質を捉える上で有効だと筆者は考えている。

注2)さわやか福祉財団(2016)では「通いの場」について、「新地域支援事業における「通いの場」はまさに、「居場所・サロン」の仕掛けであり、生活支援コーディネーターは、この事業を有効活用しながら、地域の人たちが主体的にさまざまな「居場所・サロン」を広げるチャンスを生かしていく必要があります」と指摘されている。

注3)「子どもの居場所は「親の会」によって生まれたが、「親の会」は常に子どもの居場所をつくったわけではなかった。「親の会」にはもっと緊急な課題があった。それは不登校に対する自分たち親の意識の変革であった」(芹沢, 2003)と指摘されているように、フリースクール・フリースクールは、不登校の子どもの親にとっての「学校の外」の場所という役割も担っていた。

注4)筆者は東日本大震災の被災地である岩手県大船渡市に開かれた「居場所ハウス」の運営にオープンから関わっている。現在、「居場所ハウス」で行っている食堂の運営、毎月の朝市は、当初は実施することを考えていなかった活動である。

参考文献


この文章は、このウェブサイトに掲載した「「まちの居場所」と「居場所」という言葉の意味」(2016年7月23日)、「まちの居場所における思い・ビジョンと制度化について」(2016年7月31日)を編集・加筆したものです。