『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

場所に居ることの豊かさ

『WIRED』2016年8月9日号(Vol.24)の特集は「NEW CITY/新しい都市〜未来の建築家はなにをデザインするのか?〜」。
これからの建築家に求められるヴィジョンが①市民工学、②コミュニティ、③スタジアム、④記憶、⑤極限環境の5つのキーワードで解説されています。これらは建築家でなくても気になるキーワードです。

同誌に掲載されている南米チリ出身の建築家、アレハンドロ・アラヴェナ氏の以下の言葉も、色々考えさせられます。

建築に力があるとすれば、多様な記述不可能な関係性を、デザインという統合体として回答を示せるという点でしょう。分析レポートや特定の書類、診断書などの記述的な形式を取らなくていい。漠然としたデザイン提案という形式には、ジャンプを経てすべての相反する要素が遺伝子のなかに統合される可能性があるのです。わたしは、現実の複雑さを肯定する立場から、自ずから矛盾を含まないような問いにはそもそも価値がないと思っています。建築とはほとんど宿命的に、単純に技術的な段階からとにかく矛盾を含むもので、経済や環境、政治や法規などの要素が加われば、その要求の複雑さは当然飛躍的に増していきます。
この説明できない複数の要素間で直感的なバランスを見つけ出すということは、建築という分野の最もパワフルな特質だと思うのです。理屈でなく、最後にすべての矛盾する要素を共存させうる方法として、ということです。建築デザインの善し悪しというのは、そうした視点でこそ評価されるべきだと考えています。
*「アレハンドロ・アラヴェナの「1+1=4」」・『WIRED』Vol.24 2016年8月9日

複雑なものであったり矛盾したりする多様なものを、単純化することなく、そのままで提示するということ。これが建築だとするならば、建築家ではない者にとっても、建築を単純化するのではなく、そこにある複雑さ、矛盾、多様さを見抜く目を養う必要があるということかもしれません。

話は逸れるかもしれませんが、最近、「まちの居場所」(コミュニティ・カフェ、地域の茶の間、サロンなど)について、「介護予防のため」、「生活支援のため」、「孤立防止のため」のように何かを達成する手段としてではなく、その場所に居られること自体が豊かな意味をもっている場所として捉えるべきではないか、ということを考えていました。
そこに居られるという体験自体が既に豊かな意味をもっている。これが「まちの居場所」の可能性ではないか。そう考えると、そこに居られることの豊かさをどうやって捉え、表現していくかが非常に重要になってきます。実はこれは、大学時代に与えられた大きなテーマ(なのだと今、改めて感じます)。

『WIRED』(Vol.24)では、ニューヨーク・マンハッタンにあるブライアントパークが紹介されています。
ブライアントパークを訪れたのはもう何年も前ですが、写真のようにノートパソコンで仕事をしたり、打合せをしたり、本を読んだりする人がいる一方で、お茶を飲んだり、チェスをしたり、話をしたりする人もいる。しかも、お金もかからない。都市の公園とはこういう場所なのだという衝撃を受けたことが忘れられません。

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最近では太陽光発電のWi-Fiステーション兼テーブルも置かれ、屋外のコワーキングスペースにもなっているとのこと。

以下は同誌に紹介されているブライアントパークの運営に携わる非営利団体担当者の言葉です。

「建物を建てれば人が集まる、などという考えは前時代的であり、とくにパブリックスペースにはまったく通用しません。麻薬取引や売春の巣窟と化した70年代のブライアントパークが悪しき例です。重要なのは、よりよく考えられたデザインでありコンテンツ。つくったそのあとが、何よりも大切なのです。人々を魅了する居心地のよい場所であり続けることができれば、あとは公園を愛する人々が自然と守り人となってくれるという、よきエコシステムが生まれるのです」
ブライアントパークコーポレーション(BPC)のデザイン担当副社長イグナシオ・ショチーニはこう話す。
*齋藤精一「建築、余白、新しいプロトコル」・『WIRED』Vol.24 2016年8月9日

「人々を魅了する居心地のよい場所であり続けること」という部分は、上に書いた居られることの豊かさにつながっていると思います。

建築、場所とは元々が多様なものが、多様なままで統合されたもの。だから、そこに居られることの経験が豊かでさえあれば、建築、場所はいくらでも多様さを生み出すことができる。「まちの居場所」の場合は、その多様さの中の1つが介護予防であったり、生活支援であったりという効果なのかもしれません。

何歳になっても住み慣れた地域に住み続けることの大切さがしばしば指摘されます。建物バリアフリーであったり、在宅の生活支援サービスがあったり、歩いて行ける距離に買い物や飲食できる店があったりというのはもちろん欠かせない。しかし、そこに居られるという体験が豊かであるような場所も、同じように欠かせないのだと思います。

『WIRED』(Vol.24)に次の言葉が紹介されていました。

「都会は、少年がそこを歩くだけで、一生なにをやって過ごしたいかを教えてくれる場所だ」
*若林恵「都会と少年」・『WIRED』Vol.24 2016年8月9日

20世紀を代表する建築家の1人、ルイス・カーンの言葉です。この表現を借りて、「高齢者がそこに居るだけで、一生なにをやって過ごしてきたかを教えてくれる場所」を持てたとしたら、その人の暮らしは何歳になっても豊かだろうなと思います。