『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

誰もが出入りできる「住宅」

10月に入り、「居場所ハウス」では薪ストーブを設置。オープンから4度目の冬となります。
1年目は薪ストーブの設置が遅くなったため(12月中旬に設置)、石油ストーブで暖をとっていましたが、石油ストーブではなかなか暖まらなかった空間が、薪ストーブ1つで暖まります。暖かい薪ストーブの周りに集まってきて、自然に会話が始まるというのも、薪ストーブの1つの効果かもしれません。
その代わり、薪ストーブを使うためには薪となる木を調達したり、薪割をしたり、煙突掃除をしたり、火の用心をしたりと大変ではありますが… 薪のための木は台風10号の影響による流木、地域で伐採したまま置かれていた木などをいただいています。

冬を迎える準備は進んでいますが、天気がよければ日中はまだまだ暖かく、ソフトクリーム、かき氷を食べに来る子どももいます。

「居場所ハウス」では毎月、生け花教室が開かれています。先日、付近に高台移転された方が教室に加わりたいという話がありました。また、9月の歌声喫茶(こちらも毎月開催されている活動)には男性が参加。こうして少しずつでも「居場所ハウス」に来てくださる方が増えていけばと思います。

先週の日曜の出来事。体調を崩されて以来、あまり「居場所ハウス」に来られなくなった方が前を通りかかった時、メンバーの1人、「居場所ハウス」で休んでいったらと声をかけ、しばらくお茶を飲みながら話をするという出来事もありました。
自分の家に招いたり、相手の家を訪問したりするのはハードルが高くても、「居場所ハウス」なら気軽に声をかけて、招くことができるのだと思いました。

この出来事を見て、以前、「仮設住宅には人を招くスペースがない」という話を聞いたことを思い出しました。仮設住宅だけでなく、震災後に建設された災害公営住宅も、もしかしたら戸建住宅もそうかもしれません。
現在、住宅と言うと何となく(核)家族が住むプライベートな空間というイメージがあります(仮設住宅も、災害公営住宅もこの思想によって建設されています。ただし、仮設住宅の場合は住棟周りにベンチを置いて話をするスペースがあったのに比べると、災害公営住宅は扉を開けるとすぐ廊下で立ち話ができるスペースはないという違いはあります)。
住宅が(核)家族が住むプライベートな空間になったのはそう古いことではありません。今でも「居場所ハウス」のある大船渡では、初盆を迎える方を拝むため、家を訪問して歩くという習慣がありますが、住宅は(核)家族以外の人を迎えるという機能も持っていた。「仮設住宅には人を招くスペースがない」と話されていた方は、お盆以外にも人を招いたり、招かれたりしていた人もあったと思います。
時代の変化でこうした習慣が次第に失われ、住宅が(核)家族のためのプライベートな空間として閉ざされていくのだとすれば、住宅の代わりにはならないとしても、地域の人が特定の目的がなくても顔を合わせることができる地域の場所をあえて作ることも必要だと思います。
「居場所ハウス」のハウスは、住宅という意味ですが、限られた人のための空間ではなく、誰もが出入りできる空間になればと思います。

*上では時代の変化で住宅が閉ざされていくと書きましたが、「住み開き」「シェアハウス」などの言葉も生まれています。また、社会の高齢化の進展に伴い、在宅の生活支援サービスも増えて行けば、住宅にはまた様々な人が出入りするようになる。もしかしたら住宅はまた開かれ、住宅という概念も変化していくようにも思います。
歴史を後から振り返れば、「20世紀半ばから21世紀初めにかけて、住宅は(核)家族が住むプライベートな空間だった」と記されることになるのでしょうか。

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