『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

公共私の再調整の動きとしての「まちの居場所」@法政大学大学院まちづくり都市政策セミナーより

2018年10月20日(土)、第43回法政大学大学院まちづくり都市政策セミナー「縮退時代の都市空間−ひとのつながりと居場所を問いなおす−」に、分科会のパネリストとして参加させていただきました。

  • 場所:法政大学市ヶ谷キャンパス
  • 日時:2018年10月20日(土)
  • 11:00~12:30:ポスター・セッション「学生たちがフィールドへ——地域づくりの活動実践・研究報告」
  • 13:00~13:30:イントロダクション(開会あいさつと分科会の紹介)
  • 13:45~15:45:ワークショップ・セッション(分科会)
    ・分科会①「地域の関係を紡ぐオープンスペースの開き方」
    ・分科会②「縮退する都市の住宅問題と市民セクターの役割」
    ・分科会③「これから求められるまちの居場所」
  • 16:00~16:45:プレナリー・セッション(総括)
  • 17:00~18:00:アフター・セッション(懇親パーティー)

イントロダクションでは、このセミナーでは、人の生き方が縮退時代においてどう変わっていくかを議論する切り口として、「空間」に注目して住宅、オープンスペース(住宅ではない屋根のない場所)、まちの居場所(住宅ではない屋根のある場所)という3つの分科会をもうけたという説明がありました。ここでいう縮退時代とは、まず人口サイズが減少する時代を意味しますが、同時に、近代(日本型近代)の仕組みが成立し得なくなる時代。これを、「空間」という目に見える物を切り口として考えるという趣旨のセミナーです。

この後、3つの部屋に分かれて分科会が開催。そして、分科会後のプレナリー・セッションでは、住宅、オープンスペース、まちの居場所という3つの空間で生じているのは、公・共・私の関係を再調整しようとする動きと捉えることができるというまとめがなされました。
従来、私有財産に第三者が介入することは想定されてこなかった。私有財産の最たるものが住宅であり、例えば、育児も介護も(その良し悪しは別として)家族の中で行うことが想定され、主に女性が担ってきた。けれども、もはやそれは成立しない。私有財産に第三者がどう介入するかという、近代(日本型近代)と真っ向から対立することが起こっている。そうした課題に対応しようとするのが「共」の領域であり、社会的に排除された人々の住宅、空き地の活用、地域住民による居場所づくりはまさにその表れではないか。ただし、この動きは公・私が不要になるのではなく、公・共・私の関係を再調整するものとして捉える必要があると。

分科会③「これから求められるまちの居場所」

順番が前後しますが、分科会③は「まちの居場所」を取り上げディスカッションしました。「もろみ蔵」(石川県)に携わってこられた水野雅男さん(法政大学大学院人間社会研究科)、「荻窪家族レジデンス」の「百人力サロン」(東京都)に携わってこられた澤岡詩野さん(ダイヤ高齢社会研究財団)とともに、「居場所ハウス」(岩手県)に携わったものとしてパネリストとして参加させていただきました。
「もろみ蔵」、「荻窪家族レジデンス」の「百人力サロン」、「居場所ハウス」ともいわゆる公共施設で定期的に開かれているサロンではなく、地域住民が主体となって開き、運営している場所だという共通点があります。また、パネリストの3人は研究者であると同時に、これらの場所の内部のメンバーとして関わってきたという共通点があります。
分科会に参加してくださったのは20人ほどで、実際に居場所づくりを実践されている方、居場所に関わる研究をされている方など多様な方がいらっしゃいました。

分科会では「まちの居場所」を開く動機、多くの人に関わってもらうこと、目的を共有すること、外部に開くことなどについてディスカッションしましたが、特に(居場所ハウスに関して)次のようなことを考えました。

物理的な空間の使い方を発見していく

「居場所ハウス」ではオープン時(2013年6月)に活動内容が決まっていたのではなく、朝市(2014年10月)、食堂(2015年5月)、あるいは、子どもの自学自習のための「学びの部屋」(2017年4月)など徐々に活動内容が膨らんできました。これは地域の人々が、物理的な空間としての「居場所ハウス」の使い方を発見してきたプロセスと見なすことができます。興味深いのは、このプロセスにおいて、食堂を屋外に建築するなど空間に手を加えること、物理的な空間自体も変化していること。
居場所が物理的な空間として存在していること、そして地域の人々が物理的な空間に手を加えることができることの意味を改めて感じました。

こうしたプロセスは、「もろみ蔵」、「荻窪家族レジデンス」にも共通しています。なお、セミナーのイントロダクションでは、アメリカの住宅建設では、自分たちで住宅を建設する「セルフヘルプ」という動きがあり、「セルフヘルプ」による住宅は(完成した住宅に入居する場合に比べて)手入れがよくなされるという話がありましたが、「セルフヘルプ」による建設は、「まちの居場所」にも当てはまると思います。

自分にできる役割を担うことで、その場所は居場所になる

分科会では、「居場所ハウス」では高齢の女性が食べ終えた食器を自分で洗うこともあることを紹介しました。なぜ、高齢の女性がそうするのかと言うと、一方的ににお世話されるだけでは居心地が悪く、堂々と居ることができないからではないかと。どんなことであれ自分にできる役割を担うことで、その場所は堂々と居られる場所、安心して居られる場所、つまり、居場所になるということ。

分科会では「自立とは依存先を増やすこと」だという言葉が紹介されましたが、自分にできる役割を担うプロセスを通して居場所を作って行くことは、この意味での自立した暮らしの実現につながるのではないかと思いました。

お金のやりとりに付随する関係

「居場所ハウス」が多くの人に来てもらう場所である1つの要因に、カフェ、食堂、朝市、あるいは、各種教室の参加費などお金のやりとりがあるからではないかという話をさせていただきました。
分科会に参加された方からは、お金のやりとりでは都市のようなギスギスした関係になる。地方ではお金を介さない関係が必要ではないかという意見がありました。これに対して次のように考えています。地方ではお裾分け、同じ集落や親戚でのお金を介さない関係が存在しているので、お金のやりとりだけの関係にならないというのがまず前提になる。その上で、お金を介さない関係は長年の信頼関係という履歴の上に成立している。これらの関係が重要であることに違いないが、煩わしいものという側面もあり、また、一度その関係の輪から除外されると参加するのが難しくなる。そうした時、お金を払えば行くことができる、居ることができる場所があることは、お金を介さない関係とは違うレイヤーでの人間関係を築くきっかけになるのではないかと考えています。

プレナリー・セッションで議論された公・共・私の再調整との関連では、次のように考えることもできそうです。お金とは私的な利益のために使うもの。一方、公共施設では営業活動が禁止されていることが多く、お金の流れが制限されている。お金のやりとりに付随する関係とは、これらとは異なった共の領域におけるお金の流れと捉えることができるかもしれません。

中に入っているが客観的な視点を失わない第三者

分科会で議論になったことの1つが、専門家(研究者)は「まちの居場所」にどう関わるかということ。これに関して、中に入っているが客観的な視点を失わない第三者という立場が重要であり、たまたまパネリストの3人は研究者という点で共通していると。こうした立場の者が担っているのは、地域の人が言葉にできずにもやもやとしていることに言葉を与えたり、価値を共有したり、あるいは、地域の人の話を聞いたりするという関わり方ではないかと。会場からは伴走者、強いつながり(Storog Ties)と弱いつながり(Weak Ties)の間にある緩やかなつながり(Loose Ties)、色々なつながり(Ties)の同心円を生み出すという話がありました。

この点に関して、セミナーのプレナリー・セッションでは公・共・私の再調整というまとめがなされましたが、専門家(研究者)は共の領域にどう関わるのかという問題提起もある得ると思いました。これまで研究は、(分野によるかもしれませんが)私の利益になるための研究か、制度や政策につながる知見を提供するための研究かに二分されていたのではないか。これに対して、研究者は共の領域にどう関わり、何をもたらされるのかは考えていかねばならないことだと思います。