『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

まちの居場所:医療・福祉・教育の領域から生まれる公共私の再調整の動き

先日、千里ニュータウン新千里東町の「ひがしまち街角広場」を訪問しました。近隣センターの空き店舗を活用して2001年9月にオープン。半年間の社会実験後は行政からの補助金を受けず、住民がボランティアとなり運営し続けてきた場所です。

当番の方の話によると最近は特に来訪者が多いようで40人、50人を越える日が続いているとのこと。先日も1時間ほど滞在しましたが人の出入りが絶えず、多い時間帯では当番を含め15人が過ごしていました。

先日、「ひがしまち街角広場」を訪れ次のようなことを感じました。

  • 大人数でやってくるのではなく、1人、2人とバラバラにやって来る人が多い。
  • 1人でやって来た人が必ずしも1人で過ごすのではなく、居合わせた人と同じテーブルに座ることもある。
  • 他のテーブルに座っている人に挨拶をしたり、話をしたりする「テーブル越しの会話」が行われる。
  • 飲み終えた食器をカウンターまで運ぶ来訪者もおり、逆に、スタッフも来訪者と一緒に話をすることもあり、主客の関係は緩やか。

現在、新千里東町近隣センターは移転・建替の計画が進められており、移転・建替により「空き店舗」がなくなってしまうため、移転・建替が完了した後の「ひがしまち街角広場」の運営は今のところ不透明な状況です。今後が不透明だとは言え、「ひがしまち街角広場」がこれまで積み重ねてきたことの意味がなくなるわけではありません。

先日の法政大学大学院まちづくり都市政策セミナーでは分科会をご一緒した方が東京都の「荻窪家族レジデンス」を紹介されました。「荻窪家族レジデンス」のオーナーの女性は薬剤師の資格をお持ちだとのこと。ただし、ずっと薬剤師として仕事をされていたわけではない「普通の主婦」だと紹介されていました。

実は「ひがしまち街角広場」の初代代表の女性も薬剤師の資格をお持ち。薬局で働いていた時期もあるようですが、薬剤師としてずっと仕事をしてこられたわけではありません。

施設ではない新たなかたちの住まいである「荻窪家族レジデンス」、施設ではない地域の場所である「ひがしまち街角広場」。これに関わられたお2人がいずれも薬剤師の資格をお持ちだということ。もちろん、薬剤師の資格を持っていれば、新たなタイプの場所を生み出せるという単純な話ではありません。

薬剤師ではありませんが、「まちの居場所」の先駆的な場所を開いた女性は、何らかの専門性をお持ちであることが多いような気がします。

東京都江戸川区で、30年近くにわたって運営されてきた「親と子の談話室・とぽす」を開いたのは元教員の女性。新潟市からの依頼を受けて、地域包括ケア推進モデルハウスの第一号を開いた「実家の茶の間・紫竹」の代表は、介護福祉士の資格をお持ちの女性。
まちの縁側のモデルとなった「クニハウス」(名古屋市)を開いたのは元看護師の女性、「とねりこの家」(京都市)の代表は保健師の女性。
また最近知ったのですが、「こども食堂」の名前を最初に使い始めた「名古屋市」(東京都大田区)の店主は元歯科衛生士の女性。

数多くの場所がある中で、たまたま知っているいくつかの場所を挙げただけですので、偶然だという指摘はあると思いますが、医療、福祉、教育に関わる資格をお持ちの女性が多い気がします。

法政大学大学院まちづくり都市政策セミナーでは、現在、公・私の分離を前提とする近代(日本型近代)から、公・共・私の関係の再調整を伴うポスト近代へと移行しつつあること、その具体的な動きが住宅、オープンスペース、まちの居場所のそれぞれの領域で生じつつあることが議論されました。

医療、福祉、教育とは近代(公)を実現するための根幹となる制度とも言えますが、医療、福祉、教育の専門性をお持ちの方々が、「共」を生み出していることも、公・私から公・共・私への動きの現れの側面として捉えてよいかもしれません。