コミュニティカフェ、地域の茶の間などの居場所の特徴の1つとして、当番と来訪者との関係が緩やかであることをあげることができます。
居場所では、その日の運営を担当する当番があらかじめ決められている。当番には、鍵の開閉をしたり、運営の準備や後片付けをしたり、飲物をいれたり、来訪者の対応をしたりと様々な役割がある。これに対して、来訪者は飲み物を注文し、その対価を支払う。この意味で、居場所に主客の関係が存在しないわけではありません。
従って、居場所における緩やかな主客の関係とは、主客の関係が全く存在しないことを意味しない。そうであるにも関わらず、主客の関係が緩やかであるとはどういうことなのか。ここでは、「下新庄さくら園」と「ひがしまち街角広場」を取り上げ、居場所における主客の関係について考えたいと思います*1)。
「下新庄さくら園」は、大阪府が府営住宅に整備している「ふれあいリビング」の第一号として、2000年5月に府営下新庄鉄筋住宅(現在は市営下新庄4丁目住宅)に開かれた場所。「高齢者の生活圏、徒歩圏で、『普段からのふれあい』の活動があれば、高齢でも元気で、お互い元気かどうか確認できて、何かあったら助け合うこともできる」(植茶恭子・広沢真佐子, 2001)という考えから、既存の集会所ではない場所として運営されています。運営を担当する当番は全員が無償ボランティアで、コーヒー、紅茶などの飲物が100円で提供されているほか、トースト、ゆで玉子という軽食が提供されています。
「ひがしまち街角広場」は、建設省(現・国土交通省)の「歩いて暮らせる街づくり事業」と、それを受けた大阪府豊中市の社会実験がオープンのきっかけ。千里ニュータウン新千里東町の空き店舗を活用して、「みんなが何となくふらっと集まって喋れる、ゆっくり過ごせる場所」を実現するために、2001年9月にオープンしました。運営を担当する当番は全員が無償ボランティアで、コーヒー、紅茶などの飲物が100円で提供されています。「下新庄さくら園」と違い、軽食は提供されていませんが、食べ物の持ち込みは自由とされています。
「下新庄さくら園」と「ひがしまち街角広場」は、居場所の中では早い時期に開かれた場所であること、無償ボランティアにより運営されていること、コーヒーや紅茶などの飲物が100円という安い値段で提供されていること、府営下新庄鉄筋住宅と千里ニュータウン新千里東町という団地に開かれていることという共通点があります*2)。
主客の関係に関しては、特に無償ボランティアにより運営されていことが影響すると思いますが*3)、当番が無償ボランティアであるがゆえに、緩やかな主客の関係が見えやすくなっているいう考えから、ここでは2つの場所について紹介することとしました。
緩やかな主客の関係
「下新庄さくら園」の初代運営委員長と「ひがしまち街角広場」の初代代表は、それぞれの場所における主客の関係を次のように話しています*4)。
「私は、ボランティアさんとお客さんは同じ立場だと思ってるわけね。というのは、『ふれあい』だからお金もらってませんしね、全くの奉仕でしょ。だから、ボランティアさんも『ふれあい』の仲間なんですよね。お客さんも『ふれあい』ですね。だから、私、お客さまもボランティアさんも等々(とうとう)、対々(たいたい)だと思うのね、立場上ね。」(下新庄さくら園)
「普段着で生活してる。来る人も普段着で来る。その普段着同士の付き合い、フラットなバリアフリーのつきあい、それがいいんだと思うんですね。」(ひがしまち街角広場)
当番と来訪者は「等々(とうとう)、対々(たいたい)」であること、そして、「フラットなバリアフリーのつきあい」をしていること。表現は異なりますが、いずれの言葉も緩やかな主客の関係について言及するもの。それでは、このような関係は、具体的にどのようなものとして成立しているのかを以下で見ていきたいと思います。
当番と来訪者が一緒に話をする
居場所においては、当番はカウンターの中に立って飲物をいれたり、食器を洗ったりします。来訪者が多い時間帯、当番はカウンター内に立って過ごすことが多いですが、時間に余裕のある時間帯にはカウンターから出てきて、来訪者と一緒にテーブルに座って話をする。「ひがしまち街角広場」の初代代表が話すように、時には当番がテーブルに座り、反対に来訪者が立って話をすることも。商業施設としてのカフェでは、なかなかこのような光景を見ることはできません。
「ボランティアさんも、口いっぱいに言い合いっこしてますけれどね、お友達みたいで、楽しんでらっしゃいますけどね。」(下新庄さくら園))
「さっきみたいに、ボランティアが座って、お客さんが立ってるなんてことは日常茶飯事ですから、・・・・・・」(ひがしまち街角広場)
(テーブルに座って話をする当番と来訪者)
来訪者には待ってもらう
「下新庄さくら園」と「ひがしまち街角広場」では、来訪者に注文した飲物を出すのを待ってもらうこともあり、それに対して来訪者は文句を言わないというと話されています。
「うちとこボランティアさんはね、素人さんばっかりで、最初。3人お客さん来たらもうパニックになって、わぁ~っとなってやってるから、『うちは3人来ましたら、3人のお客さん来ましたらパニックですので、ごめんなさいね、遅れまして、失敗しましてごめんなさい』いうことで、通してるんです。だから、ゆっくりたてて、美味しいのたてる。」(下新庄さくら園)
「ありがたいことに、そういうところですからお茶が出てくるのが遅いとか、早よせいとか、いれ方が悪かったとか、そういう文句を言う人はいないので、・・・・・・」(ひがしまち街角広場)
商業施設のカフェであれば、来客からの苦情を避けるためにも、また、客の回転効率をあげるためにも注文してからの待ち時間を短くすること考えられています。けれども、居場所はそうではない。注文した飲物が出てくるのが遅くても文句を言わないのは、来訪者がここがどのような場所なのかということ、当番は一方的にサービスを提供する立場ではないことを認識していることの現れです。
必ずしも飲物を注文しなくていい
「下新庄さくら園」では飲物と軽食、「ひがしまち街角広場」では飲物が提供されていますが、いずれの場所も飲物を注文しなくてもよいと考えられています。
「飲まなくっても別にね、かまへんわと思うんだけど。だから、『飲まないよ』言う人も、『用のないよ』って来ても、別に構わない」(下新庄さくら園)
「気楽にふらっと寄れる場所がこの街にはないでしょって言うの。そのときにね、立話するんじゃなくて、ちょっと座って話できる。そういう場所だから、気を遣わずに、別にここへ入ったから言って100円払ってお茶飲まなくてもいい。ただ入って来て、しゃべって帰るだけでもいい。ここ入ったから必ずお茶飲んで、せないかん、そんな場所じゃないですよっていうことは言いました。・・・・・・。お茶飲みたくなかったら、飲まなくてもいいじゃない。そういう地域交流の場所っていうことで始めてるんだから。役所も初めそういうふうに言いましたからね。」(ひがしまち街角広場)
このような場所として運営されているため、「ひがしまち街角広場」ではそもそも来訪者に何を注文するかを尋ねることが行われていません。商業施設のカフェでは、例えば、「当店ご利用のお客様以外のご利用はご遠慮頂いております」などのようにテーブルを利用することを制限する掲示がなされていることもありますが、「ひがしまち街角広場」では何を注文するかを問われることなく、「何も注文しないで、1時間喋って帰」ることも可能な場所になっています。
「かと言って、何も来られた方に『何出しましょ』とはこちらからは聞きませんし。何も注文しないで、1時間喋って帰られても、それはそれでいいわけですから。ほっとくって言うか、こちらから注文聞きに歩いたり、そういうことはもう一切してません。向こうから言われたら。人によっては、『ここは来て、何も言えへんかったらほっとかれる』っていう人もいるんですけど、『そうなんですよ、ここはほっときますよ』言ってね、そういう冗談も言えるような場所ですから。」(ひがしまち街角広場)
来訪者が自分にできるかたちで運営に協力する
居場所では、当番がカウンターから出て来訪者と一緒に話をして過ごすことがあると同時に、来訪者が当番の協力をすることがあります。「ひがしまち街角広場」では、忙しい時には来訪者が食器を洗ったり、飲物を他の来訪者のところに運んだり、テーブルを片付けたりすることが行われています。
「すごい忙しかったら、こっちに座ってる人が慌てて行って手伝ったり、お茶碗洗ったり、そういうことも。それも垣根がないんです。」(ひがしまち街角広場)
来訪者による協力は、日々の運営に限りません。次のように、「下新庄さくら園」のことを他の人に紹介したり、「ひがしまち街角広場」の移転時や周年記念時に協力したりすることが行われています。いずれの場所も日々の運営を担っている当番の全員が女性ですが、様々なかたちでの運営の協力は男性、あるいは、常連の来訪者ではない人々によっても行われています。居場所は、当番や常連の来訪者だけで成立しているわけではないということです。
「その方もご病気ですけどね、お散歩の道すがら、何人お誘いしてくださってるんですよ。自分がくも膜下やってらっしゃるからね。それで、後遺症があるので、自分が皆さんのお手伝いができないから、せめて、こういうお手伝いさしてもらうって言って、お客さんを連れて来てくださるんです。」(下新庄さくら園)
「〔移転先の空き店舗は〕初めびっくりするような場所だったんですけど、みな地域の方にしていただいて、〔移転に〕お金はほとんどかからなかった。・・・・・・床磨くのも、学校の校長先生が機械持って来て、夜8時頃までかかって。床磨きのありますね、機械。あれがあるけれども、借りても慣れた人でないとできない。飛ばされるらしいよって。校長先生、『僕、慣れてるからするわ』って来て。」(ひがしまち街角広場)
「いざ何かするとなったら、結構、地域の男の人がみんな来てくださる。それから私がいつでも不思議だなと思うのは、周年記念行事する時なんかでも誰がどこの何をするって決めてないんです。例えば、バーベキューコンロ6台出して、テーブル出して、こういうことするって言ったら、誰だか知らないけれども、色んな人がああやってものを焼いてくれたり、何かって知らん間にして。これみなそうなんです。で、できあがってみたら、綺麗に、掃除までできあがってるというふうになるんです。それが、もう誰がどこで頼んでたわけでもないんですけど、みなさん来て、そういうふうに自然に色んなお手伝いの人が来ていただける。・・・・・・。誰がって言うか、だから合計スタッフ何人って言われたら、数え切れないです。地域の方みんながスタッフ、その時はスタッフっていうかたちで。」(ひがしまち街角広場)
(周年記念行事に協力する人々)
居場所では、当番と来訪者が一緒にテーブルに座って話をしたり、あるいは、来訪者が当番の協力をしたりする光景が生まれている。また、必ずしも当番が注文を聞きに来てくれるわけではない。このことは、その居場所のことをよく知らない人が見れば、誰が当番で、誰が来訪者なのかの区別がつきにくいということでもあります。
その居場所のことをよく知らない人にとっては、来訪者と当番が一緒にテーブルに座って話をしていると、仲間同士で固まっているようにも見えてしまう。「『ここは来て、何も言えへんかったらほっとかれる』っていう人もいる」と話されていたように、誰にどうやって飲物を注文していいかわからない。このことから、居場所は常連の人以外は入りにくいという指摘がされることもあります。そして、実際に新しくやって来る人に対して排他的になっている可能性を否定することはできません。
けれども、次のように考えることもできます。商業施設としてのカフェが他に多数あるとすれば、居場所があえてそのような場所を目指す必要はありません。例えば、チェーン店の商業施設としてのカフェのように店員と来客が互いにどこに住んでいる人か知らず、関係が深まることがないとすれば*5)、誰に注文をすればよいかが明確になっていることは重要。しかし、居場所は地域における人々の関係を築いていこうとする場所。誰に注文をすればよいかがわからなければ、そこにいる誰でもよいので声をかけてみる。もし声をかけた相手が、(当番でなく)来訪者であったとしても無視されることはないと思います。地域における人々の関係を築くきっかけは、こうした一言のやり取りなのだと思います。
ボランティア自身が楽しむ
居場所の当番には、運営開始前の準備に始まり、運営時間中の来訪者への対応、そして、運営終了後の後片付けまで様々な役割があります。「下新庄さくら園」も「ひがしまち街角広場」も、当番は無償ボランティアによって担われていますが、いずれの場所でも、当番は自分が楽しんでいると話されています。
「やはり自分の喜びとして受けないと、喜びを。してあげてるとかいう気持ちでやってる人はいないと思うんですけれどね。やはり、自分も楽しむ、自分の喜びにもってきてやっていただかないとね、できないと思うんですよ。」(下新庄さくら園)
「うちはお弁当持って来てます、みな。お弁当持って、1日ここへ、ボランティアじゃなくて、自分がここに遊びに来てるっておっしゃってますね。」(ひがしまち街角広場)
無償ボランティアでは運営の継続が難しい。担った役割に対してはきちんと対価を支払うべきであり、本来は有償ボランティアや有給のスタッフの方が好ましい。このような考え方もあり得ると思います。
しかし忘れてはならないのは、ボランティアとは無償労働ではないということ。対価を支払うだけの十分な収益がないから、無償になっているわけではないということです。ボランティアの元々の意味は「自らが進んで」という意味。だから、「下新庄さくら園」と「ひがしまち街角広場」のボランティアとしての当番は、「自らが進んで」この場所を作りあげるプロセスに関与している人々ということになります。このプロセスは楽しみであり、それだけで金銭的な対価を越えたものが返ってきているということ。もちろん、居場所の当番には、安易に楽しみとして語れない場面もあると思いますが、ボランティアとは「自らが進んで」ということが基本であることを忘れてはならないと思います。
無償ボランティアに対するもう1つの指摘は、無償ボランティアでは収入が必要な若い世代が関わりにくいというもの。だから、若い世代が関わる可能性を広げるために、有償ボランティアにしたり、有給スタッフにしたりすることが試みられいます。そして、対価が支払われること、金銭の流れが生じることは大切なことだと考えています。ただし、もう1つの可能性としては、若い人が仕事に追われて、「自らが進んで」地域に関われる余裕がないという働き方、暮らし方そのものをこそ問い直すという方向もあるように考えています。
業種が限られるとしても、新型コロナウイルス感染症によって在宅勤務が広がったり、地域で過ごす時間が増えたりする変化が生じています。この変化が一時的なものなのか、今後も継続するものなのかはわかりませんが、若い世代が関わりにくいと言われてきた居場所にも影響を与えることになると考えています。
■注
- 1)「下新庄さくら園」と「ひがしまち街角広場」の詳細は、田中康裕(2021)を参照。
- 2)「下新庄さくら園」は府営下新庄鉄筋住宅の敷地内に開かれたが、府営下新庄鉄筋住宅の住民だけを対象とするのではなく、府営下新庄鉄筋住宅を含めた「地域の財産」にすることが目指されている。千里ニュータウンには集合住宅も戸建住宅もあるが、新千里東町は千里ニュータウン12住区の中で唯一、全ての住戸が集合住宅という特徴がある。
- 3)倉持香苗(2014)は2011年に全国のコミュニティカフェを対象とする調査を行なっている。アンケート調査の有効配布数は625か所、有効回収数は337か所、有効回収率53.9%である。調査では有償スタッフの人数が調査されており、0名(有償スタッフはいない)の場所が21.4%、1~2名の場所が25.5%、3~5名の場所が23.4%、6名以上の場所が24.3%であることが明らかにされている。この調査結果に従えば、「下新庄さくら園」や「ひがしまち街角広場」のように当番全員が無償ボランティアである場所は約2割と、決して珍しいわけではない。
- 4)この記事で紹介する言葉は全て、「下新庄さくら園」の初代運営委員長と「ひがしまち街角広場」の初代代表の言葉である。
- 5)チェーン店のカフェでも店員と来客が顔見知りになり、ちょっとした会話を交わすということはあり得ると思われる。
■参考文献
- 植茶恭子, 広沢真佐子(2001)「大阪府コレクティブハウジングの取組み」・『財団ニュース』高齢者住宅財団, Vol.45, pp.105-112
- 倉持香苗(2014)『コミュニティカフェと地域社会:支え合う関係を構築するソーシャルワーク実践』明石書店
- 田中康裕(2021)『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』水曜社
※「アフターコロナにおいて場所を考える」のバックナンバーはこちらをご覧ください。
(更新:2021年10月16日)