『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

居場所:要求への対応を理念の具体例とすることを通して理念が豊かになっていく(アフターコロナにおいて場所を考える-24)

居場所は、既存の施設では対応できない要求に対応するために同時多発的に開かれてきた場所です。人々の要求と機能の関係に注目すると、施設では、機能は要求に先行し、実現すべきものとしてあらかじめ設定れる。それに対して、居場所では、機能は生じてくる要求への対応として備わってくる。つまり、既存の施設と居場所とでは要求と機能の関係が反転していると捉えることができます(田中康裕, 2021)。

このように、居場所では要求に対応することで機能が備わると捉えることができますが、要求への対応においては、このような場所にしたいという理念が大きな役割を持っています。このことを、大阪府の「ふれあいリビング」整備事業の第一号として開かれた「下新庄さくら園」というコミュニティカフェを取り上げて考えたいと思います。
この点については、以前、哲学者の鷲田清一氏の「使用の過剰」という概念で考察しましたが、改めて「下新庄さくら園」の経験を考察したいと思います。

下新庄さくら園

「下新庄さくら園」は*1)、大阪府が府営住宅に整備している「ふれあいリビング」の第一号として、2000年5月に府営下新庄鉄筋住宅に開かれた場所です。
「ふれあいリビング」は、「高齢者の生活圏、徒歩圏で、『普段からのふれあい』の活動があれば、高齢でも元気で、お互い元気かどうか確認できて、何かあったら助け合うこともできるのではないか」という考えから、「前もって予約して、かぎを借りて、使う時だけ開けるという使い方がどうしても多い」集会所とは異なり、「気軽に立ち寄ることができる協同生活の場」(植茶恭子・広沢真佐子, 2001)としてもうけられる場所です。

「下新庄さくら園」ではコーヒー、紅茶などの飲物が100円で提供されているほか、トースト、ゆで玉子という軽食が提供されています。下新庄鉄筋住宅は高層の住棟に建て替えられ、その後、大阪市への移管により市営下新庄4丁目住宅になるというように環境は大きく変化しましたが、「下新庄さくら園」は、2000年5月のオープンから現在まで*2)、ボランティアによる運営が続けられています。

住民の願いを反映した場所としてオープン

1999年1月12日、下新庄鉄筋住宅が「ふれあいリビング」の候補地としてヒアリングを受けました。下新庄鉄筋住宅は、1958年に入居が始まった252戸の府営住宅で、自治会活動が活発だったことから候補地としてヒアリングを受けることになり、ヒアリングをふまえて「ふれあいリビング」の第一号を開くモデル団地として選ばれました。

1999年10月9日、第1回建設準備会が開催。この後、大阪府、コーディネーター、下新庄鉄筋住宅の住民らが月に1~3回集まり「ふれあいリビング」オープンに向けた準備が進められていきます。そして、下新庄鉄筋住宅の住民の意見を受けて、「下新庄さくら園」は次の2点で、当初大阪府が想定していたのとは異なるかたちの場所として開かれることになりました。

喫茶ではなく「だんらん」の場所

既存の集会所とは異なる「気軽に立ち寄ることができる協同生活の場」とするため、当初、大阪府「ふれあいリビング」を100円でコーヒーなどの飲物を提供する喫茶中心の場所にすることを想定していました。
しかし、オープンまでの話し合いにおいて、下新庄鉄筋住宅の住民から、100円の飲物の売り上げだけでは運営費を賄うのは難しいという意見が出されました。そこで「喫茶コーナー」に加えて、「食事会や趣味のサークル活動のほか、研修や会議、展示会など多目的」に利用できる「だんらんコーナー」、「食事サービスのほか、料理教室やイベント時の料理、おかしづくり、グループでの食事づくりなど」に利用できる厨房がもうけられ*3)、だんらんコーナーと厨房をグループで借りてもらうことによる会場使用料で運営費を賄うことが計画されました。

「下新庄さくら園」の初代運営委員長の女性は、この経緯を次のように振り返っています*4)。

「ほんとに第一号だから、〔大阪府は〕『ふれあい喫茶』を主にしてもって来てくれはったんです。『ふれあい喫茶』いうのがキャッチフレーズみたいで。で、もってきたんですけど、喫茶がそこにもあるし、喫茶っていうのはすごく恐かったんです」

「12万ぐらいの出費がね、・・・・・・、電気代とかいる言うから、100円コーヒーをやって、どんだけやれるかがまず大変なんで。ほんとは喫茶じゃなくってここを貸す、ここで色んなことをして、そして運営も助けていこうというのが私らの考えでしたので、・・・・・・、お食事の厨房を大きくしてもらったんですわ。」

「『喫茶』を狭くして、どっちかって言ったら、ここは『だんらん』っていうので利用してもらおうっていうのが私らの願いでしたのよ。」

下新庄鉄筋住宅には集会所が2つあり、以前からカラオケや民謡などの活動が行われてきました。「下新庄さくら園」の「だんらんコーナー」と厨房の利用方法として想定されていた食事会、趣味のサークル、研修や会議などは集会所で行われていたもの。つまり、既存の集会所で行われていたようなグループ活動を、「下新庄さくら園」で行ってもらうことで、運営を助けることが考えられたということになります。
それでは、「下新庄さくら園」と既存の集会所との違いは何か。初代運営委員長の女性は「下新庄さくら園」は毎日運営する場所だから「やろうとした」と話しています。

「集会所があるのに必要ないもん。集会所だけでいいと思う。・・・・・・。それだから〔毎日運営するから〕魅力もあったし、だからやろうとしたし。だから何かちょっと違うと思うの、私らのやってるの。」

以上の経緯を振り返れば、当初、「下新庄さくら園」は毎日開いている集会所のような場所として計画されたと言えます。

府営住宅だけでなく地域の財産に

「ふれあいリビング」ではコミュニティをゼロから築くのではなく「既存のコミュニティを発展させること」が考えられています(植茶恭子・広沢真佐子, 2001)。当初、大阪府は「下新庄さくら園」を下新庄鉄筋住宅の自治会活動を発展させたものにすることを想定していました。そのため、当初、準備作業には下新庄鉄筋住宅の住民だけが参加していました。

しかし、オープンまでの話し合いにおいて下新庄鉄筋住宅の住民からは、下新庄鉄筋住宅の住民のためだけでなく、周辺地域の人々のための場所にしたいという意見が出されました。
これによって、「下新庄さくら園」の立地が次のように変更されることになりました。当初、下新庄鉄筋住宅の敷地の中心付近に建設されることが計画されていましたが、それでは周辺地域の人々が立ち寄りにくいという考えから、下新庄鉄筋住宅の敷地の端、道路に面したところに建設されたのです。

「この建てる位置も、最初はどこにするかっていうこともありましたんですけれど、団地だけでしたら、・・・・・・、給水棟の向こうが公園で、広い土地が空いてますので、向こうの方にしたら団地の人は入りやすいんかなと思いましたんですけど。地域の方をお誘いし出したら、やはりこちらの方へ出さないと入りにくいんじゃないかということで、・・・・・・」

2001年1月20日に開かれた第1回運営委員会からは、下新庄地域の社会福祉協議会の会長と副会長、連合新興町会長(地域の3役)が参加し、下新庄鉄筋住宅の自治会とは別に任意団体として運営委員会が設立されることになりました。そして、準備作業に当初から関わっていた女性が運営委員長(初代運営委員長)にしました*5)。

「最初の府の行政の方の考え方は、やはりうちの団地の中でという、老人の対策としてやられたと思うんですけど。やはり、地域の財産にして、地域のものにということは私の願いでしたんですけど。それは全うされてるんじゃないかなと思ってるんです、今、頑張ってるんですけど。やっぱり、地域と一緒になってやらないと、独自でやるっていうなことは、とてもなかなかこういうものではできないと思います。でやっぱり、閉鎖的ですね、団地の中だけだとね。」

「私らの信念だけど、地域の財産としてかたちをつくっていくっていうのが。私らがそれをまずやらないけんっていうことに。」

オープン時に作成されたリーフレットに、「下新庄地域の方がだれでも使える場所です。高齢者の方はもちろん、若者も、子供も、この場所を活用してふれあいのあるコミュニティを育てていきたいものです」と記されている通り、「下新庄さくら園」は下新庄鉄筋住宅の住民のためだけでなく、「地域の財産」とするために、「地域ぐるみ」で開かれました。


このように「下新庄さくら園」は当初の大阪府の想定とは異なるかたちの場所として開かれました。オープンまでのプロセスに大きく反映されたのは、「ここは『だんらん』っていうので利用してもらおうっていうのが私らの願いでした」、「地域の財産にして、地域のものにということは私の願い」という、下新庄鉄筋住宅の住民、その後、運営の中心となる主(あるじ)*6)らによる2つの願いです。

オープンまでのプロセスにおいて主(あるじ)らによる2つの願いを反映した「下新庄さくら園」が実現を目指す「ふれあい」という理念は、喫茶ではなくグループ活動に参加するというかたちで、それは下新庄鉄筋住宅の住民に限定されないものとして捉えられていた。これが、「下新庄さくら園」の平面や立地、運営体制などのかたちで具現化したと捉えることができます。

喫茶の場所として定着

「下新庄さくら園」は「だんらんコーナー」を中心とする場所として開かれましたが、実際に運営が始まると、計画していた以上に喫茶が好評だったということです。

「蓋開けてみたら、喫茶〔コーナー〕の方が満員だから全部こっち〔だんらんコーナー〕へ入り込んでしまって。・・・・・・。だから、『だんらん室』ができなくなって。」

初代運営委員長がこう話す通り、喫茶が計画以上に好評であり、「喫茶コーナー」だけでなく、「だんらんコーナー」も喫茶の場所として利用されることになりました*7)。「下新庄さくら園」は、オープン時には見えていなかったグループ活動に参加するより喫茶の方がよいという人々の要求に対応することで、喫茶の場所として定着したわけです。喫茶の場所として定着したことで、グループ活動に参加するだけでなく、1人だけでも過ごせる場所にもなりました。また、初代運営委員長は、飲物を注文しない人でも用事がない人でも来てもいいと話しています。

「1人で来られる方は、そっとして欲しい人もあるからねぇ。・・・・・・。だから、何回も来られてる人で、ちょっとされる方はもうその方がいいんじゃないかなと思ってね、そっとしとくんですけど。」

「まぁ言ったら、飲まなくっても別にかまへんわと思うんだけど。だから、「飲まないよ」言う人も、「用のないよ」って来ても別に構わない。」

グループ活動に参加するより喫茶の方がよいという要求については、「下新庄さくら園」のオープン前から地域にこのような要求があったのか、それとも、「下新庄さくら園」のオープンによって人々はこのような要求を抱くようになったのか(「下新庄さくら園」がこのような要求を喚起したのか)を、現時点から遡って捉えることはできません。
しかし、ここで重要なのは、たとえ「下新庄さくら園」のオープン前からこのような要求があったとしても、「下新庄さくら園」がなければ喫茶の場所で人々が過ごす具体的な光景は観察できなかったこと。「下新庄さくら園」がオープンするまでのプロセスにおいて「喫茶っていうのはすごく恐かった」、「100円コーヒーをやって、どんだけやれるかがまず大変なんで」と心配されたのは、人々の要求を観察できなかったからです。このように考えれば、「下新庄さくら園」が開かれたことで、初めてグループ活動に参加するより喫茶の方がよいという要求が可視化されたということになります。

初代運営委員長は、「下新庄さくら園」が喫茶の場所として定着したことで生まれた「ふれあい」について、次のように話しています。

「『ふれあい』いう言葉、色んなことで使われてんのね、福祉の。ここの『ふれあい』はまたちょっと違うと思うの。遊びじゃないし、・・・・・・、身体と身体の『ふれあい』じゃなくて、手をつなぐとかじゃなくって、会話を通じてふれあっていく。それと、世話する人と世話される側とが、ひとつ、どっちも上下なしね、ほんとにお互いがふれあってますのでね。・・・・・・。毎週とか月に1回とかだったらね、ここまでできないよ。」

「1回や2回の『ふれあい』っていうのはたくさんありますやん、どこでも。そういう『ふれあい』と違って、私らの中ではほんとに家族みたいな『ふれあい』になってるのは、ちょっと違うと思うの、普通の『ふれあい』とは。だから家族的な問題ね。互いに心配し合ったり、思わずかわいいって、愛おしいっていうんかな。」

喫茶の場所で過ごす人々の姿が「下新庄さくら園」が実現を目指す「ふれあい」という理念の具体例となり、「ふれあい」という理念が豊かになっていると捉えることができます。

このように、「下新庄さくら園」は喫茶の場所として定着しましたが、計画時に考えられていた食事会、小物作り*8)、研修や会議などが行われる時間帯もあります。

「貸し出しの方は、今は役員会とか町会長会議とか、それから学校でカレーの大会、キャンプ大会みたいにする、・・・・・・、PTAでやるの。・・・・・・。そういう時に、関東炊きとか色んなものを出しますでしょ。その時に、大きな鍋をもってここから炊き出しして、丸1日使いながらしたり。それから、子どもたちの、クリスマスの人にここ全部貸してあげたりとかね。」

「下新庄さくら園」は、人々の要求を受けるというプロセスを経て、当初、大阪府が想定していた喫茶の場所として定着しました。そして、「下新庄さくら園」のこの経験は、後の「ふれあいリビング」にも大きく影響を与えることになりました。
大阪府では、2020年度末の時点で、46の府営住宅で「ふれあいリビング」が開かれています(大阪府, 2020)。46の「ふれあいリビング」のうち、「下新庄さくら園」を含め2000~2001年にかけて開かれた最初の3か所は集会所と別に建物が新築された「モデルタイプ」、2005年以降に開かれた残りの「ふれあいリビング」は集会所を改修して開かれた「改修タイプ」と位置づけられています。「下新庄さくら園」の翌年にオープンした2つの「モデルタイプ」の「ふれあいリビング」では、「下新庄さくら園」で喫茶が好評だったことを受けて、平面プランが喫茶を中心とするもの変更されました。「改修タイプ」も喫茶を中心とする場所となっており、「改修タイプ」の「ふれあいリビング」が開かれる際には、集会所に喫茶コーナーをもうける改修が行われています。


一方、オープンまでに出されたもう1つの願いである「地域の財産」にすることは、下新庄鉄筋住宅の住民でない人が当番になったり、お茶を飲みに訪れたりするかたちで実現されています*9)。

「地域と一緒になってやろうと言ったことが、やっぱり良かったんじゃないかなと、結果的にやはり。ここを利用される方も、半々ぐらいは、〔下新庄鉄筋住宅以外から〕来てらしたん違うかなぁ。」

「今日のボランティアさんも、お1人は地域の、こっちの団地やないですわ。」

また、オープンから約半年後の2000年11月から社会福祉協議会との連携による「社協アワー」が始められました。現在では毎月第2木曜日の「抹茶の日」、毎月第3木曜日の「ぜんざいの日」として定着している「社協アワー」には100人を超える人が来るなど、「下新庄さくら園」は下新庄鉄筋住宅の枠を越えて、他の機関との連携によるプログラムが行われる拠点にもなっています。

「おぜんざいの日と抹茶の日を作ってるんです、2回、第2週の木曜日と第3週。それがすごく盛況でね。」

「ここいっぱいの時もあるしね。もうぜんざいの時なんか、もういっぱい。もう、ほんと大変やねぇ、100人。」

駆け込み寺

グループ活動に参加しないでも自由に出入りできる喫茶の場所として定着したことで、「下新庄さくら園」は「駆け込み寺」と表現される新たな機能を担うようになりました。初代運営委員長は、「駆け込み寺」という表現を思い浮かべた出来事を次のように振り返っています。

「お風呂場のガスをつけるの、カチャカチャいわさないとつかないんです、ここの。そうすると、1時間ぐらい音がしてるいうのを、近所の人がここへ4時前に走って来たんですわ。『和南さん、どこらへんか知らんけど、カチャカチャものすごい音してるよ』。じゃあ、どこ行こうかとばぁ~っと走りましたんですよ。走っていって、よう聞いてたら○○さんいう方なんですよね。叩いても叩いても、みんなが叩いても出て来ないから、・・・・・・、『和南です、開けて、開けて』って言ったら、・・・・・・。入って見たら、元栓つけないで、こう1時間ほどやってるんですよ。『元栓がついてないからよ』、『危ないからやめときましょね』って言って帰ったら、またやってるんですよ、帰る時にね。また上がってきて。それで、娘さんにすぐお電話入れたんです。そしたら娘さんが、夜、7時か8時頃飛んで来てね、『おばちゃん、うちの母ね、今日こういうことになってたの、どういうことか話だけでも聞かせて欲しい』いうことでちょっと説明させてもらったら、その前から気がついてたと、母のおかしいの。いつ連れて帰ろう、いつ連れて帰ろうと思いながら今日まできた。・・・・・・。そういう時に、初めて、『これ駆け込み寺と違う?』、そういう感じでね、助けを求めてくれて上手くってね、・・・・・・」

運営委員長は、この出来事があった数日後、運営日誌に「又1つこの場所が、緊急連絡(処置)をする仕事を改にしなければならないと思う」と記しています。「緊急連絡(処置)をする仕事」をすることが、「下新庄さくら園」が担える機能として、新たに浮かび上がってきたことが伺えます。

「下新庄さくら園」ではこの他にも怪我をしたが車がないため病院に行けないという連絡を受け、救急車を呼んだこともあった。使われなくなった車椅子を預かり、必要とする人への貸し出しも行われています。

「ケースワーカーが入り、役所がちゃんと入って、だったら、もう私らの仕事でないでしょ。そこまでくる間が、やっぱりここへ。・・・・・・、駆け込み寺のかたちもやってる、毎日やってる。」

「〔ケースワーカーや役所が〕入るまでのことを私らが、・・・・・・、ここでも自然とやってしまってるんです、たくさん。」

「1人の方は、ここでちょっと来られてたんですけど、長いこと来られなくなって心配してましたら、肺炎起こされてね、お1人だからどこも出られなくて、・・・・・・。それで、1月ぐらいたって来られたんですけれど。その時、そういうお話しなさったら、すぐそこにケアしてらっしゃる方がいらっしゃってね、『そんな時、ここ〔下新庄さくら園〕に電話し』って、その方が言いはったんですよ。『そしたら誰かがね、洗濯ぐらい行くじゃないの』って言ってくれて。・・・・・・。『だから、そんなに心配せんでもいいよ』って一言おっしゃったんですよ、お客さんが。・・・・・・。あぁすごいなと思ってね。お客さん同士の中で、そういう助け合いの言葉が出てるんですね。だから、膨れていくっていうのは、そういうことがねぇ、1つずつが、私の考えられないとこから、そういうものに発展して、人助けって言うんですかね、人を大切にする言うんですかね。」

目の前にいる人からの助けて欲しいという要求に対応することで、結果として、「下新庄さくら園」は既存の制度によるサポートが始まる前の段階で、人々の暮らしをサポートする機能を担うようになった。そして、「下新庄さくら園」がこのような場所であることは、来訪者にも共有されている。これもまた、「下新庄さくら園」における「ふれあい」のかたちです。

初代運営委員長は、「下新庄さくら園」での経験を、次のように振り返っています。

「模索しながらやってるなかで、だんだんだんだん膨れてきて、『これもできるじゃない』、『こんなこともできたね』、『こんなこともできるじゃないか』いうのが、もうすごくこんなに広がってきた、・・・・・・、全然自分が考えてない、ここまで。」

「だから、それもひとつの『ふれあい』をやりながらしていってる、幅がどんどん広がってる感じで。それはいいことだなと思って。こっちから何かしなくてもね、受けながら受けながらやっていったらね、なんぼでもあると思うよ。」

要求への対応が、「ふれあい」という理念の具体例になることで、理念が「全然自分が考えてない」ところまで広がってきたということです。

要求への対応を理念の具体例とすることを通して理念が豊かになっていく場所

「下新庄さくら園」の歩みを振り返れば、要求への対応が、「ふれあい」という理念の具体例になることで、「ふれあい」という理念がより豊かなものになってきたことを見出すことができます*10)。

オープンまでのプロセスにおいて主(あるじ)らによる2つの願いを反映した「下新庄さくら園」が実現を目指す「ふれあい」という理念は、喫茶ではなくグループ活動に参加するというかたちで、それは下新庄鉄筋住宅の住民に限定されないものとして捉えられていました。
ところが、運営が始まると喫茶の方が好評であり、喫茶の場所として定着することになりました。つまり、「下新庄さくら園」はグループ活動に参加するより喫茶の方がよいという要求に対応したということです。そして、次のように表現されているように、喫茶の場所において人々が過ごす光景が「ふれあい」の具体例となり、「ふれあい」として表現されるものの中身がより豊かになってきた。

「『ふれあい』いう言葉、色んなことで使われてんのね、福祉の。ここの『ふれあい』はまたちょっと違うと思うの。遊びじゃないし、・・・・・・、身体と身体の『ふれあい』じゃなくて、手をつなぐとかじゃなくって、会話を通じてふれあっていく。それと、世話する人と世話される側とが、ひとつ、どっちも上下なしね、ほんとにお互いがふれあってますのでね。・・・・・・。毎週とか月に1回とかだったらね、ここまでできないよ。」

さらに、喫茶の場所として定着することで、「駆け込み寺」と表現される機能も担うようになりました。このことも、目の前の人からの助けて欲しいという要求への対応が、当初は考えていなかったようなかたちでの「ふれあい」の具体例になることで、「ふれあい」という理念の「幅がどんどん広がって」いく。

「だから、それもひとつの『ふれあい』をやりながらしていってる、幅がどんどん広がってる感じで。それはいいことだなと思って。こっちから何かしなくてもね、受けながら受けながらやっていったらね、なんぼでもあると思うよ。」

初代運営委員長は、「下新庄さくら園」における「ふれあい」の経験を次のように振り返っています。

「やりながら『ふれあい』をしてる。『ふれあい』をした、やっぱり『ふれあい』になってるなと、やりながら。『ふれあい』をしようとしたんじゃなくって。」

「「だから、私らでも今でも『ふれあい』の感激、何て言うの、『小さな秋見つけた』いうのかな、『やっ』っていうのたくさんもらいます、私。」

最初から「『ふれあい』をしようとしたんじゃなく」、一つひとつの「ふれあい」の経験を事後的に「やっぱり『ふれあい』になってるな」というように、「ふれあい」の具体例であることを確認していくことが積み重ねられてきたこと。これは、一つひとつの経験をあらかじめ計画した「ふれあい」の枠組みに押し込めていくのとは逆の姿勢。だからこそ、「小さな秋見つけた」と表現されるような新たな発見の感激が生まれてくるのだと考えることができます。

居場所では、どのような場所にしたいのかという理念が大きな意味を持っている。そして、要求への対応が理念の具体例になることで、理念がより豊かなものになっていく。時間の経過によりますます理念が豊かになっていくことは、居場所のもつ大きな力だと考えています。


■注

  • 1)「下新庄さくら園」の詳細は田中康裕(2021)を参照。
  • 2)ただし、新型コロナウイルス感染症への対応として大阪府に緊急事態宣言が発令されたため、運営が休止された期間もある。
  • 3)「だんらんコーナー」、厨房の説明は、オープン時に作成されたリーフレットより。
  • 4)この記事で引用している発言は、全て初代運営委員長の女性の発言である。
  • 5)大阪府は、下新庄鉄筋住宅の自治会長が「ふれあいリビング」の運営委員長を兼任することを想定していたが、自治会長が運営委員長を兼任しないことにした背景には、「当番制でやってるような自治会の会長を上にもってきたんでは、毎回違う考えの人が来て、運営なんか絶対できない」という考えもある。
  • 6)筆者は主(あるじ)を次のように捉えている。「主(あるじ)は明確な理念と自らの責任において場所をしつらえ、人々に関わっていく存在である。そして、状況に応じて人々の関係を媒介し、既存の制度や施設に縛られることなく柔軟に人々の要求に対応していく存在である」(田中康裕, 2021)。
  • 7)コーヒーをいれたり、食器を洗ったりするため、当番は「喫茶コーナー」で過ごしていることが多い。そのため、初代運営委員長は「喫茶コーナー」は「一人でいる人がボランティアさんとしゃべる場所にして欲しい」、「もう馴れてお友だちができたら、こっち〔だんらんコーナー〕の方へ来て欲しい」というように、来訪者に応じた「喫茶コーナー」と「だんらんコーナー」の使い分けを考えている。しかし、常連の人が喫茶コーナーに固まることで、「喫茶コーナーに座れず、「だんらんコーナー」で孤立してしまう人が出てくることもあるという。平面プランを「喫茶コーナー」と「だんらんコーナー」に分けて計画したために生じている課題だが、こうした状況に対して、初代運営委員長は全体の様子が伺える向きに座り、孤立している人や気分を悪くして帰る人がいないか常に意識している。そして、会話に入れず孤立している人を見かけた時は、自らが話し相手になったり、当番に話し相手になってもらったり、ほかの来訪者に声かけしたりする対応がなされている。また、だんらんコーナーに座って向かい合って話をすると「対話みたいに」かたくなるため、表まで見送った際にちょっと立ち話をすることも考えられている。「あそこ〔喫茶コーナー〕にお1人の方が割と行かれるんですわ。ということは、ボランティアさんとお喋りがしたいんですよね。だから、どうしても向こうの方にお1人の方いらっしゃるんですけどね。で、ここは懇談っていうとこの場所としてとったんだけど、やっぱり喫茶のほうの方もみな、こちらの方に入られるからねぇ。どう言うんですか、お話なりにくいお客さんもいらっしゃいますので、そういう方は私たちがお相手させていただいたりね」。
  • 8)小物作りは「めだか組」と呼ばれており、初代運営委員長が立ち上げた集まりである。立ち上げ当初は初代運営委員長の自宅で開かれていたが、その後、下新庄鉄筋住宅の集会所で開かれるようになった。そして、「下新庄さくら園」オープン後は、「下新庄さくら園」で開かれるようになった。
  • 9)「下新庄さくら園」のオープンから約1年半後に行われた調査によれば、来訪者の約4割が下新庄鉄筋住宅の住民であることが明らかにされている(上田竜也ほか, 2002)。オープンから約5年半後に行われた調査では、来訪者の6割が下新庄鉄筋住宅の住民であることが明らかにされている(麻野翔太ほか, 2006)。これらの調査結果からも、下新庄鉄筋住宅の住民でない人々も「下新庄さくら園」を訪れていることが伺える。
  • 10)田中康裕(2007)では、これを目的が事後的に形成されるプロセスとして考察した。

■参考文献

※「アフターコロナにおいて場所を考える」のバックナンバーはこちらをご覧ください。