『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

コミュニティカフェ(居場所)の入口部分への配慮(アフターコロナにおいて場所を考える-42)

居場所における理念

2000年頃からコミュニティカフェ、地域の茶の間、宅老所など従来の施設(制度:Institution)ではない場所が同時多発的に開かれるようになってきました。
筆者らは、このような場所を居場所(まちの居場所)と呼んできました。居場所には、従来の施設(制度)では対応できない課題に直面した人々が、その課題を乗り越えるためには「地域にはこのような場所が欲しい」という思いを抱き、そのような場所を自分たちの手で開き、運営してきたという特徴があります。その後、コミュニティカフェや地域の茶の間をモデルにした通いの場、宅老所をモデルとした小規模多機能ホームというように、居場所をモデルとする施設が生み出されてきました。
このような居場所の制度化の動きを見て、当初、居場所は従来の施設ではない場所として開かれたにも関わらず、なぜ施設のモデルとなり得るのかという疑問が湧き、居場所と施設は何が違うのかを整理しておく必要があると考えるようになりました*1)。
この点について現時点では、生活科学研究を行う佐々木嘉彦(1975)と、佐々木嘉彦の議論を受けた建築学者の大原一興(2005)の「要求-機能」関係の議論をふまえ、居場所と施設では「要求-機能」が反転していると捉えています。つまり、居場所では、機能は生じてくる人々の要求への対応として備わってくるのに対して施設では、機能は要求に先行し、実現すべきものとしてあらかじめ設定される。このように捉えれば、居場所の制度化とは、要求への対応として居場所に備わった機能を抽出し、それを実現すべきものとしてあらかじめ設定していくプロセスということになります。

居場所の運営に関わる方々からは、しばしば、次のように当初計画していなかったことが実現したという話を伺うことはあります。これは、人々の要求への対応として機能が備わってきたことの現れだと考えています。

「ここは喫茶店なので人との出会いがその流れをつくっていっているんですよ。人との出会いがつくっていってるので、『ちょっと待って』とは絶対私は言えない。『そういう要求ならそれもやりましょうね』っていうかたちで、だんだん渦巻きが広くなっちゃうっていうかな。・・・・・・。だから人がここを動かしていって、変容させていって。しかも悪く変容させていくんじゃなくて、いいように変えていってくれてると思ってます。」
※「親と子の談話室・とぽす」(東京都江戸川区)開設・運営者のSさんの話

「だから、それもひとつの『ふれあい』をやりながらしていってる、幅がどんどん広がってる感じで。それはいいことだなと思って。こっちから何かしなくてもね、受けながら受けながらやっていったらね、なんぼでもあると思うよ。」
※「下新庄さくら園」(大阪市東淀川区)初代代表のWさんの話

「場所づくりしたところで、こちらの押し付けがあったらだめなんですよね。だから、はっきり言えば来る人がつくっていく、来る人のニーズに合ったものをつくっていく。」
※「ひがしまち街角広場」(大阪府豊中市)初代代表のAさんの話

「いつもね、いらっしゃる方たちの様子、いらっしゃる方たちの満足、いらっしゃる方たちのニーズから吸いあげていくだけですよね。」
※「実家の茶の間」(「実家の茶の間・紫竹」(新潟県東区)の運営主体)代表のKさんの話

それぞれの居場所には、どのような場所にしたいのかという理念があります。そして、人々の要求に対応する際には、人々の要求への対応が理念の具体例になるようなかたちでの対応がなされる。つまり、人々の要求への対応は理念の具体例となり、理念を豊かなものに育てていくと同時に、理念の具体例は理念を共有していく契機になる。このようにして、人々の要求に対応するにつれて、居場所は徐々に豊かな場所になっていくことになります(田中康裕, 2021)。

このことを、「親と子の談話室・とぽす」では「最初は芽だったんだけど、それが少しずつ伸びていって、枝をはって、実がなっていくみたい」だと表現されています。

「その目的が、最初は芽だったんだけど、それが少しずつ伸びていって、枝をはって、実がなっていくみたいな。・・・・・・。私は、子どもと大人のコミュニケーションの場所であるということ。子どもと大人っていうのは年齢の差もある。それに付随して、差別とかそんなものを感じるものを全てとっぱらいちゃいたいっていうね、そこまでいってここをつくったので。それを新しいコミュニケーションと私は名づけたんだけど、それしか言葉としてはね、表現できなかったので。『いま新しいコミュニケーション〔の心〕を考える』んだから、まだ考え続けてるんですよ。その中に、心の病の人とのコミュニケーション、知的障害の人とのコミュニケーションも生まれてきたし。」
※「親と子の談話室・とぽす」開設・運営者のSさんの話

理念というと、曖昧なもの、情緒的なものだとみなされるかもしれませんが、居場所の運営において大きな役割を担っている。居場所についてこのように考えてきましたが、最近読んだ本に、これに通じる書かれているのを見かけました。田中元子氏の『1階革命:私設公民館「喫茶ランドリー」とまちづくり』(以下、田中元子(2022)と表記)です。

コミュニティカフェではなくテーマを書くこと

田中元子氏は、従来の「公共施設やパブリックスペース」は本当に公共性を実現してきたのだろうかという問題意識から、「グランドレベル(まちの1階・建物の1階)」(田中元子, 2022)において、マイパブリックの実践を続けてこられました。

「『パブリック』とは、知らない第三者と接触する可能性があり、多様な人々の多様なふるまいの中に自分の居場所、居心地が感じとれること、そして自分も他人も、互いの多様性を許容し合っている状況。・・・・・・
ひるがえって、日本にある、公共施設やパブリックスペースのどれほどが、そのような状況を叶えてくれているだろう。一方で、これまで取り上げてきた、個人によるさまざまな『マイパブリック』は、事実上、公共的な状況づくりを実現していた。リアルなパブリック性を持った“私設の公共”は、提供する側も、提供される側も、楽しい。そこに次世代の『しあわせ』につながる大きな可能性がある、とわたしは考えている。」(田中元子, 2017)

マイパブリックとは「私設の公共」を意味する田中元子氏の造語で、その実践の1つが、次のように紹介される「喫茶ランドリー」という場所。

「洗濯機・乾燥機やミシン・アイロンを備えた『まちの家事室』付きの喫茶店で、コンセプトは『どんなひとにも自由なくつろぎ』。まちに暮らすあまねく人々に来ていただきける『私設公民館』のような場所になれば、という想いのもとにつくられたものです。」
※「喫茶ランドリー」ウェブサイト

喫茶ランドリーでは、「意図的に描いたり置いたりしたものの余り」を「ひとは有意義に使わない。本当の余白は、作り込まれた結果だ」(田中元子, 2022)という考えから、「『ハード』『ソフト』『コミュニケーション』という3つの要素が互いにふさわしく、相乗効果をもたらす」ような多くのデザインがされています。いずれのデザインからも学ぶことは多いですが、特に目にとまったのが、ソフトのデザインの1つとしてあげられている「コミュニティカフェとは書かない」こと、コミュニケーションのデザインの1つとしてあげられている「みんなが気にしてくれるテーマがある」こと。

「ある時NPOをされているという方に、ちょっと怒っているように、こう言われたことがある。
『わたしもコミュニティカフェをやっているんですよ。なのにどうして喫茶ランドリーは賑わって、わたしたちのところは難しいんでしょうね? ちゃんと店頭に『コミュニティカフェ』と書いているのに!』
自分の暮らす街に『コミュニティカフェ』と掲げられたお店が出来たとして、果たしてわたしたちは、そこに行きたくなるだろうか? ワクワクするだろうか? そもそもそこがコミュニティカフェかどうか、自称すべきことでもないように思う。大手チェーンの店舗やカフェでも、事実上のコミュニティカフェと化しているところは、何軒も見たことがある。コミュニティカフェだろうが私設公民館だろうが、目指す形態をせっかちにも店頭で自称してしまうことは、不特定多数の人々に対するアピールとして大きくマイナスに働くはずだ。もっと言うと、医療や福祉、伝統文化、あらゆる分野において、不特定多の人々にとって身近な存在であるうとするならば、そのような雰囲気やデザイン、サービスのあり方から作り込む必要があるだろう。」(田中元子, 2022)

喫茶ランドリーでは、店先にコミュニティカフェや施設公民館と書かれておらず、「『どんなひとにも自由なくつろぎ』というコピー」(田中元子, 2022)が記されています。田中元子氏は、店先にコピーを記すことは「お客さんへの理解と安心感、スタッフには何かあったときの指針として意外と大きく機能する」と指摘しています。

「・・・・・・、お客さん方は深く考えずとも『どんなひとにも』に自分が含まれているという安心感を得てくれると同時に、そこに自分とは異なる他者が含まれていることも、考えてくれるかもしれない。何気なく添えたこのコピーは、喫茶ランドリーで働くスタッフたちにとっても拠り所として機能してくれているようだ。・・・・・・。現場では時に判断が難しいことも起きるだろうし、世間ではエラーと見なされるようなこともあるだろう。だが、そんなときわたしがそこにいない場合も、このコピーがひとつの指針となってくれて、どのように捉えて対応すべきかを、スタッフなりの思考力で導き、実装してくれている。」(田中元子, 2022)

「・・・・・・、店先のたった数文字のコピーも、一役買っているかもしれない。店内でぐずる赤ちゃんに、最初は怪訝な顔をしていたひとも、赤ちゃんをあやしはじめる他のお客さんやスタッフの素振りを見て、いつの間にか一部始終を許してくれている。どんなひとにも、は当然、赤ちゃんやママにも、あなたにも、である。喫茶ランドリー以外のプロジェクトにおいても、店名をつくるのとセットで一言コピーを添える場合がある。店内の空間デザインなどとあわせて、どんなことを歓迎する場であるのかが一瞥してわかることは、お客さんへの理解と安心感、スタッフには何かあったときの指針として意外と大きく機能することが、喫茶ランドリーの事例を通してよくわかったからだ。」(田中元子, 2022)


この指摘は、理念は、運営を通して具体例を伴うことで、より豊かなものになると同時に、その具体例が理念を共有する契機にもなるということと近いことが指摘されているように思いました。

コミュニティカフェの制度化

コミュニティカフェという言葉が一人歩きして、コミュニティカフェと名乗りさえすれば、自動的にコミュニティが生まれるかのように捉えられてしまう場合がある。そのような状況を生み出した一端は、研究者や専門家が担ってしまっているのではないか。田中元子(2022)を読み、このようなことを考えさせられました。

コミュニティカフェと呼ばれる場所は、2000年頃から開かれるようになってきたと言われています*2)。2000年頃、従来の施設ではない場所が同時多発的に開かれるという状況がありました。そのような場所にはカフェ、お茶が飲める場所として運営されているという共通点があった。こうした状況を受けて、そのような場所を、研究者や専門家、自身も含めて、がコミュニティカフェと呼ぶようになった*3)。
当時を振り返ると、少なくとも自身が調査をしてきた場所では、運営に携わる人々自身がコミュニティカフェという表現を使っていたわけではないこと気づかされます。しかし、コミュニティカフェという表現が普及するにつれて、今度は、コミュニティカフェと名乗れば自動的にそこでコミュニティが生まれるかのように捉えられる場合も生まれている*4)。

後にコミュニティカフェと呼ばれることになる場所には、確かにコミュニティ(と表現されるもの)を生み出す機能がある。この記事の初めに、施設ではない場所として開かれた居場所が制度化されるとは、要求への対応として居場所に備わった機能を抽出し、それを実現すべきものとしてあらかじめ設定していくプロセスとして捉えました。そうすると、コミュニティカフェと名乗れば自動的にコミュニティを生み出す機能が備わるのだという考え方には、人々の要求に関わらずコミュニティを生み出す機能が抽出されているという点において、制度化に通ずるものがある。自身を含めて研究者や専門家はコミュニティカフェを制度化することに加担することになったのではないかと思わされます。

制度化、あるいは、施設(制度)は必ずしも批判されるべきことだとは考えていませんが、居場所とはそもそもどのような背景で開かれるようになったのかということは忘れてはならず、語り継ぐべきことだと考えています。この意味では、研究者や専門家の役割として、機能を抽出するのではないのとは別のあり方があり得る。それが、田中元子氏のいう「雰囲気やデザイン、サービスのあり方」(田中元子, 2022)にも注目するということだと考えています。

コミュニティカフェ(居場所)の入口部分への配慮

早い時期に開かれ、後にコミュニティカフェと呼ばれることになる場所では、入口部分にどのような配慮がされてきたのかをご紹介したいと思います*5)。以下でご紹介するように、どの場所においても、入口部分にはコミュニティカフェと書かれていないことがおわかりいただけると思います。

親と子の談話室・とぽす(東京都江戸川区)

親と子の談話室・とぽす」は、1987年4月のオープン以来、Sさん夫妻の個人経営の喫茶店として運営され続けてきました。喫茶店として開かれることにはった背景には、Sさんの次のような思いがあります。

「児童館とかね、子どもの城とか、子どもの遊び場とか、フリースペースっていう言葉は一切。・・・・・・、何か入ってくるのに制限されてるっていう気持ちがあるでしょ。喫茶店って言えば誰でも入れるかなって、子ども以外は。だから、子どもも入れる喫茶店っていうふうにしたんです。」
※「親と子の談話室・とぽす」開設・運営者のSさんの話

ここには、「児童館とかね、子どもの城とか、子どもの遊び場とか、フリースペース」などの公共施設は、どのような人に対しても開かれた場所になっているのだろうかというSさんの思いを垣間見ることができます。

「親と子の談話室・とぽす」では、訪れた人が外から見られず、ゆったり過ごせるように2階に開かれていますが*6)、入口は1階にもうけられています。
1階の入口には、Sさんの手書きのメニュー。メニューが書かれた紙には、「本を読む」、「絵を描く」、「音楽をきく」、「ほっとする」、「おしゃべりする」、「うとうとする」、「自分だけの時間を過ごす」、「語り合う」というように、「親と子の談話室・とぽす」でどのように過ごせるかが紹介されています*7)。

「親と子の談話室・とぽす」では絵手紙教室が開かれており、毎年、ギャラリー/ホールを借りた展示会が開かれてきました。新型コロナウイルス感染症によって展示会が開かれなくなってからは、1階の小さなスペースに絵手紙教室で描かれた作品が展示され、通りからも作品を眺めることができるギャラリーのような場所になっています。

下新庄さくら園(大阪市東淀川区)

下新庄さくら園」は、大阪府による「ふれあいリビング」の第一号として、2000年5月、府営下新庄鉄筋住宅(以下、府営団地)に開かれた場所です。当初は府営団地の住民のための場所として、府営団地の敷地の中央に新築されることが計画されていました。けれども、府営団地の住民以外の人にも立ち寄ってもらえる「地域の財産」とするために、府営団地の一番端の敷地が選ばれたという経緯があります。

「〔下新庄鉄筋住宅の〕一番奥の方にしようと思ってたんですけれど、地域のものとして残そう、地域のものとしての活動しようと思ったら、やっぱり表に出さないかんいうことで、私らの考えでこちらにもってきてもらって。」
※「下新庄さくら園」初代代表のWさんの話

府営団地の周りにある喫茶店の営業を妨害しないように、表の看板には、100円でコーヒーなどを提供していることは書かないという配慮もされています。「下新庄さくら園」がオープンしてから、府営団地は高層の住棟に建て替えられましたが、建て替えにあたっては、「下新庄さくら園」からの要望を受けた住棟配置が計画され、「下新庄さくら園」の前は広場として整備されることになりました。

入口について、初代代表のW3は次のように話されていました。「下新庄さくら園」では「帰りのお客さんは大切に」しており、室内で、テーブルに座って向き合って話をすると「対話みたいに」かたくなるため、表まで見送った際に立ち話をすることもあるということです。

「ここ〔だんらんコーナー〕へ来て、こうして座ってしゃべると、何か対話みたいになるでしょう。・・・・・・。ちょっとかたくね。・・・・・・。だから、帰りにふっと送って行って。『今日は初めてですの、来てくださったんですの、また来て下さいね』って言うたら、ちょっとしゃべるんですわ、2、3分。」
※「下新庄さくら園」初代代表のWさんの話

ひがしまち街角広場(大阪府豊中市)

ひがしまち街角広場」は、建設省(現・国土交通省)の「歩いて暮らせる街づくり事業」と、それを受けた豊中市の社会実験をきっかけとして、近隣センターの空き店舗を活用して2001年9月にオープン。半年間の社会実験期間が終わった後は、住民による運営が続けられてきました*8)。「ひがしまち街角広場」は、近隣センターのアーケード下や広場にもテーブル・椅子が出され、屋内・屋外が一体として場所として運営されており、名前の通り、「街角」の光景を生み出してきました。

「ひがしまち街角広場」の入口部分の配慮として、掲示板があります。掲示板には2か月に1度発行されている地域新聞、地域行事を案内するポスター、小学校と中学校の学校通信など様々なものが貼られており、「ひがしまち街角広場」の掲示板という枠を越えて、地域の掲示板としての役割を担ってきました。

「『ここを起点として学校の情報を外に出すことを考えたらどうですか?』っていうふうに言って。『街角』にはいつでも学校通信が貼られたり。・・・・・・。中学生っていうのはね、男の子なんか学校からもらったお手紙出さないんですよ、親には。親にとってみたらほとんど学校からの連絡が来ないのが、『街角広場』へ来れば、その学年だけじゃなくて、違う学年、学校全体の色んな情報が得られるって言って、最近はお母さんたちがよく読みに来ますね。・・・・・・。学校の先生も、何はともあれみんなに、地域に知らせようと思ったら、『街角広場』へ持って行くのが一番いいというかたちで情報発信に使ってもらってます。」
※「ひがしまち街角広場初代代表のAさんの話

掲示板に色々なものを貼っても、期限が切れたものが貼りっぱなしになっているような掲示板は見てもらえません。初代代表のAさんは、掲示物の整理が毎朝の日課だと話されていました。

実家の茶の間・紫竹(新潟市東区)

実家の茶の間・紫竹」は新潟市による最初の「地域包括ケア推進モデルハウス」(基幹型地域包括ケア推進モデルハウス)として、2014年10月に開かれた場所で*9)、Kさんが代表をつとめる任意団体「実家の茶の間」と新潟市との協働で運営されています。

「実家の茶の間・紫竹」では、「大勢の中で、何もしなくても、一人でいても孤独感を味わうことがない“場”(究極の居心地の場)」を実現するために、30年にわたる活動を通じて作りあげられてきた「居心地のいい場づくりのための作法」(河田珪子, 2016)として多くの気配りがなされています。
玄関の戸は、「どうぞ自由にお入りください。」という思いの表現として「暑いときも寒いときもいつも開けっ放しに」されています。玄関脇には、「赤ちゃんからお年寄りまで どなたでも お気軽においで下さい」と書かれた看板。訪れた人が帰る際には、当番は玄関まで見送ることが行われています。

訪れた人は、玄関を入ったところで参加費を支払うことになっていますが、当番が参加費を受け取るわけではありません。訪れた人が自分で参加費を箱に入れ、必要なら箱からお釣りをとることとされています。これは、訪れた人々を信頼しているという表現です。

「誰も見てなくても、お釣りも自分で取るってことは、・・・・・・、『お釣りを余分に取ったと思われないかな』とか『お金を入れたっていうの誰も証明してくれないのかな』とかって思うことで、まずバリアになるのはそこなんですよ。でもそれが普通になった時、『ここは私を信じてくれる場所』に変わっていきます。」
※「実家の茶の間」代表のKさんの話


いくつかの場所の入口部分をご紹介しました。これらの場所において、入口部分にはコミュニティカフェとは書かれていないことがおわかりいただけたと思います。「ふれあい」、「交流」という文字が書かれた看板が置かれた場所もありますが、いずれの場所も、地域と良好な関係を築くことも含めて、どのような人をも迎えるための配慮がなされています。どのような場所にしたいのかは、入口部分に現れている。「玄関は家の顔」という言い方がされることがありますが、これは、地域の場所にもあてはまります。


■注

  • 1)これは居場所と施設の違いに注目するという意味で、施設(制度)を批判するという意味ではない。
  • 2)大分大学福祉科学研究センター(2011)、倉持香苗(2014)より。いずれも、全国のコミュニティカフェを対象とする調査を行ったものである。
  • 3)コミュニティカフェの呼称を最初に使ったのは誰かはわからないが、早い時期に刊行された記事では、次のようにコミュニティカフェが茶堂の系譜として位置づけられることもあった。「このようなところを総称してコミュニティ・カフェと呼ぶことができるのではないだろうか。これが今、大変な勢いで増えている」、「これらは、今風のことばを使えば地域の『公共空間』だが、その歴史的な系譜を辿ることもできる。その一つが茶堂である」(久田邦明, 2004)。国立国会図書館の所蔵資料を「コミュニティカフェ」、または、「コミュニティ・カフェ」のキーワードで検索すると、最も刊行時期の早い文献として2003年5月に刊行された地球環境研究会編『地球環境キーワード事典 4訂版』(中央法規出版)がヒットする。ここで引用した久田邦明(2004)は2番目に刊行時期が早いものとしてヒットする文献である。
  • 4)これは、コミュニティカフェに限らず「居場所」にもあてはまると考えている。
  • 5)それぞれの場所の詳細は、田中康裕(2021)を参照。
  • 6)この他にも、「親と子の談話室・とぽす」では訪れた人にゆったり過ごしてもらうために多くの配慮がなされている(田中康裕ほか, 2009)。
  • 7)入口に貼られたメニューは定期的に更新されており、書かれている内容も少しずつ異なるが、いずれのメニューにも「親と子の談話室・とぽす」でどのように過ごせるかが書かれている。
  • 8)「ひがしまち街角広場」は近隣センターの再開発により、2022年5月末で運営を終了した。
  • 9)「実家の茶の間・紫竹」が開かれたきっかけは、Kさんらが2003年4月から2013年3月まで新潟市東区粟山で開いていた「うちの実家」の再現することを新潟市から依頼されたことである。「実家の茶の間・紫竹」自体は、初期に開かれたコミュニティカフェとは言えないが、その背景には、Kさんらによる30年にわたる活動の蓄積がある。

■参考文献

※「アフターコロナにおいて場所を考える」のバックナンバーはこちらをご覧ください。