『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

復興という一つの言葉では言い切れない

大船渡市のNさんがお亡くなりになられました。末崎小学校の校庭にあった山岸仮設、居場所ハウス、ふるさとセンター(末崎地区公民館)でのデジタル公民館のパソコン・スマホ相談会など様々な場面でお世話になりました。
パソコン・スマホ相談会では、Facebookのこと、スマートフォンのことなど多くのことを尋ねてくださり、何歳になっても新しいことを学ぶことができること、新しいことを学ぼうとする人は魅力的であることを教えていただきました。


山岸仮設は2016年6月末で閉鎖となりましたが、閉鎖後、元住民の方々は自主的に同窓会(同窓お茶っこ会)を開催されてきました(これまでに7回開催)。Nさんは、山岸仮設の婦人会(山岸レディースクラブ)の会長だったこともあり、同窓会の幹事も担当されていました。

2017年2月12日、山岸仮設の第1回目の同窓会が開かれましたが、挨拶の時にNさんが話されたことが忘れられません。同窓会を開催することになった経緯を説明した後、Nさんは次のような話をされました。

「被災当時、どこに行ったらいいか彷徨っていましたが、仮設に入って、世界中からの支援をいただき、見守られながら生活することができました。復興という一つの言葉では言い切れない。そういう思いをもつ方が、今日集まってくださったと思います。」

この日の同窓会で、Nさんら小細浦の方々が踊りを披露してくださいましたが、事前に何度か集まって練習をされていました。山岸仮設から退去した後、山岸仮設の元住民同士でなかなか会う機会がなかったけれど、踊りの練習のために久しぶりに顔を合わせたら自然に震災の話になったということです。

「やっぱり震災の時の話になるもんね。あの時どうだったとか、あの時どうだったとかって。そういうの被災してない人とは話せないからね。だから、そういうの大事かなと思う。」

山岸仮設の元住民の方々が同窓会を定期的に開いてこられたこと。そして、Nさんの「復興という一つの言葉では言い切れない」という言葉。復興に携わる専門家や研究者にとって大きな問題提起だと考えています。

Nさんから伺った話で記憶に残っていることがもう1つあります。子どもの頃、お正月に柿の皮を干したものをお土産に持ってきてくれる人がいて、それを食べるのがお正月の楽しみだったと。

ご冥福を心よりお祈り申し上げます。