『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

『居場所ハウスの歩み:東日本大震災の被災地・大船渡市末崎町の居場所づくりの10年』

大船渡市末崎町の「居場所ハウス」は、2023年6月でオープンから10年を迎えました。オープンから10年を迎えたのを機に、これまでの歩みをまとめた冊子を発行しました。


  • タイトル:居場所ハウスの歩み:東日本大震災の被災地・大船渡市末崎町の居場所づくりの10年
  • 編集:田中康裕 鈴木軍平 松澤登美子
  • 発行:NPO法人居場所創造プロジェクト(居場所ハウス)
  • 発行年月日:2024年3月1日
  • ページ数:A4サイズ 96ページ(表紙:カラー 本文:カラー/モノクロ)

※冊子の一部をこちらでご覧いただけます。

目次

刊行にあたって
祝辞

1:写真にみる居場所ハウス(p7)

2:東日本大震災後の大船渡市末崎町(p17)

3:居場所ハウスオープンの経緯(p25)
「Ibasho」が目指すこと
居場所ハウス
居場所ハウス創設10周年を祝して:オープンまでの物語

4:居場所ハウス10年の歩み(p33)
2013(平成25)年の出来事
2014(平成26)年の出来事
2015(平成27)年の出来事
2016(平成28)年の出来事
2017(平成29)年の出来事
2018(平成30)年の出来事
2019(平成31・令和元)年の出来事
2020(令和2)年の出来事
2021(令和3)年の出来事
2022(令和4)年の出来事
2023(令和5)年の出来事
スタッフ日誌にみる10年の歩み
東日本大震災伝承紙芝居「ワンコとともに救われた命」

5:居場所ハウスへの声(p79)

編集後記
お礼の言葉

編集後記

「居場所ハウス」はオープンからの10年間に、震災復興、高齢社会への対応、地方創生などさまざまな観点から注目されてきました。いずれの観点も大切なのは言うまでもありませんが、ここでは編集後記として、「居場所ハウス」から教わった日常の場所としての豊かさについて書きたいと思います。

■参加するのでなく居合わせる
お茶を飲んで休憩したり、食事をしたりしている人。話をしたり、冗談を言って笑い合ったりしている人。生け花、手芸、絵手紙、歌声喫茶、体操などのプログラムに参加している人。ピアノを弾いたり、ゲームをしたりしている人。朝市などで何かを売ったり、買ったりしている人。運営に対して何らかの役割を担ったり、協力したり、差し入れしたりしている人。この冊子を編集するためにこれまで撮影してきた写真を見直すことで、「居場所ハウス」への関わりにはさまざまなかたちがあることに改めて気づかされました。さまざまなかたちでの関わりができるのは、「居場所ハウス」が、運営時間内であればいつでも訪れることができ、いつでも誰かがいてくれる場所になっているから。みなが同じ会話やプログラムに参加することが求められない場所になっているから。
いつの頃からか、このような緩やかな「居場所ハウス」の姿は、「参加するのでなく居合わせる」と表現するのが相応しいと考えるようになりました。薪ストーブを何となく囲んで暖をとっている人たち。テーブルを囲んで、クルミむきや椿の種の殻むきをしている人たち。大人の周りで、勉強したり遊んだりしている子どもたち。いずれも「居場所ハウス」らしい光景です。日常の場所としての豊かさの根本は、このような「参加するのでなく居合わせる」にあり、はじめにあげた震災復興、高齢社会への対応、地方創生などは、日常の積み重ねの結果として事後的に浮かびあがってくる効果だと考えています。
「参加するのでなく居合わせる」は、運営に関わる側にとっても意味をもちます。「居場所ハウス」は多くの人で賑わう時間帯もありますが、逆に、訪れる人がいない静かな時間帯もあります。都合のよい話かもしれませんが、そういう時には誰かが来てくれること、たとえ話をしなくても居てくれること自体がありがたいことを実感しました。単に来訪者の人数が増えて嬉しいというのでなく、誰かが居てくれることだけで力をもらえるということ。以前、お世話になった方から伺った「地域の場所では運営する方もボランティアだけど、来る方もボランティア」という言葉を身をもって実感できたように思います。

■誰かの役に立てること
「居場所ハウス」の近くに一人でお住まいの90代の女性がいました。この女性は、自分には何もできないけれど、いつもお世話になるだけでは申し訳ないからと言って、時々、小麦粉や砂糖などを差し入れてくださっていました。
現在、住民同士の助け合いの必要性がしばしば議論されています。この時、一人暮らしの90代という属性の人が、暗に助けられる側になることが前提とされているとすれば、それは「助ける」仕組みであっても「助け合い」の仕組みにならない。これに対して「居場所ハウス」は、年齢に関わらず、自分にできることを通して助ける側になれる可能性のある場所。もちろん、人は役に立つか否かという有用性によって評価されるべきでないのは当然ですが、この女性から、そして、「居場所ハウス」からは、年齢に関わらず誰かの役に立てるという手応えを感じるのは喜びであり、生活に張りをもたらすのだと教わりました。
助け合いという点で見落としてならないのは、この女性は特定の誰かを助けているわけでないことです。特定の誰かに小麦粉や砂糖などを持って来ているのでなく、「居場所ハウス」自体を助けることで、この場所に関わりのある多くの人々を間接的に助ける側になっている。これは、何かを助けることができる人と、何かを助けてもらいたい人とをマッチングさせることで成立する1対1の助け合いのかたちとは異なります。助け合いにはさまざまなかたちがあり得ることも、「居場所ハウス」から教わったことです。

■目の前の人に対応すること
ある日の朝市で、たくさんの野菜などを買った人がいました。家は近くで歩ける距離ですが、坂もあって買ったもの全てを一人で持ち帰るのは大変かもしれない。それを周りで見ていた人が、買ったものを一緒に家まで運ぶという出来事を見かけました。目の前で困っている人に対応することが、言い換えれば、属性でなく顔の見える一人ひとりとして相手に対して向き合うことが、助け合いの基本であることを、この出来事は教えてくれます。
目の前で困っている人に対応する状況において、高齢者、つまり、ある属性の人が助けられる側になると限らないのは言うまでもありません。「居場所ハウス」のスタッフがひな祭りで昔ながらの土製の人形を飾るのはどうかと相談していたところ、その話を傍で聞いていた女性が、それなら家にあると言って、何十年も倉庫にしまってあった土製の人形を持って来てくださったことがあります。その時の女性の表情は嬉しそうに、また、誇らしそうに見えたことが今でも忘れられません。

■高齢者という言葉
「居場所ハウス」の立ち上げを提案したワシントンDCの「Ibasho」が掲げる理念のひとつに「高齢者が知恵と経験を活かすこと」があります。この理念の通り、「居場所ハウス」は高齢者と定義される65歳以上の人々の手により10年の運営が継続されてきました。それゆえ、「居場所ハウス」の歩みからは、「高齢者が知恵と経験を活かすこと」という理念が実現された世界のあり方を垣間見ることができるように思います。
逆説的かもしれませんが、それは高齢者という言葉が不要な世界。「居場所ハウス」において、一人ひとりは、高齢者でなく、○○さん、○○さんという固有の名前を持った存在。高齢者という言葉には否定的な意味があるためか、そう呼ばれるのを快く思わない人は多いですが、「居場所ハウス」において、日常的に一人ひとりと接するうえで高齢者という言葉を使う必要はありません。「居場所ハウス」は、一人ひとりの存在を浮かびあがらせることで、高齢者という概念が後景にひいていくような状況を生み出しています。

「居場所ハウス」の歩みを振り返ると、数え切れないくらいの多くの出来事が思い起こされます。ここに紹介したのはそのごく一部ですが、この冊子が「居場所ハウス」の歩みを振り返り、伝えていくことの手助けになればと考えています(田中康裕)。