『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

シンガポールの団地におけるウェイファインディング・プロジェクト@アン・モ・キオのヨー・チュー・カン

シンガポールには国民の約8割がHDB(Housing and Development Board:住宅開発庁)が建設する住宅に住んでおり、国内に多くの団地があります。団地は、同じ形をした住棟が建ち並ぶことから、他の街に比べて景観が単調になる傾向があるため、認知症の人にとって目的地の位置がわかりづらい、目的地にたどり着くためのルートがわかりづらいという状況が発生することが懸念されています。
こうした状況に対して、HDBの団地で取り組まれているのが認知症の人のためのウェイファインディング(Wayfinding)のプロジェクト。ウェイファインディングとは、サイン(標識)やエリアの色分けなど環境の構成要素によって、人が現在地を把握したり、目的地にたどり着いたりしやすくする仕組みのことです。これまで、イーシュン(Yishun)アン・モ・キオ(Ang Mo Kio)のケブン・バルにおけるプロジェクトをご紹介しましたが、ここではアン・モ・キオのヨー・チュー・カン(Yio Chu Kang)と呼ばれるエリアで行われている「認知症に優しい近隣」(Dementia-Friendly Neighbourhoods)のプロジェクトをご紹介したいと思います。

(アン・モ・キオのヨー・チュー・カン)

アン・モ・キオ

アン・モ・キオ(Ang Mo Kio)は、ダウンタウンの北に位置。最初にHDBのプロジェクトが完成したのは1975年と、HDBの建物が完成してからおよそ半世紀が経過し、HDBが1992~2024年まで用いていた分類では「成熟した団地」(Mature estate)に分類されています。シンガポールでは、2020年時点で、総人口に占める60歳以上の人の割合は22.2%ですが、アン・モ・キオは29.6%と高齢化率も非常に大きくなっています*1)。
「認知症にやさしい近隣」のプロジェクトが行われているのは、アン・モ・キオの中のヨー・チュー・カン(Yio Chu Kang)と呼ばれるエリアです。

ヨー・チュー・カンにおけるプロジェクト

シンガポール工科デザイン大学(Singapore University of Technology and Design:SUTD)のソーシャル・アーバン・ラボ(Social Urban Lab:SOULab)は、統合ケア庁(Agency for Integrated Care:AIC)と、CLC(Centre for Liveable Cities)*2)の委託を受けて、「認知症にやさしい近隣」という研究を進めています。ヨー・チュー・カンにおけるプロジェクトは、この研究の一環として行われたものです。

SOULabによる研究「認知症にやさしい近隣」は、シンガポールの高層・高密度の都市において、認知症の人、及び、認知症の人にとって重要でありながらこれまで充分にニーズが反映されてこなかった介護者を含めて、あらゆる人々を受け入れる近隣を実現するためのデザイン・ガイドラインの開発を目的とするもの。

SOULabによる研究では、認知症の人、及び、介護者からのフィードバックを受けて、「アンカー・ノード」(anchor nodes)、つまり、強い機能、日課(ルーティーン)、意味のある記憶(ポジティブな親近感)と結びついた近隣の明確な場所を思い出すことが、近隣での移動を容易にすることが明らかになったということ。「アンカー・ノード」とは、例えば、祖母が集まるヴォイド・デッキ(Void Deck)のテーブル、金曜日のビンゴ大会の会場となったシニアセンター、人々が挨拶交わす賑やかな市場などのこと。
研究成果をふまえて、ヨー・チュー・カンにおけるプロジェクトでは、①近隣におけるアンカー・ノードを豊かなものにする、②ノード間の直線的なつながりを明確にして、直線状、あるいは、ループ状の主要なルートを作る、③ノード間の体験を豊かにするために、ウェイファインディングの目印(wayfinding landmarks)を休憩スポットや社交スポットと統合するという方法によって、人が空間を認識し、ナビゲートする方法であるメンタル・マップ(Mental mapping)を強化することが考えられました*3)。2023年12月2日、プロトタイプとして、HDBの645・646号棟の周りに次のような場所が設置されました。

灯台(Lighthouse)

ヨー・チュー・カンにおけるプロジェクトでは、「アンカー・ノード」が灯台(Lighthouse)のイメージとして捉えられています。灯台は、既存の社会的なノード(social nodes)に近接して設置される、目的のあるプログラムが行われ、楽しく、快適で、適応性のある(adaptable)なコミュニティ・スペース。ヨー・チュー・カンでは、灯台として、ブルー・コート(The Blue Court)、プレイ・コーナー(Play Corner)という2つの場所がもうけられました。

ブルー・コート(The Blue Court)

ブルー・コート(The Blue Court)は認知症の人、介護者、コミュニティが一緒になって、身体と脳を鍛える(work both body and brain muscles)場所として設置された場所。ブルー・コートのすぐ脇にある646号棟の1階には住民委員会(Yio Chu Kang Zone 9 Residents’ Committee)の部屋があります。

(ブルー・コート)

青く塗装された広場の中央には、黄色い点によって円が描かれており、四隅に次のようなコーナーがもうけられています。

  • As you “wheel”:回した数字の分だけブルー・コート中央に描かれた円を進んで、誰が先に一周できるかを競う
  • Neighbou-RING:青い輪を、波型になった黄色いバーに接触させずに端まで移動させる
  • Swing Along:ブランコ
  • “Pot-luck” Tables:共有の鉢植えの手入れをしながら、お菓子やお茶を囲んで話をするテーブル

四隅のコーナーの間には、ヨー・チュー・カンにおけるプロジェクトやブルー・コートを紹介する掲示板、ベンチが設置されています。

(As you “wheel”)

(NeighbouRING)

(Swing Along)

(”Pot-luck” Tables)

プレイ・コーナー(Play Corner)

プレイ・コーナー(Play Corner)は645号棟の託児所(childcare centre)の前にもうけられており、向かいにはコーヒー・ショップ(Coffee Shop)や各種店舗がある631・632号棟。さらにその向こうにはホーカー・センター(Hawker Centre)や市場のある628号棟があります。

プレイ・コーナーは、ブルー・コートより小さいですが、子どもを迎えに来る人の待合場所で、かつ、ホーカー・センターや市場へのルート上に位置する重要な場所として選ばれたということ。ブルー・コートと同じように地面が青く塗装され、黄色いブランコが置かれています。一画には、9つの黄色い点が縦に3つ、横に3つずつ並べて描かれています。

黄色いポールが設置されており、プレイ・コーナーという名前と、ゴミを捨てないこと、静かにすることという注意が文字とイラストによって描かれています*4)。

(プレイ・コーナー)

ブイ(Buoy)

灯台と灯台の間、つまり、ブルー・コートとプレイ・コーナーの間にある645号棟のヴォイド・デッキには、ブイ(Buoy)と呼ばれる場所が2ヶ所設置されています。ブイには、道案内、途中の休憩スポット、社交スポットという3つの機能があります。

2ヶ所のブイは同じデザインで、ヴォイド・デッキの柱を取り巻くように黄色いベンチが設置。柱の足元には黄色い円が描かれており、住民委員会(Zone 9 Residents’ Committee)と628号棟の市場(628 Market)が、それぞれの方向を示す矢印とともに描かれています。住民委員会はロゴが描かれていますが、市場を表すイラストはスプーンとフォークだけのシンプルなもの。
ヴォイド・デッキの柱には黄色いポールが設置され、上部に「645」、「THYE HUA KWAN」と掲示。その下に、禁煙であること、ゴミを捨てないことという注意が文字とイラストによって描かれています*5)。

道案内の表示がシンプルなものとされているのは、認知症の人に対しては、高密度な都市環境における環境刺激を減らし、シンプルで直感的、かつ、抽象的でない情報と選択肢を提供する「less is more」のアプローチが有効だという考えに基づくものです。

(ブイ「645」)

(ブイ「THYE HUA KWAN」)

床のマーカー(Floor Markers)

灯台、ブイの周りの床には、黄色いマーカーが描かれ、住民委員会と628号棟の市場の方向が記されています。住民委員会は「RC」の文字だけ、628号棟の市場はスプーンとフォークのイラストのみというように、床のマーカーの表示もシンプルなものとなっています。

(床のマーカー)


最初にご紹介したように、近年、シンガポールでは、いくつかの団地で認知症の人のためのウェイファインディング・プロジェクトが行われれています。イーシュンでは赤・青・緑という色分けと、地域にゆかりのある物のアイコンによってゾーニングを行い、細やかなサイン(標識)を描くというアプローチ、アン・モ・キオのケブン・バルでは回想法(Reminiscence)に基づいて食べ物、食器など身の回りにあるもののイラストを住棟に描くというアプローチが取られています。これに対して、ここでご紹介したヨー・チュー・カンでは、「アンカー・ノード」を結びつけるというアプローチがとられていました。
どのアプローチが効果的であるのかは、これからも研究によって検証されていくと思われますが、一口に認知症の人のためのウェイファインディング・プロジェクトといってもいくつかのアプローチがあり、その背景には人はどのように環境を認識するのかという人間・環境関係を捉えるモデルの違いがあるということは非常に興味深いと感じます。


■注

  • 1)「How Singapore builds its dementia-friendly neighbourhoods」・『The Straits Times』September 21, 2022。
  • 2)CLC(Centre for Liveable Cities)は、2008年6月、国家開発省(Ministry of National Development:MND)と環境・水資源省(Ministry of the Environment and Water Resources:MEWR)によって設立された。2020年6月、環境・水資源省(MEWR)は、持続可能性・環境省(Ministry of Sustainability and the Environment:MSE)に名称変更している。CLC「Mission & Vision」のページより。
  • 3)この記事では、ヨー・チュー・カンにおけるプロジェクトについて、以下で紹介するブルー・コートに設置された掲示板、及び、『Creating a Dementia-Friendly Neighbourhood: A Yio Chu Kang Pilot Project』AIC, CLC and SOULab, December 2023を参照している。
  • 4)『Creating a Dementia-Friendly Neighbourhood: A Yio Chu Kang Pilot Project』AIC, CLC and SOULab, December 2023に掲載されているプレイコーナーの黄色いポールの写真には、プレイ・コーナーという表示しかない。ゴミを捨てないこと、静かにすることという注意書きは後に追加されたものと思われる。
  • 5)プレイ・コーナーの注意書きと同じく、禁煙であること、ゴミを捨てないことという注意書きは後に追加されたものと思われる。