『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

千里ニュータウンのヘリテージ&アートマップ

千里ニュータウンは、大阪府北部の千里丘陵に開発されました。千里丘陵にはかつて、マチカネワニ、アケボノゾウが生息していたと言われています。古墳時代の後期(約1400年前)には須恵器の生産が行われ、平安時代には皇族の狩り場になっていました。1626年(寛永3年)には、千里丘陵に新田村が開村しました。今年、2026年は開村から400年にあたります*1)。
1962年、千里ニュータウンのまち開きが行われました。ニュータウンとして開発されてからの暮らしも、既に60年以上になります。

歴史を振り返ると、千里ニュータウンは、多くの歴史のうえに成立していることがわかります。そこで、千里ニュータウンの歴史を大切にしたいという考えから、特にニュータウン開発、及び、ニュータウンとして開発されてからの時期に焦点をあてたヘリテージ(歴史的な遺産)とアートに焦点をあてたヘリテージ&アートマップを立ち上げました。
マップからは、千里ニュータウンには多くのヘリテージやアートに関わる場所やものがあることにお気づきいただけると思います。同時に、まち開きから60年以上が経過し、失われつつある場所やものがあることにもお気づきいただけると思います。

このマップは、千里ニュータウンの歴史として、過去の記録でありますが、それだけでなく、これからまち歩きなどのためにもお使いいただけるものにするため、スマートフォンでもご覧いただけるインタラクティブなマップとして作成しています。

千里ニュータウンのヘリテージ&アートマップ

制作:ディスカバー千里

マップでは、次の7つのカテゴリーで、場所やものを紹介しています。抜け落ちている場所やものもあると思いますので、マップは今後も随時、更新していく予定です。

  • ①ヘリテージ
  • ②パブリック・アート
  • ③橋・アンダーパス・ラウンドアバウト
  • ④遊具を転用した車止め
  • ⑤公園の池
  • ⑥高低差をいかしたすべり台
  • ⑦遊具

①ヘリテージ

千里ニュータウンには、ニュータウン開発や暮らしに関わるヘリテージ(歴史的な遺産)として以下があります。

千里ニュータウン案内標識

千里ニュータウンでは、ニュータウンの入口部分に千里ニュータウン案内標識というモニュメントが設置されました*2)。元々は6ヶ所に設置されていましたが、4ヶ所は既に撤去。残る2ヶ所のうち、南千里駅の南に設置されている案内標識は、現在、撤去される計画があると言われています。

  • 千里ニュータウン案内標識(東):千里ぎんなん通り沿いの緑地に設置されていたが、2026年に撤去された
  • 千里ニュータウン案内標識(東):大阪中央環状線沿い(山田駅の東)に設置されていたが撤去された
  • 千里ニュータウン案内標識(南):新御堂筋線側道脇(桃山台駅の南)に設置されていたが撤去された
  • 千里ニュータウン案内標識(南):千里1号線(府道135号線)沿い(南千里駅の南)に設置。現在、撤去される計画があると言われている
  • 千里ニュータウン案内標識(北):千里けやき通り沿い(日本建築総合試験所の向かい付近)に設置されていたが撤去された
  • 千里ニュータウン案内標識(北):新御堂筋線側道脇に設置

新住宅市街地開発法の看板

千里ニュータウンの開発が始まった1950年代には、街を作るための法律がなく、千里ニュータウンの前半の住区は「一団地の住宅経営」に基づいて開発されていました。1963年、新住宅市街地開発法(新住法)が制定。新千里北町は、日本で初めて新住宅市街地開発法(新住法)に基づいて開発された街となっています。
新千里北町には、このことを示す看板が北町2丁目第3公園内とつつじ公園の近くの2ヶ所に設置されていましたが、2020年以降、いずれの看板も撤去されました*3)。

(撤去された新住宅市街地開発法の看板)

天神社の御旅所の鳥居(旧団地神社の鳥居)

政教分離により、千里ニュータウンの開発主体であった大阪府が宗教施設を作ることはありませんでした。しかし、新千里西町の近隣センターにあった千里西町マーケットの屋上には、大阪府の承認を得て、1967年、団地神社が建立されました。
団地神社は、千里西町マーケットの再開発に伴い閉鎖されましたが、団地神社の鳥居は、現在も、天神社の御旅所の鳥居として残されています*4)。

(天神社の御旅所の鳥居)

千里中央公園展望台

千里中央公園には展望台がありました。展望台は、2018年6月18日に発生した大阪北部地震の影響で閉鎖され、現在、立入禁止となっています*5)。

(千里中央公園展望台)

千里の竹林

千里の竹林は、大阪みどりの百選に選定されています。新千里東町の東町公園と、桃山台の桃山公園内には、大阪みどりの百選に選定された記念碑が設置されています*6)。

(東町公園の竹林)

ひがしまち街角広場樹木寄付記念碑

新千里東町の近隣センターでは、空き店舗を活用して「ひがしまち街角広場」が運営されてきました。2022年の運営終了に際して、「ひがしまち街角広場」から剰余金が、「こぼれび通り」の整備のために寄付されました。2024年、「こぼれび通り」に記念碑が設置されました*7)。

(ひがしまち街角広場樹木寄付記念碑)

②パブリック・アート

千里ニュータウンには、彫刻、壁画など数多くのパブリック・アートがあります。

千里ニュータウン完成記念モニュメント

1970年、千里ニュータウンの完成記念モニュメントとして、大阪府と千里開発センター(後の千里センター)によって5つの作品が設置されました。
中央地区センターに設置されていたステンレスの林は再開発に伴い撤去されましたが、残りの4作品は現在もみることができます*8)。

  • 流政之「あほんだら獅子」(大和銀行寄贈):1970年、千里中央公園に設置
  • 辻晋堂「日と風と雨に」(関西電力寄贈):1970年、千里南公園に設置
  • 植木茂「集(つどい)」(松下電器産業寄贈):1970年、北地区センター(北千里)に設置
  • 新宮晋「風の道」(千里開発センター寄贈):1970年、千里北公園に設置
  • 飯田善国「ステンレスの林」(大阪瓦斯寄贈):1970年、中央地区センター(千里中央)のセンタービル前の広場に設置されていたが再開発で撤去*9)

(撤去されたステンレスの林)

千里野外彫刻展

1967年、千里南公園で千里野外彫刻展が開催されました。大阪府と千里開発センター(後の千里センター)が発行した冊子には、26の作品が紹介されています*10)。作品のいくつかはその後、千里ニュータウン内の公園などへ移設され、今も残されています*11)。

「ごあいさつ
大阪府は、府下における住宅難を緩和するため、千里ニュータウンの建設に着手して以来六ケ年を経過いたしましたが、本事業は住宅はもとより、住民が健康で文化的な生活を営むに必要な各種施設を合理的かつ総合的に建設し、環境良好な住宅都市の建設を目的とするもので、いよいよ本年度で事業の大部分を完了する運びとなりました。さらに、昭和45年にはこの千里ニュータウンに隣接する丘陵地一帯で、アジアにおいて始めて【ママ】の万国博覧会が開催されることになり、ニュータウンを含むこの丘陵地は、大阪の千里丘陵から日本の千里丘陵へ、さらに世界に通ずる千里丘陵として時代の脚光を浴びることとなりました。
このときにあたり、大阪府および財団法人千里開発センターでは、吹田市、豊中市および白色セメント造形美術会、小野田セメント株式会社、毎日新聞社の後援と、その他関係諸団体のご賛同を得て、日本万国博覧会の統一テーマ「人類の進歩と調和」と、サブテーマ「生命」「自然」「生活」「相互理解」にふさわしい「千里野外彫刻展」を開催する運びとなりました。この催しが千里ニュータウンの環境整備の一助となり、さらにコミュニティの形成を促進して理想的な住宅都市を目指す千里ニュータウンの育成発展はもとより、日本万国博覧会成功へのあしがかりともなれば幸いと存ずるものでございます。
最後に本彫刻展が所期の目的を達成できるよう府民各位の深いご理解と積極的なご協力をお願いします。
昭和42年4月29日
大阪府知事 左藤義詮」
※『千里野外彫刻展』大阪府・千里開発センター

  • 新谷秀雄「コスチューム」(富士銀行寄贈):千里南公園に設置
  • 昆野恒「碑(いしぶみ)NO.3」(早川電機工業寄贈):千里南公園に設置
  • 松村外次郎「灯籠(副題:桃太郎)」(小野田セメント寄贈):千里南公園に設置
  • 綿引孝司「間(ま)」:千里南公園に設置
  • 中川為延「銀河」(小野田セメント寄贈):千里南公園に設置されていたが撤去された
  • 竹内正治「母と子」:佐竹公園に設置
  • 五十嵐芳三「番人」(大和銀行寄贈):高野台の千里第4緑地に設置されていたが撤去された
  • 菅原石盧「渦柱」:高野公園に設置
  • 高須賀桂「希望」(大丸寄贈):津雲台の南側のラウンドアバウト内に設置
  • 三坂耿一郎「おしゃべり」:津雲台の北側のラウンドアバウト内に設置。大阪・千里開発センター発行の小冊子『千里屋外彫刻展』には「牛に乗るユーローペ」という作品名が記載
  • 番匠宇司「宇」:古江公園に設置
  • 今村輝久「予言者」:藤白公園に設置
  • 加藤昭男「翼のある車輪」:藤白台のラウンドアバウト内に設置
  • 山脇正邦「天の子」:千里北公園に設置
  • 安田周三朗「翠(みどり)」(三和銀行寄贈):千里北公園に設置
  • 日高頼子「石花」:青山公園に設置
  • 工藤健「壁訴訟」:青山公園に設置
  • 山本雅彦「腕をくむ」(三井銀行寄贈):1970年、新千里北町近隣センター前のロータリー内に設置
  • 笠置季男「欣びの精霊」:1970年、樫の木公園に設置
  • 辻晋堂「おばQ」(住友銀行寄贈):1970年、千里中央公園に設置

なお、以下の6作品については設置場所を確認することができませんでした。千里野外彫刻展の出展作品のうち、スポンサーがついた作品は移設されたという情報があるため、以下の作品は早い時期に撤去された可能性があります。

  • 菅沼五朗「像」
  • 長野隆業「和(結び)」
  • 原武典「壁の中の太陽」
  • 仏子泰夫「歌の聞える丘」
  • 山本恪二「母と子」
  • 吉岡侃「母と子」

千里アートロード

新千里西町内の新千里5号線は、1995年、千里アートロードとして整備され、8作品が展示されました。その後、作品が追加され、現在、次の9作品が展示されています*12)。

  • 鈴木清貴「陽だまり」:1995年設置
  • 日高頼子「二台の楽器のために」:1995年設置
  • 堀田大貴「HEAVEN’S WOMEN」:1995年設置
  • 中垣克久「まほろば」:1995年設置
  • 岩田健「五月の蝶」:1995年設置
  • 一色邦彦「愛よ永遠に」:1995年設置
  • 工藤健「にわか雨」:1995年設置
  • 本多厚二「語らい」:1995年設置
  • アレッサンドラ・ポルフィディア「BIG COMPOSITION」

その他のパブリック・アート

千里ニュータウンには、これ以外にも次のようなパブリック・アートが設置されています。

  • 千里南公園入口モニュメント:千里南公園の南西角の入口付近に設置。作者は不明
  • 時計塔「銀の鳥」:千里北公園に設置*13)
  • 流政之「PONTA(ポンタ)」:千里ニュータウン完成記念モニュメントの「あほんだら獅子」の作者の作品。津雲台の大阪府済生会千里病院前に設置*14)
  • 秋山礼巳「太陽と月」:UR千里青山台団地C33号棟付近に設置。公団(UR)の団地に初めて設置されたモニュメントと言われている<*15)/li>
  • UR千里青山台団地C59号棟付近の彫刻
  • 山田幸作「時計付モニュメント」(新千里北町自治団体・連絡協議会寄贈):1991年、新千里北町近隣センター前のロータリー内に設置
  • 「北町みんなでペイント祭り」壁画:2018年3月、新千里北町50周年記念「北町みんなでペイント祭り」として、北丘小学校プール外壁(ブロック塀)の再塗装が行われた。2018年6月18日に発生した大阪北部地震後、プール外壁の耐震補強のため、上半分のブロック塀が撤去された*16)
  • 八木マリヨ「地球縄ひろば」:1991年、中央地区センター(千里中央)のセンタービル脇に設置。1993年度の第1回豊中市都市デザイン賞を受賞。千里中央の再開発で撤去された*17)
  • 三枝惣太郎「虎伏す寝山 千里丘陵のまち」(関西電力寄贈):1992年、フジサンケイグループによる「大阪モニュメント計画」の1つとして、千里中央に設置
  • 新宮晋「森のささやき」:千里ニュータウン完成記念モニュメントの「日と風と雨に」の作者の作品。1990年、千里中央公園に設置
  • 山本雅彦「布を持つ」(カルピス食品工業寄贈):1970年、千里中央公園に設置
  • 「あかり絵のみち」:大阪中央環状線をくぐるアンダーパスに描かれた壁画
  • フォー(Four):新千里南町の追手門学院幼稚園前に設置

③橋・アンダーパス・ラウンドアバウト

一般的に橋は、川や水路の上に架けられるものです。しかし、千里ニュータウンには川や水路の上でなく、自動車の通る道の上に架けられた橋が多数あります。ここには、歩車分離の工夫が表れています。
歩車分離とは、歩行者の通る道と、自動車の通る道を分離することによって、歩行者の安全を確保するための工夫。千里ニュータウンでは、歩行者の通る道と、自動車の道を立体交差させることで、歩車分離を実現することが考えられました。
特に、新千里北町以降に開発された住区では、近隣センター、学校、公園など住区の主要な場所を結ぶ歩行者専用道路が導入されました。そして、歩行者専用道路は尾根部分、自動車の通る道は谷部分に通すという、元々の地形を生かしながら歩車分離を導入することが考えられています。

(新千里北町のすずかけ橋)

④遊具を転用した車止め

新千里北町にはリス、ウマ、ゾウ、キリンなど動物の車止めが多数設置されています。これらの動物は、他の地域では、公園の遊具として使われているもので、新千里北町ではこれが、車止めとして用いられています*18)。

遊具を車止めに転用したことは、元々誰の発案なのかは不明ですが、この背景には、新千里北町で道路の作り方が大きく変化したという理由を考えることができます。

1つは、歩行者専用道路の導入です。先に書いた通り、新千里北町以降に開発された住区では、近隣センター、学校、公園など住区の主要な場所を結ぶ歩行者専用道路が導入されました。このような道路は、それまで日本には存在しなかったもので、遊具を転用した車止めは、この歩行者専用道路に設置されています。
もう1つは、戸建住宅地内の道路パターンの変化。千里ニュータウンの前半に開発された住区の戸建住宅地内には、クルドサック(cul-de-sac)が導入されました。クルドサックとは袋小路の意味で、車が通り抜けないようにすると同時に、クルドサックの先端をフットパス(歩行者専用の道路)で結ぶことで、歩車分離が実現されました。ただし、クルドサックは道路形状が複雑でわかりにくくなる傾向があり、ゴミ収集車などもUターンしにくいというデメリットがあったと言われています。
そこで、新千里北町以降に開発された住区では、クルドサックは用いられなくなりました。それに代わり、特に新千里北町で導入されたのがループ状道路です。ループ状道路は、戸建住宅地内に「コ」の字型の車道を通すことでUターンを不要にすると同時に、主に「コ」の字の角の部分同士をフットパス(歩行者専用の道路)で結ぶことで歩車分離が実現されました。ただし、このままでは「コ」の字の部分を走る車が歩行者専用道路に誤侵入する可能性があります。そこで、歩行者専用道路の出入口に、遊具が転用された車止めが配置されたと考えることができます*19)。
遊具を転用した車止めには、千里ニュータウンにおける歩車分離の工夫が表れています。

(遊具を転用した車止め)

⑤公園の池

千里ニュータウンは、無人の土地に開発されたわけではありません。千里ニュータウンが開発された土地は、かつて、上新田村、下新田村の人々の暮らしの場所でした。その名残が、千里ニュータウンの公園の池にあります。千里ニュータウンの池は、かつて、農業用の溜池でした。農業用の溜池を池として取り込むことで、公園が計画されました。

(東町公園の長谷池)

⑥高低差をいかしたすべり台

千里ニュータウンには、土地の高低差をいかしたすべり台がいくつかあります。これは、千里ニュータウンが、千里丘陵という丘陵地に開発されたことの名残です*20)。

  • 佐竹台 府営住宅B15号棟付近
  • 高野台 はと遊園
  • 津雲台 さるすべり公園
  • 古江台 府営住宅B35号棟付近*21)
  • 藤白台 ふじのき公園:撤去の予定だったが、自治会からの要望を受けて改修された*22)
  • 青山台 青山公園:2022年、「人研ぎ」によって改修された*23)
  • 青山台 こでまり公園:撤去された
  • 青山台 くちなし公園:撤去された
  • 桃山台 府営住宅B11棟付近
  • 竹見台 UR(公団)C32棟付近
  • 新千里東町 もくせい公園
  • 新千里北町 府営住宅B11号棟付近*24)
  • 新千里北町 府営住宅B42号棟付近*25)
  • 新千里西町 西町3丁目第1公園
  • 千里南町町 府営住宅B38棟付近:再開発により撤去された
  • 上新田 新田南公園

(府営千里古江台住宅中庭のすべり台)

(府営新千里北住宅B11付近のすべり台)

(府営新千里北住宅B42付近のすべり台)

⑦遊具

千里ニュータウンには、高低差をいかしたすべり台以外にも、特徴的な遊具があります。その1つが、「タコの山のすべり台」と呼ばれている遊具です。
前田屋外美術株式会社(後の前田環境美術株式会社)によって作られた遊具で、オリジナルのデザインは「プレイスカルプチャー。石の山」。1970年頃から全国に約400基の「タコの山のすべり台」が作られたということです*26)。
千里ニュータウンにもプレイスカルプチャーが設置されましたが、既にいくつかのプレイスカルプチャーは撤去されています。

(撤去された府公社千里丘陵G団地のすべり台)


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