以前の記事で、千里ニュータウン新千里東町の半世紀を振り返りました。その記事の中で、以下のグループが2000年代前半に活動をスタートしたことを紹介しました。
- 東丘ダディーズクラブ:2000年頃設立
- 地域新聞 新千里東町ひがしおか:2001年1月1日創刊
- ひがしまち街角広場:2001年9月30日オープン
- 千里竹の会:2003年11月16日設立
いずれも現在まで活動を継続しているグループです。これらのグループが、そろって2000年代前半という時期に活動をスタートさせた理由について、以前の記事では、少子高齢化の進んでいた新千里東町においては、自分たちは地域を良くするために何ができるか? というような地域のあり方を見直そうとする機運が高まっていたと書きました。
ここでは、改めて当時の新千里東町の人口構成を振り返ってみたいと思います。
*2000年の人口構成は国勢調査より、2015年の人口構成は4月1日現在のもので住民基本台帳より作成。
2000年の人口構成をみると、最も人数が多いのは60〜64歳です。第一世代の人々が高齢者にくくられる年代になり始め、定年退職して地域に戻ってくる人(特に男性)が出始めてきた頃であり、退職したがまだまだ元気な第一世代が多数いたことがグラフから伺えます。「ひがしまち街角広場」、「千里竹の会」はこうした第一世代が活動の主な担い手となっています。
2000年の人口構成をみると、子どもがほとんどいないこともわかります。「東丘ダディーズクラブ」は小学生の父親たちによるグループで、子どもと一緒にバーベキューをしたり、地域の夏祭りでお化け屋敷をやったりするユニークな活動をされています。小学生が少ないということは必然的に小学生をもつ父親たちの人数が少ないということ。少人数だったからこそ、メンバー間で意識を共有しやすく、こうしたユニークな活動をするグループが生まれたと考えることができるかもしれません。
それから15年が経過した2015年の人口構成をみると、集合住宅の建て替えにより40代の人数が増え、その子ども世代も増えました。近年の新千里東町は若い世代、子どもが増えたという印象はありますが2000年時点での高齢化率は17.8%だったのが、2015年時点では30.8%と増加しています。その意味で、子どもから高齢者までが暮らしやすい町にしていくことが不可欠です。