フランス文学者で思想家、武道家でもある内田樹(2026)は、「国語教育はどうあるべきか」という文章の中で、言葉をめぐる経験を次のように記しています。
「『来ぬ人を松帆の裏の夕凪に焼くや藻塩の身もこがれつつ』という和歌を子どもはまず覚えさせられる。意味は何となくわかる。でも、実際に恋しい人を待つ時間を過ごす日が来るまで『こがれる』ことの実感はわからない。
『待つ』というのは不思議な感情だ。約束の時刻までだいぶ余裕があるときは期待に胸がふくらんでいるのだが、刻限が過ぎると不安が胸を圧し、それが苛立ちに変わり、やがて憎しみに至る。待つ自分の中で一場の劇が演じられるのを経験したときに初めて歌の意味が身にしみる。
まず言葉があり、それを覚える。そしてある日その言葉がどういう思念や感情を表しているのかがしみじみ腑に落ちる。そのとき、その言葉を自在に使える人間になる。」(内田樹, 2026)
この文章を読んで、居場所において、理念が言葉で示されていることを考えました。
これまでに度々書いてきたことになりますが、居場所と施設の違いについて、生活科学研究を行う佐々木嘉彦(1975)と、佐々木嘉彦の議論を受けた建築学者の大原一興(2005)の「要求-機能」関係の議論をふまえ、次のように捉えています。
- 居場所:機能は、要求への対応を通して事後的に備わる
- 施設:機能は、要求に先行してあらかじめ設定される
施設の機能は、専門家が人々の要求を先取りすることで、あらかじめ設定される。それに対して、居場所の機能は、一人ひとりの要求への対応を通して事後的に備わっていく。それでは、居場所においては、一人ひとりの要求にどのように対応されているのか。
ここに、居場所の運営を捉えるポイントがあるように考えています。つまり、一人ひとりの要求への対応とは、あらかじめ計画通りにされるものではありませんが、その都度バラバラな対応がされているわけでもない。ここでは、掲げている理念の具体例にするような対応がされていると捉えることができると考えています。
居場所の理念は、運営が始まった時点では、具体的な出来事を伴わない言葉として示されているもの。そして、運営が始まってから、理念が実現された具体例が生み出されていく。それゆえ、運営を継続すればするほど、具体例は増えていき、理念を具体的な中身を伴った豊かなものとして語ることができるようになっていく。ただし、そのためには、居場所においては、まずどのような場所にしたいのかという理念を言葉として掲げておくことが重要になる。
このことは、これまで斎藤環(2024)による「自然言語が持っている否定神学的機能」*1)、東浩紀(2023)の「訂正する力」*2)、ヤーコ・セイックラ、トム・アーンキル(2019)による「未来語りダイアローグ」*3)を参照しながら考えてきました。
内田樹(2026)の先に引用した議論も、これを考える参考になるように思います。居場所においては、まずどのような場所にしたいのかという理念が言葉として掲げられている。その理念は、「意味は何となくわかる」、けれども、「実感はわからない」。しかし、日々の運営において出会った人々、生じた出来事への対応が理念の具体例になることによって、理念は身体的なものとして「身にしみる」、「腑に落ちる」ものになる、ということかもしれません。
もちろん、これは、あらかじめ正解が定まっている言葉の意味を理解するということではありません。居場所の理念を表す言葉は、人々との出会いや、生じた出来事によって、新たに創出されていく可能性がある。それを、身体的な経験を通して理解できるようになるということだと考えることができます。
このことについて、次の2点が、これから考えるべき課題になります。
1つは、居場所の理念を表現する言葉は、どのような言葉でもいいのかということ。内田樹(2026)は、先に引用した文章で「待つ」を例にあげていました。「待つ」という言葉には、出会った人々や生じた出来事によって創出されるものを抱擁してくれる力があるように感じます。ただし、斎藤環(2024)の議論をふまえれば、あらゆる自然言語は「否定神学的機能」を有していることになります。居場所の理念が、どのような言葉で表現されているかは、今後考えていきたいことです。
もう1つは、日々の運営において出会った人々、生じた出来事への対応が理念の具体例になるとして、このプロセスは、ミクロな視点でどのように捉えることができるのかということ。この点については、「いいね」という声かけが、出会いや出来事を、理念を実現する方向に導いていく力があるのではないかと考えたことがあります*4)。これを、具体的な場所において捉え、このプロセスを言語化することも、今後考えていきたいことです。
■注
■参考文献
- 東浩紀(2023)『訂正する力』朝日新書
- 内田樹(2026)「国語教育はどうあるべきか」・『内田樹の研究室』2026年6月17日
- 大原一興(2005)「施設と地域の再構築:エコミュージアムと高齢者施設にみる」・『建築雑誌』Vol.120, No.1533, pp.20-21
- 斎藤環(2024)『イルカと否定神学:対話ごときでなぜ回復が起こるのか』医学書院
- 佐々木嘉彦(1975)「生活科学について」・日本生活学会編『生活学』第一冊, ドメス出版


















