『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

「ハブ型の近代社会」から「分散型の現代社会」への移行期における研究者の役割とは

日本では2000年頃から、「まちの居場所」(コミュニティ・カフェ)が各地に開かれるようになりました。このブログで何度も紹介している千里ニュータウンの「ひがしまち街角広場」、大船渡市の「居場所ハウス」のような場所が、今、同時多発的に開かれています。
建築計画という観点から注目すべきポイントは、「まちの居場所」は従来の施設の枠組み(学校、公民館、集会所、病院、福祉施設など)には収まりきらない多様な意味を担う場所であること、そして、そのような場所を、専門家抜きに地域住民が中心となって運営していることです。

以前、「ひがしまち街角広場」の初代代表の方から、次のような話を聞きました。

ニュータウンの中には、何となく過ごせる、みんなが何となくぶらっと集まって喋れる、ゆっくり過ごせる場所はございませんでした。そういう場所が欲しいと思ってたんですけど、なかなかそういう場所を確保することができなかったんです。

ニュータウンは各種施設が計画的に配置された町。一見、恵まれているように見えますが、このような町では「何となく過ごせる、みんなが何となくぶらっと集まって喋れる、ゆっくり過ごせる場所」がなかった。だから、地域住民は15年間も運営を続けているのだと言えます。きっかけは豊中市による半年間の社会実験ですが、社会実験後はボランティによって週6日の運営(11時〜16時。日・祝日は定休)が継続されています。
「まちの居場所」が各地に開かれている状況において建築計画の研究者はどのような役割を果たせるのかと考えます。


少し前に佐藤航陽氏の『未来に先回りする思考法』(ディスカヴァー・トゥエンティワン 2015年)を読みました。
この本の中で佐藤氏は、社会システムは「血縁型の封建社会」、「ハブ型の近代社会」、「分散型の現代社会」と変遷してきたと述べています。

佐藤氏は、「ハブ型の近代社会」とは「「情報の非対称性」、言い換えれば「誰もが同じ情報を容易に共有できない」ことを前提につくられて」おり、このような社会では「どこか一カ所に中心をつくり、そこに情報を集めて誰かが代わりに指示を出す形が、最も効率的なアプローチでした。この情報を掌握し、全員に業務を命令することのできる「代理人」がこの時代は権力を握ります」と指摘。
そして、「情報の非対称性」が崩れていくことで、「分散型の現代社会」へと移行する。佐藤氏は「分散型の現代社会」とは「中心が存在しない」社会システムであり、「近代のハブ型社会のように代理人に情報を集約させなくても、それぞれのノード同士ですぐに情報の伝達ができるのであれば、ハブが存在する意味はありません。むしろ、ハブに情報を集約させるほうが、コストがかかってしまいます」、「これまでつながっていなかったノード同士が相互に結びつくことで、情報のハブであった代理人の力が徐々に失われていくというのが、これからの社会システムの変化を見通すうえでの重要な原理原則です」と述べています。

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建築計画に話を戻せば、研究者は「代理人」の位置にあったと言えます。研究者は各地の事例を調べ、調べた結果をもとに、それが成立する条件を導き出す。それが制度化され、施設として各地に建設されていく。建築計画では、利用者の意見や使い方を建築に反映させることを大切にしていますが、利用者が直接、制度化のプロセスに携わることはなかった。研究者が、利用者の声を伝える「代理人」として振る舞ってきたからです。もちろん、これは否定すべきことではなく、「情報の非対称性」が前提とされていた社会で求められた役割です。

こうして各種施設が建設されてきましたが、「ひがしまち街角広場」の例を見たように、施設が整えられることは、必ずしも暮らしの豊かさを実現することにはつながらない。このことに気づき始めた人々は、完成した施設の利用者ではなく、自らが当事者となって各地に「まちの居場所」を開き、運営し始めた。

現在、「まちの居場所」に関する様々な情報を手にすることができます。運営者自身が書籍、ウェブサイト、SNS、あるいは、講演会などによって情報を発信しており、「まちの居場所」への見学・視察も行われている。コミュニティ・カフェ(まちの居場所)のネットワークを作ろうとする動きも見られます。
地域の人々は、自分たちが必要だと思う場所を手探りで作っており、「このような研究成果を使って、制度を使って場所を開きました」という事例がない(ほとんどない)という状況には、研究者はもはや「代理人」ではなく、先に進んだ現実を追いかけていることが現れていると思います。

こうした状況ですが、「まちの居場所」同士がつながることによって、新たな価値を生み出すまでには至っていないと感じます。現状では、まだ互いの情報を交換しているに過ぎない(もちろん、これだけでも意味あることですが)。
この点に関して、ある方が「まちの居場所」は他の場所と積極的につながる理由はないのではないかと話されていました。「まちの居場所」は、どこで運営しているかという地域性を抜きにして考えることはできない。だから、他の場所の実践は参考にはなるが、その実践をコピーしても上手くいく保証はない。それに対して、本を媒介として地域を越えたつながりを築こうという動きは見られると。このような話でした。
この話を聞いて、本は最終的には個人と本(の作者)が1対1で向き合うもの。(地域性が本との向き合い方に影響する可能性はありますが)どの地域で読もうが、個人は本(の作者)と向き合うことができる。だから、本は、地域を越えた人々のつながりを生み、集まった人々による多様な読み方の重なりから、新たな価値を生み出す媒介になるのではないかと思いました。

本が、集まった人々による多様な読み方の重なりによって、新たな価値を生み出す媒介になるように、「まちの居場所」同士のつながりも新たな価値を生み出す可能性があるのか?
もし可能性があるとすれば、そこでやりとりされる情報とは、運営方法についてのノウハウではなく、どのような暮らしを実現したいのかという価値観ではないかと思います。「まちの居場所」が各地で開かれた背景には、「こんな暮らしを豊かだと考える」という人々の価値観の表面があるのだと思います。こうした価値観の重なりによって、地域が、さらには社会が変わっていく可能性はある。

価値観を伝える上で、「まちの居場所」の実践者の言葉はかけがえのないもの。しかし、それに寄り添うかたちで、実践の価値を冷静に、客観的に伝えることで、他の「まちの居場所」との接点を探っていく役割はあり得るのではないか。そして、これが研究者が担える1つの役割ではないかと思います。「代理人」ではなく、間に入って価値を伝えるという意味での通訳者/解釈者/理解者(Interpretation)として。
通訳者/解釈者/理解者(Interpretation)はどこに立っているのか?
「情報の非対称性」が前提にされる時代においては、情報の受発信のためには中心に立つことに意味があった。けれども、「情報の非対称」が崩れつつある今、ノードの傍にいることは情報の受発信において不利益をこうむることはない。
加えて、ノードの傍らにいることには積極的な意味もあると考えています。「ハブ型の近代社会」における「代理人」は施設同士の媒介であった。しかし、ノードの傍らにいることで、場所同士の媒介だけではなく、その場所の意味をそこに関わる人々に媒介できるのではないかと。研究者とは情報を編集する専門家であり、言葉を扱う専門家。言葉によって現実は変わらないかもしれませんが、新たな暮らしの価値をすくいあげるためには、それに応じた言葉を見つける必要があるのではないかと思います。

(更新:2016年7月1日)