『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

制度・施設化ではなく現場から現場へと思いや情報が伝わっていく

「まちの居場所」では、現場から現場へと思いや情報が伝わることで、似たような場所が各地に生まれつつあるという話をしばしば耳にします。例えば、次のような例があります。

  • ひがしまち街角広場:「ひがしまち街角広場」が運営している新千里東町では、「ひがしまち街角広場」をモデルとして府営住宅に「3・3ひろば」が、千里文化センター・コラボに「コラボひろば(コラボ交流カフェ)」が開かれた。
  • 親と子の談話室・とぽす:「親と子の談話室・とぽす」の来訪者が、生まれ故郷で両親から受け継いだ家を使って高齢者が立ち寄れる場所を開いた、また、主催者の親類が自宅を開放してサロンを開いた。
  • 居場所ハウス:「居場所ハウス」を提案したワシントンDCの非営利法人「Ibasho」は、現在、「居場所ハウス」での知見を生かしながら、フィリピン、ネパールでのプロジェクトを行なっている。
  • BABAラボ:埼玉県の「BABAラボ さいたま工房」に加えて、岐阜県に「BABAラボ ぎふいけだ工房」が開かれた。
  • 実家の茶の間・紫竹:新潟市が、地域包括ケア推進モデルハウスの事業を行うにあたって、「地域の茶の間・山二ツ」、「うちの実家」などの経験を持つKさんに、「うちの実家」の再現を依頼。
  • 荻窪家族レジデンス:「荻窪家族レジデンス」の「百人力サロン」で開催されている「荻窪暮らしの保健室」は、新宿区の戸山ハイツで行われている「暮らしの保健室」を参考にしたもの。
  • みま〜も(おおた高齢者見守りネットワーク):大田区の「みま〜も」の取り組みを参考にして、「みま〜もすえよし」(横浜市鶴見区)、「みま〜も鹿児島」(鹿児島市)、「みま〜も岸和田」(大阪府岸和田市)、「みま〜もぐんま」(群馬県太田市)などの活動が全国的に広がる。

まだまだ限られた事例にすぎないかもしれませんが、佐藤航陽氏が『未来に先回りする思考法』(ディスカヴァー・トゥエンティワン 2015年)で指摘する「ハブ型の近代社会」から「分散型の近代社会」の社会への転換が、「まちの居場所」においても現れつつあると言ってよいと思います。

従来、ある施設を広く普及させるのためには、先進事例を調査し、エッセンスと思われるものを抽出。それを標準化するために、制度・施設化というプロセスが取られてきました。
もちろん、このプロセスにも一定の意味はあったと思われます。けれども、制度・施設化したものの「心」が入ってないということがしばしば指摘されること。
例えば、小規模多機能は宅老所をモデルとされたもの。小規模多機能は29戸以下という基準が設けられていますが、それが、その程度の規模であれば地域の中に開くことができるため、地域に密着した施設になると考えられてのこと。けれども、29戸という基準がもうけられることで、その基準が一人歩きして、地域から隔離された敷地に小規模多機能が開設されてしまうことで、地域に根付いた場所であるという部分が抜け落ちてしまう。
あるいは、「通いの場」。これはコミュニティ・カフェ、地域の茶の間などと呼ばれる「まちの居場所」がモデルとされたもの。けれども、「通いの場」では高齢者の生活支援・介護予防という個人の身体に関わることがクローズアップされることで、「まちの居場所」が目指していた地域での助け合いの関係を築いたり、多世代の関わりを生み出したり、地域活動を始めるためのきっかけ作りをするという部分が抜け落ちてしまう。

一般化、標準化するための知見を提供するというのは研究者が得意とするところ。だから、制度・施設化のプロセスにおいては研究者が大きな役割を果たしてきたことは間違いありません。けれども、上で見たように制度・施設化は決して万能なやり方ではない。そして、実際に制度・施設化というプロセスを減ることなく、現場から現場へと思いや情報が伝わることで、似たような場所が生まれつつあるという状況が生まれています。
制度・施設化と、現場から現場へと思いや情報が伝わることとの大きな違いは、前者は「同じもの」を普及させようとすることに対して、後者は「同じようなもの」が広がっていくこと。

それでは、現場から現場へと思いや情報が伝わることで「同じようなもの」が広がる状況において、研究者は何をなし得るのか?
1つの可能性として、①先進的な場所で何が大切にされているのかをきちんと捉え、②それを実現するための具体的なアイディアを集めることとセットで行うことだと考えています。それによって、現場から現場へと思いや情報が伝わる時代において、言わば地域の状況に応じた翻訳者のような役割を果たせるのではないかと考えています。

例えば、「実家の茶の間・紫竹」ではテーブルのレイアウトを頻繁に変えることが行われていました。それは、仲間同士で固定席を作って、他の人を排除しないようにするため。けれども、運営を継続するにつれて人が動き始めたので、テーブルのレイアウトを変えなくてもいいようになったと伺いました。もし、いつまでもテーブルのレイアウトを変え続けていれば、人の動きを妨げてしまうから、とのこと。
もし、仲間同士で固定席を作らないという部分しか伝えなければ、それでは具体的にどうするのか? という現場では使えない情報にしかならない。一方、テーブルのレイアウトを変えるという表面的な情報しか伝えなければ、人の動きを妨げる結果となって、大切なことが伝わらない。

制度・施設化するための教科書ではなく、大切にされていることと、それを実現するための具体的なアイディアがセットになった辞書のようなものが現在、求められているのではないか。大切にしていることを実現するためのアイディアを検索できるような辞書であり、同時に、それぞれの具体的なアイディアは何を目指そうとしているのかが参照できるような辞書。その具体的な姿としては、クリストファー・アレグザンダーによる『パタン・ランゲージ』のようなものを思い描いています。