『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

まちの居場所のスケールアップを考える

まちの居場所のスケールアップとは

2000年頃から日本では、まちの居場所(コミュニティ・カフェ、地域の茶の間、まちの縁側などと呼ばれることもある)が各地に開かれています。まちの居場所とは、従来の制度の枠組みでは上手く対応できない課題に直面した人々が、自らの手でその課題に対応するために開かれたインフォーマルな場所。
まちの居場所に対して、「まちの居場所はどうすればスケールアップできるか?」という話がしばしばなされることがあります。スケールアップとは、例えばJICA研究所のウェブサイトでは「開発援助における試験的プログラムや小規模の成功事業の規模拡大や継続実施を図り、その効果をより多くの人々へ波及させていこうとする取り組み」と説明されています。まちの居場所のスケールアップとは、先進事例をどう他の地域に広げていくかということ。
これと似た内容として、まちの居場所に対して「その人がいるから、その地域だからできるんだ。他の地域ではどうするのか?」、「ボランティアだと続かない」と言われることもあります。

まちの居場所の中には、2000年5月にオープンした大阪府ふれあいリビング整備事業第一号の「ふれあいリビング・下新庄さくら園」、2001年9月にオープンした千里ニュータウンの「ひがしまち街角広場」のように、18年、17年半もボランティアで運営が継続されている場所もありますが、これらは特殊な事例だと見なされてしまう。

スケールアップに言及される際には、まちの居場所をどうやって制度の中に位置付けていくのか、それによって運営資金をどう確保するかという話が期待されているからです。
もちろん、制度化によるスケールアップの指摘にも一理あり、ボランティアでの運営は確かに大変であり、制度の後ろ盾がなければ不安定であるのも確か。ただし、制度の枠組みの限界を乗り越えるために開かれたインフォーマルな場所を、制度化によって広げるという考え方が妥当かどうかは検討の余地があると考えています。

社会システムの変遷

ここで思い出されるのが佐藤航陽氏の『未来に先回りする思考法』(ディスカヴァー・トゥエンティワン 2015年)。
佐藤氏は、社会システムは「血縁型の封建社会」、「ハブ型の近代社会」、「分散型の現代社会」と変遷してきたと述べています。
「ハブ型の近代社会」とは「「情報の非対称性」、言い換えれば「誰もが同じ情報を容易に共有できない」ことを前提につくられて」おり、このような社会では「どこか一カ所に中心をつくり、そこに情報を集めて誰かが代わりに指示を出す形が、最も効率的なアプローチでした。この情報を掌握し、全員に業務を命令することのできる「代理人」がこの時代は権力を握ります」と指摘。
しかし「情報の非対称性」が崩れていくことで、「分散型の現代社会」へと移行する。「分散型の現代社会」とは「中心が存在しない」社会システムであり、佐藤氏は「近代のハブ型社会のように代理人に情報を集約させなくても、それぞれのノード同士ですぐに情報の伝達ができるのであれば、ハブが存在する意味はありません。むしろ、ハブに情報を集約させるほうが、コストがかかってしまいます」、「これまでつながっていなかったノード同士が相互に結びつくことで、情報のハブであった代理人の力が徐々に失われていくというのが、これからの社会システムの変化を見通すうえでの重要な原理原則です」と述べています。

佐藤氏による社会システムの分類に従えば、制度化によるスケールアップとは「ハブ型の近代社会」に対応するアプローチではないか。こうしたアプローチは高度経済成長期には有効だったのかもしれません。けれども、もはや高度経済成長期ではなく、人口が減少しつつある時代。こうした時代に対応するスケールアップのあり方もあるのではないか。

「ひがしまち街角広場」から浮かび上がってくる2つの動き

こうした視点からまちの居場所を振り返れば、制度化によるスケールアップとは異なる動きが浮かび上がってきます。それが①「現場から現場へと情報が伝わる」、②「地域の変化を引き起こすきっかけになる」という2つの動き。これを「ひがしまち街角広場」を例として考えたいと思います。

①現場から現場へと情報が伝わる

「代理人」が基準を定めて「同じもの」を広げていこうとする制度化に対して、現場から現場へと直接情報が伝わることで「同じようなもの」が広がっていく動き。「ひがしまち街角広場」の運営する新千里東町には、「ひがしまち街角広場」のような場所が欲しいと考えた人々により次のような場所が生まれています。

  • 府営新千里東住宅の「3・3ひろば」:2009年7月からスタート。府営新千里東住宅の集会所を活用して、毎月第2水・第4金曜の13時〜16時に開かれている。
  • 千里文化センター・コラボの「コラボひろば」(コラボ交流カフェ):2010年4月オープン。千里文化センター・コラボ2階の多目的室の一画で、火曜〜土曜の週5日、10時〜16時半まで運営されている。
  • UR新千里東町団地の茶話会:UR新千里東町団地の集会所で毎月1会開催。
  • 桜ヶ丘メゾンシティーの「桜ヶ丘さくらサロン」:分譲マンションの建替え計画に携わっていた人が「ひがしまち街角広場」を見て、建替え後の分譲マンションにもこのような場所が欲しいと考え、「桜ヶ丘まちかど広場」という場所を設置。毎月0と5のつく日(土日祝を除く)の13時〜15時に開かれている。

「ひがしまち街角広場」は他の地域にも影響を与えています。千里ニュータウン内では佐竹台の「佐竹台サロン」、新千里北町の北丘小学校内の「畑のある交流サロン@Kitamachi」、北海道の北広島団地の「北広島団地地域交流ホームふれて」、三重県名張市の桔梗が丘自治連合会による「ほっとまち茶房ききょう」は、見学に来た人が「ひがしまち街角広場」を参考にして開いた場所です。「ひがしまち街角広場」は多くの見学を受け入れてきたので、他にもあるかもしれません。

注目すべきは、ここで紹介した場所は「ひがしまち街角広場」と「同じもの」ではないこと。また、客観的なデータとして効果があるとわかったから広がったわけではないこと。地域の人が目的となく気軽に立ち寄れる場所、プログラムに参加せずとも思い思いに居られる場所、学校帰りの子どもが水を飲みに立ち寄るなど多世代の場所るなど、「ひがしまち街角広場」が実現している価値に共感した人々が、自分たちの地域に合わせて開いた「同じようなもの」だということです。

②地域の変化を引き起こすきっかけになる

「現場から現場へと情報が伝わる」が「同じようなもの」の広がりであるのに対して、「地域の変化を引き起こすきっかけになる」は別のかたちで影響を与え、結果として地域の変化を引き起こすというもの。「ひがしまち街角広場」では例えば次のような変化が見られます。

  • 「ひがしまち街角広場」に集まった人々により、「千里グッズの会」(ディスカバー千里、2002年設立)、「千里竹の会」(2003年設立)という地域活動のグループが立ち上げられた。また、新千里東町の東丘小学校児童の父親のグループ「東丘ダディーズクラブ」(2001年設立)は「ひがしまち街角広場」で定例会を開催。「ひがしまち街角広場」は、「ディスカバー千里」、「千里竹の会」、「東丘ダディーズクラブ」とい関わりある団体と連携し、毎年4月に東町公園の竹林清掃を主催。地域の人々が自分たちの地域の環境を管理する動きを生み出している。
  • 2015年11月、新千里東町近隣センターの空き店舗を活用して、社会福祉法人・大阪府社会福祉事業団が運営する「豊寿荘ひがしまち」が運営。2015年12月からは「豊寿荘あいあい食堂」がオープン。「豊寿荘ひがしまち」の行き帰りに「ひがしまち街角広場」に立ち寄ったり、「豊寿荘あいあい食堂」で注文した食事を「ひがしまち街角広場」内で食べるなど、近隣センターにこれまでになかった人の流れが生まれている。

これらの動きは、「ひがしまち街角広場」が直接的な影響を与えたとは言い切れませんが、「ひがしまち街角広場」が実現している価値がポイントになっていることは否定できません。

「ひがしまち街角広場」に限らず、見学させていただいた場所でも①「現場から現場へと情報が伝わる」、②「地域の変化を引き起こすきっかけになる」という動きが起きていると伺うことが多いような気がします。
例えば、お客さんだった人が自分でもまちの居場所を開いた、講演に行った先でも同じような活動が始まった、同じ商店街に地域包括支援センターが開かれた、この場所が開かれてから周囲に移住する人が増えた、他の地域の活動を参考にして自分の場所でも行うようになったなど。制度化によるスケールアップを期待する人にはささやかな動きに見えるかもしれませんが、見学させていただいた場所でも同じような話を伺う度に、無視できない動きであることを実感します。

成功事例調査と計画主義の限界

「ハブ型の近代社会」において(工学部の中にある建築計画学の)研究者は「代理人」の位置に立っていたのだと思います。
先進事例を調査し、それを成立させる条件を明らかにする。そこから、一般的に適用できる知見として抽出するという作業を行なってきた。ここでは、研究を始めた時点での目的がインフォーマルなものへの注目であったとしても、意図とは関わらず、こうした作業は制度化とも親和性が高いことは否定できません。
制度化は否定すべきものではありませんが、それとは違うかたちの動きが生じつつある状況において、また、インフォーマルなものの制度化というアイディアに疑問が残る状況において、「代理人」の存在しない「分散型の現代社会」において研究者はどこに立つのか。

最近、木下斉氏の『地方創生大全』(東洋経済新報社 2016年)という本を読みました。
この中で木下氏は、「地方政策は、国と地方、行政と民間、政治と市民という関係の中で、議会で決議され、法律に則り、真面目に執行されているにもかかわらず、まったく成果が出ない」と述べ、「これらの構造的な負の連鎖を断ち切る」ための様々な視点からのヒントを提供しています。

木下氏の本の中で、まちの居場所のスケールアップ、あるいはそれにまつわる研究について、特に次の2点には色々なことを考えさせられました。1点目は成功事例の調査事業がもたらす問題について、2点目は計画主義が抱える課題についてです。

①成功事例の調査事業がもたらす問題

木下氏は「成功事例の〝調査〟事業は、現場を疲弊させるだけ」として、「「成功者」にタダ乗りする3つの形態」として次の3つをあげています。

  • タダ乗りの形態1:視察見学対応で忙殺される成功事例
  • タダ乗りの形態2:講演会ラッシュで生まれる、成功事例トップの不在
  • タダ乗りの形態3:「モデル事業化」という「ワナ」

「事業で稼ぎ、成果をあげていたことが注目されていた成功事例でも、モデル事業に採用されてしまって以降、本業は赤字になり、予算依存体質の組織に転落してしまうこともあるのです。おカネがなくて地域が潰れるのではなく、「急に降ってくる巨額のおカネ」で地域は潰されるのです。
残念ながら、政策担当者がほしいのは「◯◯地域が幸せになること」ではなく、政策で使える「成功事例」です。
それゆえ、成功事例でなくなった途端、その地域は見捨てられ、成功事例集にも掲載されず、講演会にも呼ばず、モデル事業の対象にもならなくなります。そして、行政の担当者は異動で変わり、その事実さえ忘れ去られるということになりかねません。後に残るのは、せっかく伸びようとしていた「芽」が潰されてしまった地域なのです。」
*木下斉『地方創生大全』東洋経済新報社 2016年

これに対して木下氏は、「地域活性化は、現場が最先端です。最先端を歩む先進的な地域は自らが情報発信し、関心のある人々に、適切な情報を提供していけばよいわけです」と、現場から情報発信することの必要性を述べており、これは佐藤氏の「分散型の現代社会」の考え方にも通じています。

②「計画主義」が抱える3つの限界

木下氏は「将来が不透明な縮小時代において、事前に計画を立て、皆が合意し、成果を出す」という「計画主義」には3つの限界があると指摘しています。

  • 限界1:計画段階こそ、最も情報量が少ない
  • 限界2:予算獲得が目的化し、計画は「タテマエ」になる
  • 限界3:「合意」を優先すると、未来は二の次になる

計画段階とは最も情報量が少ない段階であり、活動を進めていく中でどんどん情報が得られるようになる。だから最初に正確な計画を立てようとするのではなく、「取り組みを進めていく中で得られた情報をもとにして、執行する規模や内容をどんどん変更していくべきで」あり、「そういった「調整」をする時期と基準を、初期に定めておく必要があ」る。木下氏は「現在の地域に住む人たちにとっては「総論賛成・各論反対」になり、各論で合意形成を行うことは事実上、極めて困難にな」るため、「意思決定者こそ皆の合意で決めるものの、各論に関してはその責任者に一任して取捨選択をしていく方法」を提案しています。これは「場所の主(あるじ)」という存在にもつながり、その時々での柔軟な対応を行うことを可能にすることにつながります。

木下氏の指摘は、まちの居場所のスケールアップを議論する上で、研究を行う上で常に意識しておかねばならないことです。
そして、現場から情報を発信すること、計画時の情報ではなく活動を通して得た情報を大切にすることという指摘は、制度化によるスケールアップではないあり方を考える上で、非常に重要だと思います。

まちの居場所の価値

まちの居場所のスケールアップの議論において今一度問うべきは、「そのスケールアップは誰が望んでいるのか?」ということ。そして、「研究者、あるいは、調査を行おうとする者はどの立場に立つのか?」ということではないかと考えています。

そして、このことを考える上で重要になるのがまちの居場所の価値にどう向き合うか。上で紹介した通り、①「現場から現場へと情報が伝わる」、②「地域の変化を引き起こすきっかけになる」の動きの背後にあるのは、まちの居場所が実現している価値への共感。

佐藤航陽氏は『お金2.0:新しい経済のルールと生き方』(幻冬舎 2017年)において、価値を3つに分類しています。

  1. 有用性としての価値:「「役に立つか?」という観点から考えた価値」
  2. 内面的な価値:「愛情・共感・興奮・好意・信頼など、実生活に役に立つわけではないけれど、その個人の内面にとってポジティブな効果を及ぼす」もの
  3. 社会的な価値:「個人ではなく社会全体の持続性を高めるような活動」がもつもの

佐藤氏は価値をこのように3つに分けた上で、従来の資本主義は、お金が価値を媒介する唯一の手段であったため、お金に換算しやすい①有用性としての価値だけが取り扱われていたが、「分散型の現代社会」においてお金は価値を媒介する唯一の手段ではなくなるため、②内面的な価値、③社会的な価値も、価値として取り扱われるようになるとした上で、これを「価値主義」と表現しています。

「共感の伝播を容易にするソーシャルメディアがあり、人々の反応をデータとして可視化することもでき、ブロックチェーンによってそういったデータはトークンとして流通させることもでき、ビットコインを活用したクラウドファンディングで国境を超えて価値を移動させることも容易です。
こういったテクノロジーの発展によって、お金は儲からないかもしれないけれど世の中にとって価値があると多くの人が感じられるプロジェクトは、経済を大きく動かす力を持てるようになります。
価値主義では、これまで見えていなかったソーシャルキャピタルの価値を可視化した上で、資本主義とは別のルールで経済を実現することができます。」
*佐藤航陽『お金2.0 新しい経済のルールと生き方』幻冬舎 2017年

多くのまちの居場所が抱えている課題として、運営資金をどう確保するかがあります。この課題に対応するため、ある場所はボランティアで運営することにより経費を抑え、またある場所は補助金によって運営資金を獲得している。けれども、佐藤氏が指摘するように「価値主義」においては、価値を提示できるまちの居場所は、運営資金にまつわる課題を乗り越えることができる。運営資金としてのお金を得なければならないという課題の地盤自体が覆される。これは、まちの居場所のスケールアップに関する認識を変えるきっかけにもなると思います。

「代理人」としてハブの位置に立つことではなく、まちの居場所の価値をきちんと捉えること、それを共有することで、ノード同士の情報のやりとりをサポートすることが、今求められている研究者のあり方の1つではないかと考えています。


※参考

(更新:2018年4月27日)