『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

ニュータウンの再開発・被災地の復興と「古い建物」

先日、経済学(開発経済学)の方と話をしていた時、経済学と建築学では共通して読む本も多いという話になりました。その時にあげられたのがジェーン・ジェイコブス(Jane Jacobs)の本。

この話をしてからジェイコブスの『アメリカ大都市の死と生』(鹿島出版会, 1977年)のページをめくっていたところ、改めて色々なことを考えさせられました。
『アメリカ大都市の死と生』の主題は、「経済的にも社会的にも常に相互に支えあうことのできる、非常に入り組んだ、密度の高い多様な活用能力をもった都市の必要性」。ジェイコブスは都市の多様性を実現するためには、「混用地域の必要性」、「小規模ブロックの必要性」、「古い建物の必要性」、「集中の必要性」の4つをあげています。

第一条件
地区は、——地区内部のできるだけ多くの場所が——一つの基本的機能だけではなくて、それ以上の働きをしなければならない。できれば二つ以上の機能を果たすことが望ましい。こういった機能は、それぞれ自分の予定に従って出掛けていったり、種々さまざまの目的に従って、その場所にいる人たちは確実に保証されなければならない。しかもこれからの人びとは、当然どんな施設でも共通に使用することができなければならない。

第二条件
大ていのブロックは短くなければならない。ということは、街路が何本もあって、街角を曲る機会が頻繁でなければならないということである。

第三条件
地区には建てられた年代と状態の違った建物がいろいろ混り合っていなければならない。もちろん古い建物はちゃんとした調和がとれていて、その建物の生み出す経済的産物も種々さまざまであること。この混在は、きちんと緻密になされていなければならない。

第四条件
目的が何であろうとも、人びとが十分に密集していなければならない。このことは、人がそこに住宅を構えていて、そのおかげで起こってくる密度の高さも含む。
*ジェーン・ジェイコブス(黒川紀章訳)『アメリカ大都市の死と生』鹿島出版会 1977年

都市について書かれた文章であり、加えて、「計画家の計画のみ、デザイナーのデザインのみでは、決して多様性には達し得ない」というようにジェイコブスは専門家による計画という行為に肯定的ではありませんが、今、自身が関わらせていただいている千里ニュータウンの再開発が、あるいは、東北の被災地の復興が進んでいる方向はこれらの条件に照らせば、どう映るのだろうかと考えさせられます。

少し前、別の方から聞いて思い出したのですが、ジェイコブスが都市の多様性を実現するための条件として「古い建物の必要性」をあげていることは、決して歴史や伝統の観点からではなく、新しい建物しかない都市においては、高額な経費を負担できる限られた企業しか存在できないというのがポイントだということ。
ジェイコブスが言う「古い建物」とは「いくらかは荒れかけた古い建物もあろうが、質素でごくあたりまえな、あまり高価な価値があるとはいえない古い建物」であり、この点について次のように書かれています。

もし都市のある地域に新しい建物ばかりしかないとすると、そこに存在することのできる事業は、自動的に、新しい建築物にかかる高額な費用を保持することのできる人だけにかぎられることになる。・・・・・・。だからこういった理由で、新しく建設するときに必要な経費を出すことのできるいろいろな企業は、比較的高い総経費——古い建物に必要な総経費に比べて高い——を払うことの可能なものでなければならない。このような高い総経費に耐えるためにそれらの企業は、(1)率の高い利潤が得られ、あるいはまた、(2)十分に助成金の支払われるものでなければならない。
まわりを見ると、通常きちんと確立され、多額の運転資金をもち、標準化された、相当な助成金のもらえる活動機関のみが、新しく建設を行なうための資金をまかなうことができるということがわかるだろう。チェーン・ストア、チェーン式のレストランとか銀行は新しく建設される。しかし、近所のバー、外国料理を食べさせる店、質屋などはだんだん古い建物になってゆく。スーパー・マーケットや靴屋はしばしば新しい建物になってゆくが、本屋や骨董品屋はそうなることはまずない。・・・・・・。たぶんもっと意味の深いことには、ごく普通の企業の多くは——これらは街路や近隣住区の安全と公共生活のために必要であり、そのうえ便利で、個性的な質の良さのゆえにありがたがられているのだが——古い建物の中でやり繰りされ、成功しているのに、新しい建設にかかる多額の総経費のために容赦なくだめにされている。(p212)
*ジェーン・ジェイコブス(黒川紀章訳)『アメリカ大都市の死と生』鹿島出版会 1977年

この部分を読んで真っ先に思い浮かべるのが、新千里東町近隣センターの空き店舗で運営されている「ひがしまち街角広場」。「ニュータウンにはこのような場所が必要だ」という住民の思いをきっかけとして、2001年9月30日にオープン。住民ボランティアにより、日曜以外の週6日、11時〜16時まで運営が継続され、今秋でオープンから15周年を迎えます。

「ひがしまち街角広場」は、高齢者を中心とする地域の人々がふらっと訪れることができる、学校帰りに子どもが水を飲みに立ち寄るなど世代を越えた緩やかな関係が築かれる、竹酢液など地域の団体が作ったグッズの売買ができる、小学校内のコミュニティ・ルームに入るための鍵を預かるなど、地域には欠かせない場所になっています。
最初の半年間のみ豊中市の社会実験として助成金で運営していましたが、その後は助成金を受けない自主運営。100円で提供する飲物の売上げだけで家賃、光熱費を支払っています。それができたのも、近隣センターの空き店舗が、ジェイコブズのいう「古い建物」になっていたからだと言えます。
近隣住区論に基づいて計画された千里ニュータウンでは、近隣センター以外はほぼ住宅。特に新千里東町は全ての住宅が集合住宅。そういった地域で、近隣センターは商売をしたり、「ひがしまち街角広場」のような地域活動の拠点を構えるための貴重な空間。こうした貴重な場所であるにも関わらず、残念ながら新千里東町近隣センターは空き店舗が並んでいるのが現実。様々な要因があるかと思いますが、商売や地域活動の拠点を構えることができるのは近隣センターという限られた空間しかないのだとすれば、店舗は分譲されているとは言え、地域に必要とされている商売や地域活動の拠点を構えやすくするなど、貴重な空間が空き店舗のままにならないための政策的な仕組みを工夫する必要があると感じます。

現在、新千里東町の近隣センターは移転・建替の計画が進められています。移転・建替の完了までにはまだ数年ありますが、移転・建替によって空き店舗がなくなるため、「ひがしまち街角広場」は大きな岐路に立たされることになります。新しい近隣センターの店舗に入居するか(家賃の負担が今まで以上に大きくなる)、あるいは、公共施設である集会所を間借りするか(従来のような緩やかな運営ができなくなる)という判断を迫られます。新千里東町にも、ジェイコブスが指摘する「古い建物」がなくなることにより「(1)率の高い利潤が得られ、あるいはまた、(2)十分に助成金の支払われるもの」しか成立しない状況が生まれることになります。数年後の移転・建替に向けた対応をするための準備を、「ひがしまち街角広場」では始めつつあります。

160715-142302 160715-161342

東北の被災地においても、復興により建設された新しい建物には入居できないという理由で、商売を断念する場合もあるかもしれません。

住宅地ばかりなので商売や地域活動のできる空間がないニュータウン。あるいは、大きな被害を受けた被災地。こうした地域において、ジェイコブスのいう「古い建物」の役割を果たす空間をどのように(人為的に)確保できるか? という観点から、再開発や復興を捉えることも必要かもしれません。
もしこのテーマが、一人ひとりの住民の手には負えない大きなテーマであるならば、その場合には公共というものの力を借りる必要があるのではないかと思います。


話が逸れますが、被災地に建設された仮設住宅について。被災地の外ではあまり知られていないかもしれませんが、仮設住宅の集会所は他地域から支援に来た人々などが宿泊する場所にもなっています。また、既に被災者が転居した後の空き住戸では、他地域から派遣された職員や支援に来ている人々が生活しています。この意味で、仮設住宅とは復興を支える拠点にもなっていたと言うことができます。
ジェイコブスによる都市の多様性を実現するための4条件を振り返れば、実は仮設住宅は4条件を満たす場所になっていることに気づきます。つまり、

  • 混用地域の必要性:仮設住宅は被災者の住まいとして建設されたが、そこでは支援員による見守りが行われたり、様々な支援やイベントが行われたり、生協などの移動販売車が巡回するなど様々な機能を持っている
  • 小規模ブロックの必要性:完成した高層の災害公営住宅に比べれば、仮設住宅は住棟の規模も小さく、外から住戸内の気配が伺える構造になっており、常に人の目のある場所だと言える。それに対して高層の災害公営住宅では引きこもり、孤独死などが懸念されている
  • 古い建物の必要性:仮設住宅は「古い建物」ではないが、ジェイコブスが「古い建物」にこめた意義をふまえれば、仮設住宅は資金力のない団体やボランティアが活動を展開する拠点としての役割を担ってきた
  • 集中の必要性:仮設住宅は、震災後の地域において人々が高密度に住み、集まる場所であった

仮設住宅とは、被災者が高台移転するまでに生活する通過点としての「仮」の住宅。しかし結果として、復興を支える拠点にもなっていたという点は忘れてはならないと思います。仮設住宅が復興の過程においてどのような役割を果たしたのかを検証すること、そして、仮設住宅が生み出したものを今後どのように継承していくかを考えていく。いずれも重要なことだと感じます。

160706-160420 160707-092935