今週の土曜日、日建設計ボランティア部とIbasho Japanによって行う「居場所ハウス」で行うワークショップのテーマは移動すること(モビリティ)。
以前の議論はここでもご紹介したように、店舗がない、病院をはじめとする公共施設がない、公共交通が充実していないといった地方において、移動することはコストではなく価値を生み出す源泉だという認識の転換をすることが必要だと考えています。この点について、改めて地域をとりまく状況を整理してみたいと思います。
これまで、移動することはコストでした。それ故、いかに速く、遠くまで、大量に移動させるかなど、移動にまつわるコストの削減が大きなテーマになっていた。
自家用車は、他人に気兼ねなく目的地までドアtoドアで移動するものという意味では、移動のコストを削減するもの。鉄道はいかに速く、遠くまで、大量に人を運ぶかを目指したもの。この延長で考えると、移動にまつわるコスト削減を極限まで追求したものがIT技術だと言ってよいかもしれません。IT技術は(もはや人が物理的に移動することなく)従来は人が移動することでしか入手できなかったものを入手可能にした。ここまで考えてみると、従来は人の移動可能性が暗黙のうちに前提とされて社会が組み立てられてきたと言えそうです。
- 人の移動可能性を前提
- 人の移動はコストとなる
- いかにコストをかけずに移動するかが解決すべき課題
- コスト縮減のための仕組み、技術が工夫
しかし、現在の地方においては公共交通が充実していないため自家用車が運転できないと暮らすのが不便な状態になっています。これから高齢化がさらに進めば、このような人々はますます増加。仮に自家用車が運転できたとしても、身近なところに店舗や公共施設がないため、目的を達成するためにはかなりの距離を移動しなければならなくなります。
例えば、都市では身近なコンビニも、大船渡市末崎町には震災後に開店した1店舗のみ。自家用車がなければコンビニにすら行くことはできません。また、洋服を買うのは内陸の一ノ関という人もいます。
自家用車を運転できなければ移動することが難しい、店舗や公共施設が身近にないため移動することのコストが大きくなり過ぎてしまっている。こうした状況においては、従来、暗黙の前提とされていた人の移動可能性という根幹が崩れつつあると考えることができます。移動することがコストだと見なす限り、移動することはコスト負担ができる特権的な人だけのものとなり、地方での暮らしのまつわる課題は解決されない。
そこで必要になるのが、上に書いた移動することは価値を生み出す源泉だという認識の転換。移動することを物を買う、医療サービスを受けるといった単目的を実現するための手段と見なすのではなく、移動に付随して生まれる(空間的に接近することによって生まれる)人と人とのコミュニケーション、安否確認、あるいは、移動することがもつリフレッシュ、健康の改善といった効果に目を向ける必要が出てきます。そして、こうした時代においては、移動することが生み出す価値をより多様なものにするための仕組み、技術が求められます。IT技術も移動にまつわるコストを極限まで削減することはできませんが、IT技術によってやりとりされるもの自体は「食べる」ことができません。
- (移動することはコストがかかり過ぎるものになるため)人の移動可能性は前提とできない
- 移動することが価値を生む
- いかに移動することから多様な価値を生み出していくかが大きなテーマ
- 移動に伴い生み出される価値を多様なものにするための仕組み、技術が必要
これを考えていくためのヒントは、既に各地に現れつつあると思います。
例えば、大船渡市末崎町ではスーパーマーケット・生協の移動販売車、スーパーマーケットに連れていってくれる買物バス、移動図書館、そして、かつて鉄道の線路だった場所を運行するBRTなどの試みがなされています。
これらには自家用車よりはサイズの大きな車両(バス)が使われている、店舗や図書館という施設はもはやそこにやって来る人を待ち構える固定した建物でなく施設自体が移動している、という特徴がある。
バスは鉄道に比べると速く、遠くまで、大量させることは不可能ですが、小回りがきくという柔軟性があります。バスは自家用車に比べるとドアtoドアでは移動することはできませんが、他者を乗り合わせることができるというコミュニケーションのきっかけを生み出せるという可能性があります。自家用車でもなく、鉄道もない中間的なサイズの車両であるがゆえに、柔軟性をもつものをどうやって暮らしと連携させていくか。その連携のあり方をIT技術などを用いてどこまで豊なものにしていけるか。ここに交通をめぐる課題を解決するための1つのヒントがありそうです。