少し前になりますが、松村秀一氏による『ひらかれる建築:「民主化」の作法』(ちくま新書 2016年)という本を読みました。この本の中で、松村氏は戦後日本の建築関係産業は一貫して「民主化」を目指してきたとし、「民主化」を次の3段階に分けています。
- 第一世代の民主化:「人々が、民主主義の担い手に相応しく近代的な生活を送れるような「箱」を遍く届けること、それが当時の、つまり第一世代の民主化の目標とする状態だった。」
- 第二世代の民主化:「第二世代の民主化への世代交代は、それまで一方向に猛進してきた近代がもたらした戦争、環境破壊、人間軽視の効率主義等の深刻なひずみを顧み、その状況から抜け出そうとする脱近代の時代精神の表れだったとも言える。」
- 第三世代の民主化:「そこでの主題はもはや「箱」ではない。主題は、既にあり余る程に存在する「箱」を空間資源として捉え、どのように新しく豊かな暮らしや仕事の場に仕立て上げるかということであり、わかりやすく言えば「箱」というハードウエアの問題ではなく、そこに入れるソフトウエア、コンテンツ、即ち人の生き方の問題なのである。」
「民主化」がこのように3段階に分けられた上で、「第三世代の民主化」における専門家としての役割は、事例の類型化や仕組みの提案ではなく、「作法」を提示することではないかとう可能性が示されています。
「私が第三世代の民主化と名付けている新たな動きについて強く感じているのは、それが人の生き方の問題であるから、何か共通項を見つけて類型化したり、合目的的な方法にまとめようとすると、途端に第二世代的なものに逆戻りするのではないかという危険である。少なくとも、今の段階ではそうだと思う。
最終章では、成果のとりまとめ、即ち目的の明確化とそれに対応する方法の提示を行うのが私のような職業の者の常道なのだが、それは避けることにした。そこで用いたのが、明確な目的を前提としない「作法」という言葉である。」
*松村秀一『ひらかれる建築−「民主化」の作法』ちくま新書 2016年
松村氏があげている「作法」は以下の通り。
- 圧倒的な空間資源を可視化する
- 利用の構想力を引き出し組織化する
- 場の設えを情報共有する
- 行動する仲間をつくる
- まち空間の持続的経営を考える
- アレとコレ、コレとソレを結ぶ
- 庭師を目指す
- 建築を卒業する
- まちに暮らしと仕事の未来を埋め込む
- 仕組みに抗い豊かな生を取り戻す
類型化や仕組みの提案ではなく作法の提示という内容は、まちの居場所のスケールアップにまつわる課題を考える上で非常に重要なポイントだと感じます。
先日の記事に書いた通り、まちの居場所からは、制度化によるスケールアップではない別のあり方、つまり、①「現場から現場へと情報が伝わる」、②「地域の変化を引き起こすきっかけになる」という2つの動きが浮かび上がってきます。ここで重要なのは、そのまちの居場所が示す価値への共感。
こうした動きに対しては専門家、研究者も今までとは別のかたちで向き合う必要があります。つまり、先進事例を調査し、それを成立させる条件を明らかにする。そこから、一般的に適用できる知見として抽出するという作業ではなく、いかに価値をすくいあげ、共有できるかを考えること。松村氏があげている「作法」は、その具体的な方向性を示すものだと考えています。
- 参考:松村秀一『ひらかれる建築:「民主化」の作法』ちくま新書 2016年