2018年9月6日(水)、「居場所ハウス」にて、「居場所ハウスのこれからを考える会」が開かれました。
東日本大震災の被災地である大船渡市末崎町にオープンした「居場所ハウス」がこれまで活動の柱の1つにしてきたのが復興支援で、8月19日(日)には防災大臣感謝状を受賞しました。
末崎町は2018年3月末で5ヶ所全ての仮設住宅は閉鎖され、高台移転もほぼ完了したと言えます。復興は完全に終わってはいませんが、復興大臣感謝状の受賞は、復興支援としての活動の一区切り。
復興が終わった後、「居場所ハウス」はどのような場所を目指すのか? 先日の考える会では、スタッフの方々にこれからを考えるためのきっかけとしていただくことを目的として、居場所ハウスの振り返り、末崎町での暮らしの現在・将来、これからを考えるための他地域の事例紹介について話をさせていただきました。
目次
末崎町での暮らしの現在・将来
高齢者の生活・介護として、
- 自分で健康に気をつける
- 家族内でお世話をする(在宅サービスも利用)
- デイサービスに通う
- 施設に入居する
という流れを考える方は多いと思います。けれど、今後は高齢の独居世帯、高齢の夫婦世帯が増加することから、お世話をしてくれる家族がいないという状況が生まれることは容易に想像されます。その一方で社会保障費の不足、介護人材の不足も深刻であり、施設に依存することも難しくなる。
こうした状況に対応するため、現在進められているのが地域包括ケアシステム。これは「%重度な要介護状態となっても住み慣れた地域で自分らしい暮らしを人生の最後まで続けることができるよう、住まい・医療・介護・予防・生活支援が一体的に提供される
」(厚生労働省「地域包括ケアシステム」のページより)システムであり、末崎町でも地域包括ケアシステム構築に向け、「末崎地区助け合い協議会」の設置が進められています。
地域包括ケアシステムで重視されることの1つが、地域での助け合い。「互助」と表現されるものです。
ただし、ここで問題になるのは地域自体が縮小していくこと。末崎町の人口は減少し続けており、2018年6月末時点の人口は4,119人。東日本大震災前年から832人減少し、東日本大震災前年の約83%になっています。
国立社会保障・人口問題研究所による将来人口推計によれば、2045年の大船渡市の推計人口は21,334人と、2015年の約56%。この割合を末崎町にあてはめると、2045年の末崎町の人口は約2,300人となります。人口がここまで減少すれば、大量の空き家が発生することにもなります。
これらはあまり明るい数字ではありませんが、地域があってこその「居場所ハウス」。だとすれば、「居場所ハウス」が地域に対してどういう役割を担えるかが課題となりますが、運営のベースにしているIbashoの8理念に立ち戻れば、8理念の最初に掲げられている「高齢者が知恵と経験を活かすこと」というのが、「居場所ハウス」の方向性になるのではないかと考えています。
そのためには、現在「居場所ハウス」の運営に携わっている方々自身が、
- どんな場所があれば毎日でも行きたいと思うか?
- どんなサポートがあれば嬉しいか?
を考えてみてはどうかと提案をさせていただきました。
他地域の事例紹介
高齢になった時に、どのような課題になるのか。これに関して、次の3つの観点から他地域の事例を紹介しました。
①行ける場所がなくなる、地域の人と顔を合わせる機会が減る
→ いつでも(イベントに参加しなくても)、ふらっと立ち寄れる場所が必要
②食事を作ったり、家事やちょっとした作業が難しくなる
→ 地域の人が互いに、困っていることを助け合える場所が必要
③誰からも頼りにされない、役に立てないという無能感を抱く
→ 何歳になっても役割を果たせる場所が必要
①に関しては、千里ニュータウンの「ひがしまち街角広場」を紹介しました。
「ひがしまち街角広場」は「目的がなくてもふらっと立ち寄れる場所」という地域で求められているものを的確に捉え、そのような場所を住民がボランティアで、無理のない範囲で運営し続けている場所です。オープンは2001年9月なので、もうすぐオープンから17年となります。最初の半年間のみ豊中市の社会実験として運営されていましたが、その後は行政からの補助金を一切受けない「自主運営」がなされています。
「ひがしまち街角広場」からは「自主運営」に加えて、
- 1人で訪れてもスタッフが対応してくれるため、話し相手がいる。ただし、1人で過ごしたい人には無理に話しかけない
- 学校通信を掲示するなど「地域情報の交差点」になっている
- 子どもが学校帰りに水を飲みに立ち寄ることは学校公認とされており、地域の大人と子どもとの緩やかな関わりが生まれている
などが特に「居場所ハウス」の参考になると考えています。
②に関しては、新潟市の「実家の茶の間・紫竹」を紹介しました。
2014年10月、新潟市の地域包括ケア推進モデルハウスの1号として開かれた
「実家の茶の間・紫竹」では、地域の人々が気持ちよく助け合うために「距離感を大切にする人間関係」(矩を越えない距離感を大切にする人間関係)を築くことが大切にされています。そのために「誰が来ても、あの人誰? という目をしない」、「その場にいない人の話はしない(褒めることも含めて)」、「プライバシーを訊き出さない」という茶の間のルールが定められています。これは、「居場所ハウス」でも検討すべきことだと思います。
「実家の茶の間・紫竹」ではこれらの茶の間のルールに加えて、誰でも応募できるよう当番は壁に掲示して募集されていること、参加費の使い道を掲示して地域の人々からの理解を得ること、視察・研修の情報を掲示していることなど、掲示を有効に活用することで情報をオープンにしていることも参考になると考えています。
③に関しては、「居場所ハウス」で行われている椿の実の殻とりのことを紹介しました。
最近、「居場所ハウス」では高齢の女性が椿の実の殻とりの作業をしてくださっています。なぜ、女性は進んで椿の実の殻とりの作業をしてくださるのか。それは、何歳になってもお世話をされるだけでなく、頼りにされたり、役に立っていると感じることは生きる喜びにつながるからだと考えています。
「居場所ハウス」では椿の実の殻とりの他に、クルミ剥き、干し柿作りなどもしていますが、この他、例えば末崎町ならではのワカメの芯抜きの作業など、訪れた人が行えることが1年を通してあればいいと考えています。
こうした話をした上で、次のような提案をさせていただきました。
「居場所ハウス」のこれからに向けた個人的な提案
何歳になっても担える役割がある
- 一方的にお世話されたり、ボ〜ッと座ったりしているだけでなく、生き生きとできる作業がある/積極的に作る → くるみ剥き、椿の実の殻とりのほか、ワカメの芯抜き?など、1年を通して何かできればいい
地域で本当に必要とされていることの見極め
- 「居場所ハウスって何をする場所なのか」を明確に/シンプルに表現して、地域全体で共有する
- 地域で必要とされている活動を無理せず継続。それ以外の活動は少しずつ縮小していく → 居場所ハウスが必要になるのは、少子高齢化/人口減少が進むこれから。地域自体が縮小していく時代においては、縮小(今までできたことが、できなくなること)は悪いことではない
- 補助金から卒業する準備をしていく(「お金があるから○○する」から、「○○するために資金を獲得する」へ発想を変える)
一人ひとりを大切にする人間関係
- それぞれの個性を認めて、仲間にならなくても気持ちよく過ごせる場所 → いずれ助け合わねばならない住民同士として、嫌な人を作らな。噂話はしない(その場にいない人の話はしない)
- 年齢や肩書きではなく、個人としての存在が大切にされる場所
末崎町への貢献
- 若い世代をどうサポートできるかを考えてみる → 末崎町(自分たちの今後の暮らし)を支えるのは若い世代
- ここに来れば、末崎町の情報がわかる情報を提供 → 公民館報、学校通信、平だよりなどの掲示
末崎町外の人々とのつながり
- 外部から支援、訪問し続けてくれる人、気にかけてくれる人との関わりを大切にする → 一方的な支援の関係はいずれ終わる。「居場所ハウス」はそうした人に何を提供できるかを考えてみる
「居場所ハウスのこれからを考える会」の終了後には、防災大臣感謝状の受賞のささやかなお祝いを行いました。
「居場所ハウス」には、オープンの少し前から関わってきましたが、今回、初めて「居場所ハウス」のスタッフにまとまった話をさせていただきました。
研究者は、ある事例から学んだことを、他の事例でも活用できるように一般化することを考えます。それに対して今回の考える会で考えたのは、「ひがしまち街角広場」、「実家の茶の間・紫竹」なども紹介させていただきましたが、「居場所ハウス」への関わりから学んだことを、どう「居場所ハウス」に還元していくかということ。
両者では研究者と事例との関係、研究者が事例にどう関わるかというスタンスが異なります。学んだことをそこに還元したいと思える事例をもっていることは、研究者にとってありがたいことかも知れないと思うと同時に、次のような言葉を思い出しました。
精神科医の小澤勲氏の言葉です。
小澤勲氏は、「べてるの家」の向谷地生良氏との対談において、次のような発言をされています。
「(小澤)いまわれわれに求められているのは、たとえば心理検査や診断技術のように、学会で発表するような抽象度の高いものと、事例報告との中間みたいなものじゃないでしょうか。いろいろな事例を体験しながら、抽象化しすぎない範囲で、現場で活かせる物事の考え方を見つけていく作業ですね。それが向谷地さんや私のように、現場から離れず、現場での体験を基盤にして物事を考える人間のつとめだろうと私は思っています。そこが案外欠けているところかなという気がします。」
*小澤勲『ケアってなんだろう』医学書院 2006年
ここで指摘されている「学会で発表するような抽象度の高いものと、事例報告との中間みたいなもの」、「いろいろな事例を体験しながら、抽象化しすぎない範囲で、現場で活かせる物事の考え方を見つけていく作業」が求められているように感じます。
そして、このことは「まちの居場所」や地域に向き合う場合、具体的にどのような作業をすることなのかを考えていきたいと思います。