『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

プライベート(私)が作り出すパブリック(公)な場所@サンフランシスコ

アメリカではUber、Lyftという自家用車を用いたライドシェア・サービスが日常生活に不可欠なインフラと言えるほどに発達しています。近年、これらの企業はシェアサイクル(電気自転車のシェア)のサービスを展開するようにもなっています。

日本でもUberはありますが、日本のUberは自家用車を用いたライドシェア・サービスではなく、既存のタクシーを配車するサービス(タクシーの配車アプリ)になっており、アメリカでUberやLyftが実現しているものとは全く異なります。

日本では、UberやLyft、あるいは、民泊のAirbnbなどの民間の資源を用いたシェアの思想に対して、「民間に任して質は担保されるのか?」、「何か問題が起きたらどうするのか?」、「既存の業界を脅かすのではないか?」などの懸念が寄せられ、新たな動きを行政(公共)が規制する動きが生じる傾向があります。
けれども、よく考えてみれば、こうした懸念があるのはアメリカでも同じ。こうした懸念を前にして、民間(私)の新たな動きを規制しようとする国と、民間(私)の新たな動きをどんどん取り込もうとする国では、どちらが暮らしやすいのか、どちらが持続可能と言えるのかは一概には言えないかもしれませんが、これがアメリカが羨ましいと感じる点の1つです。


プライベート(私)に対する日本とアメリカのスタンスは、都市の作り方にも現れているのではないか。サンフランシスコを訪れ、このようなことを感じました。

サンフランシスコには、次のような興味深い場所があります。

POPOS(Privately Owned Public Open Space・民有のパブリック・オープンスペース)

パブリック・パークレット(Public Parklet)

サイドウォーク・ガーデン(Sidewalk Garden)

これらに共通しているのはプライベート(私)なものがパブリック(公)の場所を作り出そうとする仕組みだという点。プライベート(私)なものの働きかけが、パブリック(公)な場所を生み出していると捉えることができます。ここで、行政(公共)はガイドラインを作ったり、土地を提供したりすることで、プライベート(私)による動きをサポートしていること。

  • POPOS:プライベート(私)が所有する場所をパブリック(公)に公開する
  • パブリック・パークレット:プライベート(私)が設置の申請、設置、メンテナンスを行う
  • する

  • サイドウォーク・ガーデン:プライベート(私)が設置の申請、設置、メンテナンスを行う

プライベート(私)がパブリック(公)な場所を生み出していくこうした場所と比較すれば、日本(現在の日本)では行政(公共)が作ったものだけがパブリック(公)なものと捉えられる傾向があるのではないかと感じることがあります。
資金の流れに注目すれば、日本ではプライベート(私)から税金の徴収というかたちで行政(公共)が一旦資金を取りまとめ、それを行政(公共)が再配分することによってパブリック(公)を生み出していくという流れ。ここが、日本が社会主義的と言われる部分だと言えますが、このプロセスにおいては行政(公共)に力が集中することで、その規制は大きな力を持つことになります。さらに、行政(公共)に集まる金額が大きいため、いわゆる公共事業は規模が大きくなりがち。

日本とアメリカの仕組みのどちらが良いかは一概には言えませんが、行政(公共)がリードする行動経済成長期までは、日本の仕組みも効果的だったのかもしれません。
けれども、現在の日本で問題になっているのは行政(公共)からの再分配が、既得権益や縁故が優先されることで、それが公平なプロセスとして機能していないこと。それにも関わらず、行政(公共)による規制が大きいことは変わらないため、アメリカのようなプライベート(私)による新たな動きも生じにくいこと。
結果として、パブリック(公)が弱まっているのが現在の日本が抱える課題ではないかと感じます。


  • 2000年頃から日本で同時多発的に開かれるようになった「まちの居場所」は、プライベート(私)がパブリック(公)な場所を生み出そうとする動きとして捉え得るように思います。けれども、「まちの居場所」も、宅老所が小規模多機能ホームに、コミュニティカフェや地域の茶の間が「通いの場」にというように、行政(公共)を経由して制度化されていく。これが日本という社会の特徴なのかもしれません。
  • サンフランシスコにおけるPOPOS、パブリック・パークレット、サイドウォーク・ガーデンに対しては、いずれも土地のオーナーなど私的財産を有する主体が行うものであり、貧富の差を前提とした仕組みではないかという批判はあり得ると思います。ジェントリフィケーション(Gentrification)により住宅の価値が上がる一方、多数のホームレスが生活するサンフランシスコを見ていると、この批判は的を得ているように思います。しかし、これをふまえた上でも、(私)がパブリック(公)を生み出そうとする動きからは学ぶべきことが多いように感じます。