『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

大船渡市末崎町の山岸団地(山岸仮設)を振り返る

間もなく東日本大震災から10年になります。新型コロナウイルス感染症のこともありニュース等で東日本大震災のことを見かけることはありませんが、ニュース等で少しずつ取りあげられなくなることが、復興が進むということかもしれません。
10年という節目として、自分自身が2013年9月から閉鎖直前の2016年6月まで住まわせてもらっていた大船渡市末崎町の山岸仮設(以下、現地の呼び方に従って山岸団地)のことを記しておきたいと思います。仮設住宅は多様であるため、あくまでも1つの仮設住宅の記録としてお読みいただければと思います。

仮設住宅は、「仮設」の名称がつけられていることから、一般的には被災者が避難所から高台移転するまでの合間に住む「仮の住まい」だと捉えられていると思います。実際、高台移転が完了すれば仮設住宅は撤去されていきます。住民の中には、一刻も早く仮設住宅を出たいと思っていた方、今でも仮設住宅のことを思い出すのが辛いという方もいると思います。その一方、仮設住宅で築かれた関係の中には、仮設住宅が閉鎖された後も継続しているものもある。特に山岸団地では、仮設住宅閉鎖後も、元住民が定期的に同窓会を開き続けておられます。このような姿からは、仮設住宅を高台移転までの「仮の住まい」と言い切れないことに気づかされます。

避難所

2011年3月11日の14時46分に東日本大震災が発生。震災の発生後、周辺の住民、200人ほどが高台にある末崎小学校に避難してきたとのこと。けれども当時、末崎小学校は避難所として指定されていませんでした。そのため、市役所からは避難所に指定されている末崎中学か末崎地区公民館(ふるさとセンター)に移動して欲しいという依頼もあったようですが、200人という人数の多さなどの理由で末崎小学校の体育館も避難所として使われることになったということです。この日から、5月22日に末崎小学校校庭の山岸団地への入居が始まる約2ヶ月間、避難所での生活が始まりました。

避難所のお世話をし、後に仮設住宅の支援員になった方の話では*1)、東日本大震災と阪神大震災の違いとして、阪神大震災では揺れによって地域全体が被災したが、東日本大震災は津波による被災が主だったため、末崎町の場合、津波にあわなかった世帯世帯から毛布、灯油、米などを避難所に集めることができ、震災の当日からおにぎりを作って食べることができたということです。学校のプールの水をペットボトルに入れてトイレで利用していたこと、小学校が調理室などの設備を開放してくれたことも伺いました。

末崎小学校に避難したのは周辺に住む住民だったが、全員が知り合いでなく互いに知らない人同士もいる。また、全員が食事が欲しい、物資が欲しいと考えているだけでは、避難所を上手く運営できない。そこで、トレイ掃除、炊事、物資担当など避難所のルールが作られました。

当初、小学校校庭は避難してきた人の車でいっぱいでしたが、車を移動させ校庭の半分にスペースを作り、学校にあるライン引きで○の中にHという線を引いたら、米軍のヘリコプターが降りてきて、物資を置いていってくれたという出来事もあったようです。

2011年5月22日から山岸団地への入居が始まりましたが、ほとんどの人は体育館から校庭への移動であり、入居はスムーズだったということです。支援員からは、避難所でも仮設住宅でも同じ地域の人が集まっていると運営しやすいので、地域ごとに分散して入れるぐらいの規模が好ましいのではないかという話を伺いました。

別の支援員からは、避難所における時間の経過に伴う変化として、次のような話を伺いました*2)。
避難所にいれば、3食を食べることができる。けれども、1日は24時間あって、8時間寝るとしても、16時間は起きてる。そ時間をどう過ごすか。避難した直後は何もできず、次の日から音楽というわけにもいかない。自分も最初は末崎小学校に避難すれば食事があると思っていたかもしれないけど、だんだんと避難所で自分にできる役割があるとわかってきた。この方は末崎小学校の避難所でお世話をし、後に山岸団地の支援員になられました。

山岸団地

山岸団地の概要

山岸団地は末崎小学校の校庭に建設された58戸の仮設住宅です。10棟で構成されており、住戸タイプは1DKが16戸、2DKが26戸、3DKが16戸。大船渡市内には、山岸団地を含めて37の仮設住宅が建設されました。平均住戸数が48.9戸であることから、山岸団地は平均よりやや規模の大きい仮設住宅ということになります。

仮設住宅の中には、木造の仮設住宅や、住戸の配置を工夫した仮設住宅などもありますが、山岸団地は住棟が平行配置され、全ての住戸には北側からアクセスする(北側に玄関がある)タイプ。仮設住宅と聞いて一般的にイメージされるタイプです。

(山岸団地)

10棟の住棟の他に集会所がありました*3)。集会所には、入口を入って右手に集会室、正面に支援員の事務室、左手に洗面所、トイレ、浴室。集会所の横手には、支援員の手により工具などをおさめる物置が増築されていました。

(山岸団地の集会所)

2014年の初め頃まで、集会所や小学校校庭のフェンス、遊具などにイルミネーションがつけられていました。

(山岸団地のイルミネーション)

山岸団地は、東日本大震災のちょうど1ヶ月後の4月11日に着工し、5月11日に完成。そして、5月22日から入居が始まりました。
しかし、二重サッシ、玄関前出入口サッシ、舗装、畳(4.5畳)の設置工事(2011年9月頃)、単管パイプの布団干しの設置(2011年12月頃)、支援員が、希望者に対して住戸内のトイレの棚を設置(2011年12月頃)など、入居が始まってから暮らしやすい環境が作られていきました。
集会所も同様で、テレビ、冷蔵庫、台所用品等が設置(2011年9月頃)、掲示板の設置(2011年9月頃)、支援員が寄贈された材料を使って集会所風除室を制作(2011年10月)、カラオケ機が設置(2011年11月頃)、畳が敷設(2011年12月頃)、トイレに暖房便座が設置(2012年1月頃)、畳の上に絨毯を敷設(2012年1月頃)などと少しずつ備品が揃えられたり、環境が整えたりされていきました。
仮設住宅であっても、環境に手を加え、徐々に暮らしやすい環境に変えていくことが重要だということです。

仮設住宅の支援員

大船渡市では、2013年9月1日から岩手県北上市の支援事業として応急仮設住宅支援事業が始められ、この日から集会所に支援員が常駐することになりました。事業は株式会社ジャパンクリエイトが受託し、支援員は株式会社ジャパンクリエイトの社員でした。

山岸団地の支援員は入れ替わりがあったものの、ほとんどの時期を2人が担当。最初から山岸団地が閉鎖されるまで支援員をつとめておられた方は、末崎町にお住まいで、自らも東日本大震災で被災。山岸団地の住民でもありました。
山岸団地の集会所には事務室があったため、山岸団地を担当する2人の支援員と別に、末崎町の5つの仮設住宅を統括するマネージャーも常駐していました。

支援員は、支援者の受け入れの対応をしたり、行事の準備やサポートをしたり、大工仕事、草取り、雪かきなどの環境整備をしたりなど、住民の暮らしをサポートする存在。
住民の安否確認として平日の8時半からは、「おはようございます」、「今日もよろしくお願いします」と声をかけながら全戸の巡回が行われました。この巡回は、山岸団地の最後の入居者が残っている間はずっと継続されていました。
2013年4月から2014年2月まで、集会所で「いどばたカフェ」が開かれており、コーヒーなどの飲み物が提供されていました。2013年5月から山岸団地が閉鎖れる直前まで、平日の9時から集会所前でラジオ体操が行われていました。

(集会所での「いどばたカフェ」)

「大船渡仮設住宅団地Official Site」のページでは、支援員の役割として「お手伝い」と「つなぎ役」の2つがあげられています。

「支援員は、仮設住宅団地のリーダーではありません。それぞれの団地の自治会、それぞれの住民さんの活動のお手伝いをするのが役割です。また、安心して暮らして行けるように、市や社会福祉協議会さん等の活動をお手伝いすることも役割になります。」

「支援員の仕事のほとんどは、つなぎ役になります。市や県などからの様々な情報を掲示板や直接配布などで住民さんに情報をつなぎます。その他、前向きな生活、健康的な生活を実現するためには様々な情報が存在しています。広報誌等つくることで、情報を住民さんにつなぐことも大きなお仕事です。」
※「大船渡仮設住宅団地Official Site」のページより。

そして、具体的な仕事として次の10項目があげられています。

  1. 談話室・集会所の管理
  2. 仮設住宅団地の見回り
  3. 住民の皆様からの困りごと相談受付
  4. 物資、大船渡市広報、イベント告知資料等の配布
  5. 仮設住宅団地への訪問受付
  6. 集会所利用予約(イベントなど)の受付
  7. 団地コミュニティ醸成のお手伝い
  8. 皆さんが安心して暮らしていけるように大船渡市や社会福祉協議会さん等の活動をお手伝いします
  9. 広報の作成
  10. 各種帳簿への記録と管理

※「大船渡仮設住宅団地Official Site」のページより。

支援員の仕事として「広報の作成」があげられているように、大船渡市では仮設住宅ごとの広報が作成されていました。山岸団地の広報は、『山岸団地だより』として2011年9月20日に第1号が発行され、行事、配給などのお知らせ、集会所の利用案内、仮設住宅での暮らしの注意事項などが記載されていました。『山岸団地だより』は2015年5月25日の第45号まで発行された後、住民や行事の減少などの理由から、2015年6月25日からは末崎町の5仮設住宅合同の『末崎地区仮設団地だより』(第46号)として発行されることになりました。『末崎地区仮設団地だより』は2016年4月25日の第56号まで発行。その後は、大田仮設のみの『大田仮設住宅だより』として2016年8月25日の第60号まで発行されています。

仮設住宅の住民の中には、被災者のお陰で支援員としての仕事ができていると考える人もいるとのこと。しかし、支援員が住民の暮らしの全てをお世話するのではなく、住民に対して自分の身の回りのことはできる限り自分ですることを伝えているという話を伺いました。震災前からの顔見知りだから、このようなことも言えるのだと。例えば、山岸団地では2011年11月からしばらくの間、毎月、住民による山岸団地の清掃が行われていましたが、これは自分の身の回りのことはできる限り自分ですることの1つの例だと言えます。

北上市の支援事業として行われてきた応急仮設住宅支援事業は、2015年3月末で終了。4月からは新たに設置された大船渡市応急仮設住宅支援協議会が事業を引き継ぐことになりました。そして、大船渡市内の仮設住宅の閉鎖に伴い、2019年3月、大船渡市応急仮設住宅支援協議会は解散しています。

山岸団地の自治会

2011年10月29日、山岸団地の自治会が設立され、自治会長と世話人が選ばれました。この後、自治会が主催となって餅つき、忘年会、新年会、夏祭りなどの行事が行われました。
ただし、自治会主催の行事には山岸団地の住民だけが参加していたわけではありません。例えば、2012年と2013年の夏祭りは「山岸団地・近隣地域夏祭り交流会」という名称が付けられているように、山岸団地の「近隣地域」への呼びかけも行われました。交流会や年末の餅つきのように、住民と末崎小学校の子どもが参加する行事も行われていました。

(日帰り三鉄レトロ列車の旅)

入居世帯が徐々に減少していったことから、2014年は末崎町の4仮設住宅合同の「夏祭り交流会」として山岸団地で、2015年は末崎町の5仮設住宅合同の「夏祭り交流会」として平林仮設で開催されています。

(2014年の4仮設合同の「夏祭り交流会」)

自治会の婦人部として山岸レディースクラブも設立されています。山岸団地に入居したのは、末崎町の中でも門之浜、小河原、小細浦の3公民館の住民が中心であったことから、。門之浜、小河原、小細浦からそれぞれ1人ずつ山岸レディースクラブの役員が選出。3人の中で最も年齢が上だった方が山岸レディースクラブの最初の会長に選ばれたとのことです。
山岸レディースクラブは集会所に集まって手芸教室を開いていた時期もあります。毎年3月には、小学校6年生に対して手作りのペン立てをプレゼントされていました。子どもたちにとって大切な場所である校庭を使わせてもらってるのだから、そのお返しにと考えられてのことです。

山岸団地には数多くの支援者が訪れましたが、支援者が住民を一方的に支援したわけではなく、住民が支援に訪れた人に海の幸や地元の食事をふるまったり、夏祭りなどの行事に招待したりと、支援する/されることを越えた関係が築かれていました。

(山岸レディースクラブ)

(ボランティアに訪れた大学生と共に食事する)

(ボランティアに訪れた高校生に鍋料理を振る舞う山岸レディーズクラブのメンバー)

山岸団地の行事・活動

開催数の推移

山岸団地では自治会主催の餅つき、忘年会、新年会、夏祭や、支援員による「いどばたカフェ」だけでなく、国内外から支援に訪れた人や団体による炊き出し、相談会、音楽の演奏会、手芸や工作作り、体操、お茶会(お茶っこ)など様々な行事・活動が行われてきました。

(窓拭きボランティア)

(歌声サロン)

『山岸団地だより』には毎月、行事・活動の案内が掲載されていましたが、2011年9月20日に第1号が発行されてから、2016年6月30日の閉鎖までに開催された行事・活動を数えると556回になります*4)。
開催数の推移をみると、2012年7月までは開催数が月に15回を超えていることがわかります。その後、開催回数は減少しますが、支援員による毎週火曜日の「いどばたカフェ」が始まったこともあり2013年春頃から再び増加。「いどばたカフェ」は2014年2月で終了し、以降、開催回数は多くても10回となります。さらに、2015年3月以降は多くて5回となり、この状態が2016年3月まで続き、2016年6月末で山岸団地は閉鎖となりました。
閉鎖直前の2016年3月まで継続して開催されていたのは、大船渡市社会福祉協議会による「陽だまりの会」というサロンと、ヨーガ療法学会によるヨーガセラピーの2つ。「陽だまりの会」は2011年10月から2016年3月まで毎月2~4回継続して開催されていました。ヨーガセラピーは大船渡市外からの講師により、は2011年10月から2016年3月まで毎月2~3回開催されていました。

行事・活動の主催者を次の3つに分類します。

  • 山岸団地(自治会、山岸レディース、山岸団地の支援員)
  • 山岸団地以外で開催回数5回以上の主催者*5)
  • 山岸団地以外で開催回数4回以下の主催者

山岸団地が主催の行事・活動の割合は2011年12月~2012年7月、2013年4月~2014年2月で大きくなっています。2011年12月~2012年7月は山岸レディースクラブが毎週手芸教室を、2013年4月~2014年2月は支援員が毎週「いどばたカフェ」を開いていた時期です。
2015年に入ってからは山岸団地以外で開催回数5回以上の主催者による行事・活動が中心となります。これは、上でみた大船渡市社会福祉協議会による「陽だまりの会」、ヨーガ療法学会によるヨーガセラピーが中心になったためです。

活動・行事の種類は様々ですが、ここでは次の6つに分類しました*6)。

  • 生活支援・炊き出し・相談会:炊き出しや配給、相談会、仮設住宅の窓拭きなど
  • 交流会・お祭り:新年会、花見、夏祭り、忘年会、餅つきなど
  • 演奏会・歌声喫茶:コンサート、ライブ、歌声喫茶など
  • 体操・セラピー:ヨーガセラピー、ノルディックウォーキング、マッサージ、足湯など
  • サロン・手芸・料理:いどばたカフェ、陽だまりの会、お茶っこ、手芸、料理教室、もの作り教室など
  • その他・不明

種類別の開催回数は、「サロン・手芸・料理」が最も約半数を占めており、ついで、「体操・セラピー」、「生活支援・炊き出し・相談会」の順に多くなっています。
開催時期に注目すると、「生活支援・炊き出し・相談会」の割合は2011~2012年に大きくなっていること、「交流会・お祭り」の割合は2011年、2014年に大きくなっていること、「演奏会・歌声喫茶」の割合は2013年に最も大きくなっていることがわかります。「体操・セラピー」、「サロン・手芸・料理」の割合は当初は小さいですが、徐々に大きくなっています。
このように時期によって行事・活動の種類は変化しており、早い時期には「生活支援・炊き出し・相談会」という支援と、「交流会・お祭り」、「演奏会・歌声喫茶」というイベント的なものが行われていたが、次第に「体操・セラピー」、「サロン・手芸・料理」という小規模な活動が中心になっていく変化として捉えることができます。

仮設住宅で外部からの支援者が行事・活動を開く場合、参加者の多寡は気にしないという場合が多いですが、受け入れる仮設住宅側にとっては、せっかく行事・活動を開いてくれるのだから少しでも参加者が多い方がいいと考えるのは当然であり、実際、支援員がチラシを作成したり、各戸を回って声かけをしたりすることも行われていました。仮設住宅の住民が多い時期は多くの参加者が集まりますが、仮設住宅から移転していく人が増えてくると、多くの参加者が集まるのは難しくなる。
仮設住宅における「交流会・お祭り」、「演奏会・歌声喫茶」にも暮らしの支援、そして、被災者との交流という側面があります。一緒にお茶を飲む時間がもうけられることが多く、「サロン・手芸・料理」と厳密には区別することはできません。多くの参加者を集めることを目的として開かれる性格のものではないのは言うまでもありません。けれども、仮設住宅の住民が減少し、多くの参加者が集まるのが難しくなるにつれて、これらが行われなくなったのも事実です。
一方、「体操・セラピー」、「サロン・手芸・料理」が継続的に行われてきたことは、これらが参加者の多寡に関わらず開催できる小規模で、かつ、日常的な活動だからだと思われます。

主催者による活動の種類をみると、山岸団地が主催のものは「交流会・お祭り」と「サロン・手芸・料理」の割合が大きくなっています。「交流会・お祭り」には山岸団地自治会による新年会、花見、夏祭り、忘年会、餅つきなどが、「サロン・手芸・料理」には山岸レディースによる手芸教室、支援員による「いどばたカフェ」があります。

山岸団地以外で、開催回数5回以上の主催者によるものは、「生活支援・炊き出し・相談会」、「体操・セラピー」、「サロン・手芸・料理」で割合が大きくなっています。「生活支援・炊き出し・相談会」の割合が多いことは、暮らしの支援を継続してきた団体があることを表しています。
「体操・セラピー」、「サロン・手芸・料理」の割合が大きいのは、大船渡市社会福祉協議会による「陽だまりの会」、ヨーガ療法学会によるヨーガセラピーの開催回数が多いことが影響しています。
「演奏会・歌声喫茶」の割合が特に大きいのは様々な歌手や演奏家によるライブ、コンサートが行われてきたことを表しています。

仮設住宅の住民が減少したことで、2013年と2014年の「夏祭り交流会」のように他の仮設住宅と合同で開催されるものもあります。また、「居場所ハウス」に会場を移して行われるようになった行事・活動もあります*7)。

山岸団地では様々な行事・活動が行われてきました。外部からの支援者による行事・活動が多いと、住民が依存してしまい、仮設住宅からの退去(自立)が遅れるのではないかと指摘されたこともあったようですが、山岸団地は早い段階で閉鎖されていることから、支援者による行事・活動の開催数と住民の退去時期には直接的な関わりはないということだと思います。

集会所の記録写真

山岸団地の集会所の壁には、開催された行事・活動の様子を写した写真、支援者や来訪者と一緒に撮影した記念写真、あるいは、カモシカが校庭を横切って行った時の写真など多くの写真が掲示されていました。壁をぐるっと一周し、それでも貼る場所がないため何周にもなって貼られており、筆者が初めて山岸団地を訪れた2013年4月で既に3周目だと伺いました。

(集会所に貼られた写真)

集会所に掲示されていた写真は、DVDにスライドショートして記録し、住民が退去する際に、山岸団地の思い出としてプレゼントされていました。そして、山岸団地が閉鎖される時には集会所から外され、今でもファイルに綴じて保管されています。
何度もやって来る支援者は、自らの写真が集会所に貼られているのを目にすることになります。それは、支援者にとって嬉しいことではないか。集会所に写真を貼っておくことには、支援者にとっての意味もあるのだと伺いました。

山岸団地の閉鎖

山岸団地からの退去

山岸団地からの退去は徐々に進み、2013年の冬の時点で約45世帯、2015年春の時点で約30世帯、2015年冬の時点で約20世帯となっています。
空き住戸は、(筆者を含めた)被災地への支援者らに対して開放されており、山岸団地では2013年4月から、大船渡市役所への派遣職員の住戸としても活用されています。

校庭を子どもたちに返却するため、末崎町内では、末崎小学校校庭の山岸団地と末崎中学校校庭の平林仮設が先行して閉鎖されることになりました。山岸団地と平林仮設は2016年6月末に閉鎖しました。

校庭としての利用再開

山岸団地は2016年6月30日で閉鎖されました。この後、撤去校庭復旧の作業が進められ、2016年11月21日から校庭としての利用が再開されました。山岸団地の建設は1ヶ月で完了しましたが、撤去作業は約5ヶ月かかったことになります。建設が急ピッチで進められたという理由を考慮しても、撤去にもかなりの時間がかかることがわかります。

(山岸団地の撤去作業)

(末崎小学校校庭の復旧作業)

2016年12月6日、末崎小学校校庭で「おかえりなさい校庭」の会が開催されました。末崎小学校の運動会は、毎年5月に「鯉のぼり運動会」として開催されています。2016年11月21日に校庭としての利用は再開されましたが、通常であれば、次回の運動会は2017年5月開催となります。そうすると、この年の6年生は一度も校庭で運動会ができません。「おかえりなさい校庭」の会は、この年の6年生が校庭で運動会を経験できるようにという配慮もあったと思います。雪が舞い、冷たい強風が吹く非常に寒い日でしたが、辺りには子どもたちの声が響き渡っていました。

「おかえりなさい校庭」の会に、山岸団地に入居されていた女性が見にこられていました。校庭から声が聞こえてきたので様子を見に来たとのこと。子どもたちが校庭を駆け回っている様子を見て、「ここで色々あったなと思って」と話してくださった女性は涙ぐんでおられました。仮設住宅での暮らしを思い返すと同時に、校庭が開放されたという嬉しさ、そして、校庭を長期にわたって仮設住宅が占拠してしまっていたという申し訳なさ。色々な思いが混ざった涙だったと思います。

(「おかえりなさい校庭」の会)

2017年5月20日、東日本大震災後初の「こいのぼり大運動会」が開催されました。「こいのぼり大運動会」は7年ぶりの開催になるため、この年の中学1年生は小学校校庭での運動会を経験したことがありません。そこで、特別プログラムとして、中学校1年生を招待しての「中1レース」が行われました。

(東日本大震災後初のこいのぼり大運動会)

山岸団地同窓お茶っこ会

山岸団地が閉鎖された後、元住民による「同窓お茶っこ会」が居場所ハウスで定期的に開かれています。
閉鎖直後の2016年7月10日、最後まで継続されていたヨーガセラピーの講師に対するお礼として、山岸レディースクラブのメンバーが居場所ハウスでの食事会を開催しました。食事会は、支援員からの呼びかけではなく、山岸レディースクラブのメンバーによって企画されたものです。

食事会に参加した人から、継続的に集まる機会をもちたいという声が出されたため、男性や支援員などにも声をかけ、山岸団地自治会が主催する「同窓お茶っこ会」が開かれることになりました。
山岸団地に入居したのは、先に触れたように末崎町の中でも門之浜、小河原、小細浦の3公民館の住民が中心でした。仮設住宅からの退去に伴ってそれぞれの公民館内に戻ったことで、公民館が違うとなかなか顔を合わせる機会がない。中には他の地域に転居された人もいます。「同窓お茶っこ会」が開かれることになった背景にはこうした状況があります。
「同窓お茶っこ会」は2017年2月12日に開催。その後、年に1~2回ずつ開催され続け、2020年2月17日までに7回開催されました*8)。元住民に加えて、ヨーガセラピーの講師をはじめとする支援者らも参加。集会所に掲示されていた写真で作ったスライドショーを上映し、「○○さんが写っている」、「こんなこともした、あんなこともした」と山岸団地のことを振り返るのも恒例になっています。2019年10月29日に開催された6回目の「同窓お茶っこ会」は、仮設住宅でも開催されていた深大寺陶芸教室と日をあわせて開催されました。

(山岸団地の同窓お茶っこ会)

「同窓お茶っこ会」を企画されているのは、山岸レディースクラブの役員と、山岸団地の住民であり支援員をつとめておられた方。山岸レディースクラブは門之浜、小河原、小細浦からそれぞれ1人ずつ役員を選出されており、それぞれが自らの公民館の元住民への連絡を担当されています。

(山岸団地の同窓お茶っこ会の打合せ)

山岸団地から教わったこと

山岸団地から多くのことを教わったことで、仮設住宅を次のような場所と考えるようになりました。

■地域の外部との接点である
実際に山岸団地宅に暮らして、外部からの支援者をはじめ山岸団地には多くの人々の出入りがあることに驚きました。入居した2013年9月の時点でもそうであったため、それ以前にはより多くの人々が出入りしていていたと思われます。また、仮設住宅の空き住戸は、市役所への派遣職員や筆者のような外部の人間も暮らしていました。
この意味で、仮設住宅は被災地にとって、外部との接点になる場所だったと捉えることができます。時間の経過とともに山岸団地を訪れる支援者は減少していきましたが、山岸団地が閉鎖した現在でも継続している関係もあります。

■支援者と住民との関係は一方的な支援する/されるではない
仮設住宅を訪れる人々の目的は、被災者である住民を支援すること。けれども、行事・活動の後には支援者と住民がともに飲食する時間がもうけられたり、逆に、住民が支援者に料理を振る舞ったりすることも行われていました。夏祭りなどには、お世話になった支援者を招待することも行われました。山岸レディースクラブは毎年3月に末崎小学校を卒業する子どもたちに手作りのペン立てをプレゼントしてきました。山岸団地ではこのように一方的な支援する/されるという関係を越えた関係が生まれていました。
仮設住宅の住民を支援の対象と見なすなら、仮設住宅の閉鎖によって元住民は支援の対象ではなくなることになります。けれども、山岸団地が閉鎖された後にも継続されている関係があることは、一方的な支援する/されるという関係を越えた関係が生まれていることの1つの現れだと考えています。

■歴史が蓄積されている
山岸団地の集会所の壁には行事・活動の写真をはじめ、多くの写真が掲示され、集会所自体が山岸団地の歴史を伝えるアルバムと呼べる場所になっていました。これらの写真は、DVDにスライドショートして記録し、住民が退去する際に思い出としてプレゼントされていました。このようなかたちで、山岸団地では歴史を記録し、伝えていくことが大切にされてきました。山岸団地の閉鎖後に定期的に開かれている「同窓お茶っこ会」では、このスライドショーを一緒に見ることが恒例になっています。

■「仮の住まい」ではない
山岸団地の元住民は自らで「同窓お茶っこ会」を企画し、開き続けておられます。避難所から高台移転するまでの合間の「仮の住まい」として仮設住宅を捉えていたのでは、こうした集まりが継続されていることを理解することはできません。
仮設住宅からどのぐらいの人が高台移転したかは、復興の進捗を示す重要な指標とされます。もちろんこれは間違いではありません。そうだからと言って、仮設住宅の住民にとっては、仮設住宅での暮らしは避難所から高台移転する合間の空白ではないこと。震災が起こらなければ決して出会うことがなかった人との関わりを含めて、仮設住宅での暮らし自体が人生における歴史であり、たとえ物理的には仮設住宅が無くなっても、その歴史を大切にしている人がいるということ。山岸団地に暮らすことがなければ、仮設住宅についてこのような観点から考えることはなかったと思います。
もしかすると、仮設住宅というネーミングが適切でないのかもしれません。

山岸団地の略年表

2011年

  • 3月11日:東日本大震災。周辺の住民が末崎小学校に避難し、その後、末崎小学校が避難所となる
  • 4月8日:末崎町の大田仮設(第1期118戸)の建築着工
  • 4月11日:末崎町の山岸団地(58戸)、平林仮設(70戸)の建築着工
  • 5月6日:末崎町の小中井仮設(27戸)、大豆沢仮設(24戸)の建築着工
  • 5月11日:大田仮設(第2期16戸)の建築着工
  • 5月11日:山岸団地、平林仮設、大田仮設(第1期)が完成
  • 5月22日:山岸団地への入居が始まる
  • 6月8日:大田仮設(第2期)が完成
  • 6月13日:小中井仮設が完成
  • 6月16日:大豆沢仮設が完成
  • 9月1日:北上市の支援事業として応急仮設住宅支援事業が始まり、支援員の集会所への常駐が始まる。株式会社ジャパンクリエイトが受託し、支援員は株式会社ジャパンクリエイトの社員
  • 9月20日:山岸団地の広報『山岸団地だより』第1号が発行
  • 9月頃:NPO法人チャイルド・ファンド・ジャパンによるベンチ、集会所前の掲示板が設置
  • 9月頃:二重サッシ、玄関前出入口サッシ、舗装、畳(4.5畳)の設置工事が順次始まる
  • 9月頃:集会所にテレビ、冷蔵庫、台所用品等が設置
  • 9月頃:集会所に長座卓テーブル、座布団が設置
  • 10月29日:相談会にて山岸団地の自治会結成が決定
  • 10月頃:NPO法人チャイルド・ファンド・ジャパンが集会所風除室の資材を提供し、支援員が制作
  • 10月頃:小学校通学路(山岸団地出入口付近)にカーブミラーが設置
  • 11月27日:住民よる団地内朝清掃。以降、毎月1回行われる
  • 11月29日:末崎小学校5年生との「おいもパーティ交流会」
  • 11月頃:消化器が各住戸に設置
  • 11月頃:集会所にカラオケ機が設置
  • 12月12日:集会所に畳が敷設
  • 12月17日:山岸団地自治会の忘年会
  • 12月頃:NPO法人チャイルド・ファンド・ジャパンからベンチ10台が寄贈
  • 12月頃:マースジャパンリミテッドからクリスマスツリーが寄贈
  • 12月頃:単管パイプで布団干しを設置(1・6号棟脇の校門側、2・3号棟の間の通路)
  • 12月頃:大阪府と東京都の会社、兵庫県の個人、あわせて4ヵ所からイルミネーションが寄贈
  • 12月頃:支援員が、希望者に対して住戸内のトイレの棚を設置。風除室の棚、下駄箱などの設置希望者を募集
  • 12月頃:校門からの上がり坂に融雪剤を設置
  • 12月頃:竹ほうき、雪かきスコップを8・1号棟脇の外壁に設置
  • 12月31日:大晦日から元日にかけて集会所を開放(21時~1月1日7時)

2012年

  • 1月8日:山岸団地自治会の新年会
  • 1月頃:集会所トイレに暖房便座が設置(東京都の個人からの寄贈)
  • 1月頃:集会所に紙人形を展示(神奈川県の個人からの提供)
  • 1月頃:集会所の畳の上に絨毯を敷設(北上市の農家レストラン・さん食亭からの提供)
  • 2月29日:末崎地区の仮設住宅支援員のマネージャーが交代
  • 3月1日:この日から、防犯パトロール隊が月・水・金曜の20時に仮設住宅を巡回
  • 3月11日:イルミネーション(希望の光)を点灯
  • 3月頃:埼玉県桶川市社会副協議会より、集会所に掃除機が寄贈
  • 3月頃:集会所にスノーダンプ、一輪車が設置。NPO法人難民を助ける会(AAR Japan)の寄贈
  • 3月頃:雪かき15個(8・1号棟脇)、雪押し8個(3・6号棟脇)に設置。難民を助ける会の寄贈
  • 4月6日:山岸レディースクラブが作った手芸品(布ぞうり、ポーチなど)が東京都目黒区で販売(~4月8日)
  • 4月29日:山岸団地自治会のお花見
  • 4月頃:福岡県の個人から集会所にミシンが寄贈
  • 4月頃:集会所に折りたたみ式の卓球台が届く(一関市立猿沢中学校卓球部の寄贈)
  • 5月25日:大分県の御手洗造園から箱庭が寄贈、集会所前に設置
  • 5月30日:東京都の個人から臼・杵・餅米などが寄贈
  • 5月頃:常滑ロータリークラブから洗濯機が寄贈
  • 7月17日:末崎小学校3年生との交流会
  • 7月29日:「山岸団地・近隣地域夏まつり交流会」
  • 7月頃:山岸団地の入口にポストが設置
  • 10月6日:山岸団地自治会のいものこ汁・餅つき大会
  • 12月17日:支援員の退職に伴い、新しい支援員が着任
  • 12月23日:山岸団地自治会のクリスマスの集い・忘年会
  • 12月頃:NPO事業サポートセンターからパソコン2台が寄贈され、集会所に設置

2013年

  • 2月1日:支援員の退職に伴い、新しい支援員が着任。新しい支援員は、末小体育館の避難所でお世話をしていた男性
  • 2月日:防災集団促進事業「小細浦地区」の住宅敷地造成工事が始まる
  • 3月日:山岸レディーズクラブが末崎小学校6年生に手作りのペン立てをプレゼント
  • 4月2日:末崎地区サポートセンターが、末崎中学校前に移転してオープン
  • 4月9日:支援員が集会所で「いどばたカフェ」を始める。毎週火曜の10~15時にオープン
  • 4月:市役所への派遣職員の2人が空き住戸に入居
  • 5月1日:平日の9時から集会所前でラジオ体操を始める
  • 5月30日:山岸レディースクラブが鎌もち作り講習会を開催
  • 6月9日:山岸団地自治会の「山岸団地交流会」
  • 6月13日:居場所ハウスがオープン
  • 6月21日:一関市大東町猿沢の猿沢伝承交流館で「ひこばえ交流会」が開催
  • 6月日:防災集団促進事業「門之浜地区」の住宅敷地造成工事が始まる
  • 7月28日:「山岸団地・近隣地域夏まつり交流会」
  • 9月14日:クラフトマン世田谷による「キッズハウス」の制作
  • 9月28日:BRTの碁石海岸口駅が開業
  • 10月頃:北上市の農家レストラン・さん食亭からペタンクが寄贈
  • 11月頃:大阪府の個人から雛人形が寄贈。この雛人形は現在、居場所ハウスで展示
  • 12月10日:末崎小学校6年生との餅つき
  • 12月21日:山岸団地自治会の忘年会
  • 12月30日:山岸団地自治会の餅つき

2014年

  • 1月日:防災集団促進事業「小細浦地区」の住宅建築が始まる
  • 2月25日:この日で集会所での「いどばたカフェ」が終了
  • 3月1日:山岸団地自治会の「山岸団地ひな祭り交流会」
  • 3月7日:山岸レディーズクラブが末崎小学校6年生に手作りのペン立てをプレゼント
  • 3月日:防災集団促進事業「小河原地区①」「小河原地区②」の住宅敷地造成工事が始まる
  • 4月日:防災集団促進事業「門之浜地区」の住宅建築が始まる
  • 5月18日:山岸団地自治会の花見
  • 5月日:11戸の災害公営住宅(市営住宅)への入居開始
  • 7月11日:末崎小学校3年生との交流会
  • 7月20日:山岸団地で、末崎仮設4団地(山岸・大田・平林・小中井)合同の「夏まつり交流会」が開催
  • 9月13日:山岸団地自治会の「日帰り三鉄レトロ列車の旅」
  • 11月2日:平林仮設で末崎仮設5団地合同の「日赤字岡山県支部との交流会」開催
  • 11月日:大船渡市が「応急仮設住宅の撤去・集約化計画」を策定
  • 11月日:防災集団促進事業「小河原地区②」の住宅建築が始まる
  • 12月7日:山岸団地自治会の忘年会

2015年

  • 3月31日:北上市の支援事業として行われてきた応急仮設住宅支援事業が終了
  • 4月1日:新たに設立された大船渡市応急仮設住宅支援協議会が北上市から事業を引き継ぐ
  • 5月8日:山岸団地が大船渡警察署から「平成27年鍵かけモデル地区」の指定を受ける
  • 5月25日:『山岸団地だより』の最終号となる第45号が発行
  • 6月25日:今月から仮設住宅の広報は、末崎町の5仮設住宅合同の『末崎地区仮設団地だより』第46号として発行
  • 7月19日:平林仮設で末崎仮設5団地合同の「夏まつり交流会」
  • 7月日:防災集団促進事業「小河原地区①」の住宅建築が始まる
  • 9月日:仮設住宅支援員が災害公営住宅への巡回を始める
  • 10月11日:平林仮設で末崎仮設5団地合同の「日赤字岡山県支部との交流会」開催
  • 12月3日:集会所で「応急仮設住宅「撤去・集約化」に関する説明会」が開催
  • 12月28日:山岸団地自治会の餅つき

2016年

  • 4月25日:『末崎地区仮設団地だより』の最終号となる第56号が発行。以降、『大田仮設団地だより』のみの発行となる
  • 6月1日:55戸の災害公営住宅「平南アパート」への入居開始
  • 6月30日:山岸団地、平林仮設が閉鎖
  • 7月10日:山岸団地の元住民が、ヨーガセラピーの講師との食事会を居場所ハウスで開催
  • 8月25日:『大田仮設団地だより』の最終号となる第60号が発行
  • 11月21日:末崎小学校の校庭の復旧工事が完了し、校庭としての利用が再開
  • 12月6日:末崎小学校校庭にて、「おかえりなさい校庭」の会が開催
  • 12月15日:末崎中学校校庭にて、校庭利用再開式が開催
  • 12月31日:小中井仮設が閉鎖

2017年

  • 2月12日:居場所ハウスで「山岸団地の同窓お茶っこ会」開催。以降、2020年2月17日までに7回開催
  • 3月31日:大田仮設が閉鎖
  • 3月31日:末崎地区サポートセンターが閉鎖
  • 5月5日:防災集団移転促進事業の17戸、一戸建て災害公営住宅6戸が整備された「りあすの丘」の街びらき式
  • 5月17日:末崎中学校校庭で、震災後初めての運動会が開催
  • 5月20日:末崎小学校校庭で、震災後初めての運動会「こいのぼり大運動会」が開催

2018年

  • 3月31日:末崎町で最後となる大豆沢仮設が閉鎖

2019年

  • 3月29日:大船渡市応急仮設住宅支援協議会が解散
  • 5月末:大船渡市で最後の仮設住宅となる猪川町の長洞団地が閉鎖

  • 1)以下は、2015年2月11日に「世界青年の船」のメンバーが山岸団地を訪問した際の、山岸団地の支援員の話より。
  • 2)2014年3月10日のフィールドノートより。
  • 3)岩手県「応急仮設住宅の建設に係る進捗状況について」のページに掲載の資料「応急仮設住宅着工団地一覧」には、集会所は「1団地あたり50戸以上の団地に設置することを基本としています(市町村の意向により、近隣の公民館等を利用することにより設置しない団地や、談話室としている団地があります)」と説明されている。一方、談話室は「市町村の意向により設置しています」と説明されている。
  • 4)行事・活動は『山岸団地だより』第1~45号、『末崎地区仮設団地だより』第46~56号、「大船渡仮設住宅団地Official Site」に掲載の山岸仮設のカレンダー(2011年9月~2015年3月)からリストアップした。ただし、これらに記載されていない行事・活動もあると思われる。また、山岸団地への入居から2011年9月までの期間にも多くの行事・活動が行われていたと思われる。なお、行事・活動がない時間帯でも集会所への出入りはあったため、ここで見るのは、あらかじめ時間を決めて実施された行事・活動ということになる。なお、集会所前でのラジオ体操はカウントしていない。
  • 5)開催回数5回以上の主催者は、大船渡市社会福祉協議会、ヨーガ療法学会に加えて、3.11いわて教会ネットワーク、カリタス・ジャパン、大根コン・プロジェクト、東北癒し隊、カメちゃんコーヒー、大船渡郵便局(郵便訪問サービスを実施)、岩手労働局(就職支援相談会を実施)、県庁健康国保課(健康相談を実施)を確認することができる。
  • 6)仮設住宅における行事・活動は生活支援であり、交流という側面をもっている。また、音楽の演奏会や体操の合間や終了後に一緒にお茶を飲む時間がもうけられることも多い。従って厳密に分類するのは難しいが、ここでは6つに分類している。
  • 7)2014年12月7日〜2016年3月20日まで開かれていたヨーガセラピー、2014年10月4日の北上市とのボランティアサークル・つばさとの交流会、2017年7月16日のアジアン・トリニティーと大根コンプロジェクトによるコンサートなどがある。
  • 8)開催時には、次回は2020年9月に開催することが計画されていたが、新型コロナウイルス感染症のため現時点では8回目は開催されていない