『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

千里ニュータウン再開発の光景@新千里東町こぼれび通り(2023年7月)

千里ニュータウン計画において重視されたことの1つに歩車分離があります。歩車分離とは、安全に歩くことができるように、歩行者が通る道と自動車が通る道を分けること。

特に後半に開発された住区(新千里北町以降に開発された、豊中市域4住区と吹田市域の竹見台・桃山台)では、近隣センター、小中学校、公園などの住区内の主な場所をつなぐような歩行者専用道路がめぐっています。大阪府が1970年に刊行した資料には、次のように紹介されています。

「40年度のI住区(新千里北町)は、高低差の激しい地区であったが、原地形の持つ味わいを生かして部分的に原野を残し、また隣接の池を含む公園との調和もはかっている。I住区からは住区内の歩路の確保が実際に行なわれ、配置計画はそれに即応した。J住区(新千里東町)は中央地区でもあり、かつ高密度な住宅配置が要求される地区でもあるため街廊形成を主眼とした市街地的景観が意図された。またJ住区では、電線を全部地下に配し、電柱をたてていない。
41年度はD、E住区(桃山台、竹見台)にまたがって計画され両住区の中央に集約化された近隣センターに対応したスーパーブロック造り(住区内歩路はますます性格がはっきりとした)に即応した配置を行なった。またD、E住区の建設に際しては外装の色彩調節を行ない成果をあげた。
42、43年度はL住区(新千里南町)が御堂筋線に接していることから景観を充分考慮に入れた配置を行なった。」(大阪府, 1970)

歩行者専用道路を提案したランドスケープデザイナーの話によると、当時、日本には歩行者専用道路というものが存在しなかったとのこと。
この話をふまえれば、千里ニュータウンは日本における歩行者専用道路の発祥の地ということになります。このような歩行者専用道路は、後に開発されるニュータウンでも採用されていきます。

新千里北町では、住区をめぐる歩行者専用道路が計画されましたが、千里中央地区との間には横断歩道があるのに対して、次に開発された新千里東町では、千里中央地区との間にも橋(長谷北橋、長谷南橋)がかけられ、千里中央地区から全く自動車にあわずに移動することができるようになっています。

新千里東町では、次のように「コ」の字型に歩行者専用道路が通っています*1)。

  • 千里中央地区から長谷北橋、紅葉橋、東丘小学校と第八中学校の間を通って、近隣センター(旧近隣センター)にいたる「もみじ橋通り」
  • 千里中央地区から長谷南橋、千里東町公園とUR新千里東町団地(UR千里グリーンヒルズ東町)の間、安場橋を通って、千里中央公園にいたる「こぼれび通り」
  • 「こぼれび通り」から、あかしや橋、東丘小学校の東、近隣センター(旧近隣センター)の西、第八中学校の東、かしのき橋を通って、新千里北町に続く歩行者専用道路

このうち、「こぼれび通り」は、道の両側の植栽帯が特徴ですが、土地の用途としては両側の植栽帯も道路。つまり、道路の中に植栽帯がもうけられていることになります。後に開発されたニュータウンでは、「こぼれび通り」を発展させ、より幅の広い緑道がもうけられており、「こぼれび通り」は日本における緑道のモデルと言えます。

緩やかにカーブを描いて走る「こぼれび通り」は、木々が大きく育ち、歩いていて非常に気持ちのいい道。所々にベンチももうけられています。植栽帯のアジサイは、住民グループの手によるもの。

市民公募によって名付けられた「こぼれび通り」の名称は、このような環境が反映されたものです。

「道路愛称名の由来
市では市良の皆さんに愛着を感じ関心を深めていただこうと、市民公募で決めた愛称をつけています。
「千里小道・こぼれび通り」は、平成5年に決定しました。
愛称を決める検討会では、「木漏れ日」が正しいのではないかとの意見もありましたが、「大陽のひかりが木々やまわりの建物に反射して、こぼれんばかりにキラキラしているこの道のようすをよく言い表している。」との意見があり、そのまま採用しました。
光あふれるのどかな小道です。
散策やくつろぎの場としてお楽しみください。」
※「こぼれび通り」に設置された看板より

現在、「こぼれび通り」は、「URの建替え事業に合わせて無電柱化と道路整備に取り組み、安心・安全で快適な通行空間の確保及び良好な都市景観の形成」を図るための整備事業が進められています*2)。現在、千里阪急ホテルの北東付近から、東丘こども園の南西付近までの区間の工事が行われています。

「こぼれび通り」の整備では、幅が広げられ、倒木の恐れのある樹木の植え替えが行われるということのようです。


■注

■参考文献