「本来の」という言葉
岩手県大船渡市の「居場所ハウス」」で次のような出来事がありました。
「居場所ハウス」に、5歳の子どもから90代の方まで幅広い年代の方が訪れた日のエピソードです。和室のコタツでは若者2人がコーヒーを飲みながら話。本棚の前では、子どもと、付き添いで来られた祖母。土間では、スタッフが打ち合わせ。薪ストーブの周りでは、90代と80代の方が座っていました。
このような光景を目にして、「これが本来の『居場所』、多世代交流っていう感じだなぁ」とスタッフ。
「『居場所ハウス』で色々な人が過ごしていたので、『今日はいい感じだね』と○○さんが言う。『これが本来の『居場所』、多世代交流っていう感じだなぁ。四世代だよ』と○○さん。」(※2014年1月17日のフィールドノーツより)
「居場所ハウス」での何気ないエピソードですが、ここで注目したいのは、「本来の」という言葉です。ある状況を見た時に、なぜ、これが「本来の」ものだと言えるのか。
「本来の」という言葉は、この場所が何を目指しているのかという運営の理念と照らし合わせたものになっていると考えることができるように思います。理念が、運営において実現されていると思える具体的な状況を目にした時に、「本来の」という言葉が出てくるのではないか。
「居場所ハウス」を住民でどうやって運営していくかを議論している時に、「こういう話をするのがいいんだ。これが本来の『居場所』なんだ」(※2016年2月1日のフィールドノーツより)と話された方もいました。
「本来」という言葉は、理念が実現された状況において出てくる。こう考えると、「本来」という言葉を聞くことで、その場所がどのような理念を掲げて運営されているかを伺えることになります。
近年、コミュニティカフェ、地域の茶の間、宅老所、こども食堂などの居場所(まちの居場所)と呼ばれる場所が開かれてきました。居場所の運営のあり方は様々ですが、従来の施設(制度:Institution)ではない場所として開かれてきたという特徴があります(日本建築学会, 2019)。
居場所と施設の違いについては、人々の要求と機能の関係が逆になっていると捉えてきました*1)。
- 居場所:機能は、要求への対応を通して事後的に備わる
- 施設:機能は、要求に先行してあらかじめ設定される
施設の機能は、専門家が人々の要求を先取りすることで、あらかじめ設定される。それに対して、居場所の機能は、一人ひとりの要求への対応を通して事後的に備わっていく。それでは、居場所において、一人ひとりの要求にどのようなかたちで対応されるのか。それが、理念を実現するようなかたちで対応される、ということだと考えています。
居場所の理念は、運営が始まった時点では、具体的な出来事を伴わない言葉として示されているもの。そして、運営が始まってから、理念が実現された具体例が生み出されていく。それゆえ、運営を継続すればするほど、具体例は増えていき、理念を具体的な中身を伴った豊かなものとして語ることができるようになっていく。
「本来の」という言葉は、理念が実現された具体例とともに使われるもので、それを聞いた人に、どのような理念を掲げているかを共有するという役割があると考えることができます。
「いいね」という声かけ
居場所の機能は、施設のようにあらかじめ設定されるわけではありません。細かなルールもありません*2)。つまり、明確な計画のない場所だと言えます。
当初から理念が掲げられていることで、運営において生じた状況を「本来の」ものだと言えるわけですが、明確な計画のない居場所は、どのようにして理念を実現していくことができるのか。この点について、日々における人々のやり取りが、理念を実現する方向に導いていくものになっていること、その1つとして、「いいね」という声かけがあると、現時点では考えています。
「いいね」という声かけも、「本来の」という言葉と同じように、理念が実現された状況に対しても使うことができますが、「いいね」には変化をもたらすという側面があります。
東京都江戸川区に、「親と子の談話室・とぽす」という場所があります。Sさんが個人で開き、運営を続けてきた場所ですが、「親と子の談話室・とぽす」を開くようになった経緯を、Sさんは次のように話されています。
「だから、桜の木がなかったらここにつくらなかったかもしれないし、父親がまだまだ元気でいたら、これも生まれなかったかもしれないし、何かそういう、私の理性や意志では考えられないような色んなことが、こうないまぜになってこれができたんですね。しかも、そういう気持ちが出た時にすぐ人に話すんですよ、心の中に閉まっておれないたちで。まず夫に話したんですね。そしたら夫は、『いいね、それはいいね』って、お金のことは何も言わないんですよ。『いいね』って言って。」(※2005年2月19日の発言)
「〔知り合いに〕『こんなことやるのよ』って言ったら、『それはいいね、早くつくってね』って言われて。そう言われちゃうと自分も夢が膨らんじゃう。」(※2005年2月19日の発言)
「私がまだやるかやらないかまだ決めていないうちにですね、〔友だちの設計士が〕設計図を描いてまいりました。・・・・・・、そういう私の夢のような話を、『あぁそうだね、そういう場所があったらばいいね、いいね、いいね』と、すごく私の気持ちを汲み取ってくださいまして、設計図を描いて来たのです。私と夫は、『あぁ、もう設計図ができてきちゃったよ。これじゃやらなきゃいけないかな』っていう気持ちになっちゃったというのが事実なんですね。」(※2005年9月1日の発言)
「親と子の談話室・とぽす」が開かれた背景には、このように何人もの人からの「いいね」という言葉があります。絵手紙教室を始めた経緯を、Sさんは次のように話されています。
「絵手紙っていう、その言葉を私はその頃聞いたんですよ。・・・・・・、〔絵手紙を〕見せていただいた時に、ちょうど『とぽす』が建ちあがった時だから。見せていただいた時に、『あぁ、こういう絵ならば合うのかな』と思って、それで譲っていただいたんです。全部で5枚ぐらい譲っていただいたのかな。で、こう飾っておいたの。・・・・・・。来るお客さんたちがね『これいいね』って言ってくれて、『習いたいなぁ』って言ったんですよ。それで、『じゃあ絵手紙を描く? 1回ここで、○○さん呼んで、それで、絵手紙を描く会やろうか?』って、それが始まりね。」(※2007年7月24日の発言)
場所の運営について、Sさんは次のように話されています。
「『響きの会』も、『絵手紙教室』も、『花の絵展』も、『とぽす仲間展』も何も構想はなかったんです。出会ったお客様から、『こんなことが、こういうのがあったらいいな』っていう。何て言うかヒントではないんだね、『私がやりたい』っていう、その人の出会いによって『やりたい』っていう気持ちが湧いて、一人で企画してやってるのね」(※2007年7月24日の発言)
「親と子の談話室・とぽす」では、出会いによって、Sさんに湧いてきた「『やりたい』っていう気持ち」がきっかけとなり、様々な集まりが開かれるようになっていますが、「いいね」という言葉は、「『やりたい』っていう気持ち」を起こさせるものになっていると考えることができます。
「いいね」という声かけには、ある方向性を生み出す力がある。そうすると、次のように考えることができます。
居場所の運営においては様々な状況が生まれます。その中には、理念が実現しそうに思える状況がある。そうした状況を見かけた時に、「いいね」と声かけすることによって、その状況を、理念を実現していく方向に導くことができるのではないか。同時に、「いいね」という言葉を耳にした人には、どのような理念を掲げているかを共有することもできる。「いいね」という声かけには、居場所の理念の実現に関して、このような意味があると考えることができます。
「未来を思い出す」こと
最近、ヤーコ・セイックラ氏と、トム・アーンキル氏による『開かれた対話と未来:今この瞬間に他者を思いやる』(医学書院, 2019)を読んで、「未来語りダイアローグ」(Anticipation / Future Dialogue)のことを知りました。
未来語りダイアローグとは、トム・アーンキルによって開発された「未来をツールにして日常生活を支援する」という対話の手法で、「ぜんぶうまくいった」という「未来を思い出す」ことから、現在へとアプローチがとられます。具体的には、未来語りダイアローグのセッションは、「(1)「うまくいった未来」という視点からインタビューされる段階と、(2)現在の計画をうまく要約する段階」の2つの段階によって構成されます*3)。
「未来語りダイアローグの目的は、実現しそうな希望を強化することにあります。しかし、実際に誰が何をするのか、あるいは誰が何をしてもかまわないのか、このあたりをあいまいにしたままミーティングが終わるようでは、その目的は達成できません。残念なことに多職種がかかわる作業では、しばしばそんな状況に陥りがちです。
考えや行動が袋小路に陥っているとき、思考可能な未来について考えることは、大きな前進となります。不安の影が差している場面で、前向きな変化の可能性を見出すには、手応えのある具体性が第一です。だからファシリテーターは『ぜんぶうまくいったとしたら、何がいちばんうれしいですか?』などと問うてはいけません。温かく、しかしきっぱりと尋ねましょう。
『時が経ち、すべて順調になりました。何がいちばんうれしいですか?』と。」「『未来を思い出すこと』は、通常のコミュニケーションとは少しばかり異なります。それは一種のファンタジーです。未来をツールとして用いると、大いなる創造性がもたらされます。参加者はよく、その状況について軽口を言いたがりますし、『未来を思い出す』などというとまるでゲームのようですが、もちろんこれは遊びではありません。それは、以下のことを可能にするインタビューの手法なのです。
すなわち、今まさに感じている心配事を位置づけ、よりよい状況への希望をいだき、互いに助け合いたいと心から望むこと、です。
それぞれのことが、まさに対話がただちに希望をもたらす形で実現します。すでに述べたように、心配事を明確に位置づけることもまた、現実的な希望を生み出すうえでは不可欠です。心配事と、それを減らすための要因をしっかりと位置づけられなければ、その心配が本当に解決できそうだという気持ちにはなれないままでしょう。」(ヤーコ・セイックラ, トム・アーンキル, 2019)
未来語りダイアローグそのものからは逸れてしまいますが、居場所の理念について次のようなことを考えました。
何度も繰り返してきたように、居場所においては理念が大きな意味を持ちます。居場所の理念は、運営が始まった時点では、具体的な出来事を伴わない言葉であり、運営が始まった後に、理念が実現された具体例が生み出されていく。それゆえ、運営を継続すればするほど、具体例は増えていき、理念を具体例を伴った豊かなものとして語ることができるようになっていく。
運営において理念が実現しそうに思える状況において「いいね」と声かけすることで、その状況を理念を実現していく方向に導くことができる。また、理念が実現した状況において「いいね」、「本来の」と言うことで、それを聞いた人に、その場所がどのような理念を掲げているかを共有することができる。
ただし、「いいね」、「本来の」という言葉は、運営において生じた出来事に伴う、あるいは、遅れたものであり、まだ出来事が生じていない今の時点では使えない。それでは、今、理念を実現するために意識的にできることはないのか。
その1つとして、「ぜんぶうまくいった」という「未来を思い出す」という手法に可能性があるように思いました。つまり、理念が実現された未来を描き、その視点から「誰が、誰と、何を行うか」という「具体的な計画」を詰めていく。これによって、今の時点で、運営を理念を実現する方向に導くための「具体的な計画」を詰めることができる。
このような手法が取り入れられている居場所があるかどうかはわかりませんが、居場所の理念を実現するために、今の時点で、何ができるかを考えるうえで、重要な視点だと思います。
「本来の」、「いいね」、「未来を思い出す」
ここまでで見てきた「本来の」という言葉、「いいね」という声かけ、「未来を思い出す」ことの違いに注目して整理すると、次のようになります。
- 「ぜんぶうまくいった」という「未来を思い出す」:今の時点で、理念を実現する方向へ導くもの
- 「いいね」という声かけ:理念が実現しそうに思える状況を、理念を実現する方向へ導くもの
- 「本来の」という言葉:理念が実現された状況に対して使われるもの
これらによって、居場所の理念は、具体例を伴った豊かなものとして語ることができるようになっていく。
これまで、居場所はどのようにして計画できるのかという議論がされてきました。この点について、「ぜんぶうまくいった」という「未来を思い出す」ことには、「さまざまな思いの余地」が生まれるという指摘が注目されます。
「創造的な対話空間を生み出すには、人を『そうせざるをえない状況』に追い込んではいけません。他の人が〔未来の視点から〕『思い出した』から、という体が必要で、無理に選ばされたと感じないような配慮が求められます。
このようにして生み出された『語り』(ナラティヴ)は、必ずしも統一された形である必要はありません。むしろ『思い出す』という形式ゆえに、さまざまな思いの余地が生まれます。」(ヤーコ・セイックラ, トム・アーンキル, 2019)
「ぜんぶうまくいった」という「未来を思い出す」という視点から詰められた「具体的な計画」は、誰かがあらかじめ決めた計画でなく、あくまでも、人々が思い出したものである。つまり、ここでは計画が、過去に立てられ現在を縛るものから、未来に実現した理念から思い出されたものになっている。
居場所はどのようにして計画できるのかという議論においては、計画というものの意味もまた問い直されることになると考えています。
■注
- 1)この点については、こちらの記事を参照。
- 2)日本建築学会(2019)では、「『まちの居場所』のアイデアガイド」の1つとして、「ルールで縛らない」ことがあげられている。
- 3)斎藤環は「日本語版解説」において、未来語りダイアローグについて次のように説明している。「ごく簡単にいえば、望ましい状況が達成された未来の視点に立って、そこから過去(=現在)を振り返り、誰のどんな協力が現在(=未来)の望ましい状況を達成させてくれたかを“思い出して”いく、というものです。ブリーフセラピーなどで用いられる「ミラクルク「エスチョン」を連想する人もいるでしょう」(ヤーコ・セイックラ, トム・アーンキル, 2019)。
■参考文献
- セイックラ、ヤーコ, アーンキル、トム(斎藤環監訳)(2019)『開かれた対話と未来:今この瞬間に他者を思いやる』医学書院
- 田中康裕(2021)『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』水曜社
- 日本建築学会編(2019)『まちの居場所:ささえる/まもる/そだてる/つなぐ』鹿島出版会

















