『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

居場所と施設:非施設としての居場所の可能性

ダチケンゼミ編『足立孝先生生誕百周年記念論文集:人間・環境系からみる建築計画研究』(デザインエッグ社 2019年)に、「居場所と施設:非施設としての居場所の可能性」という文章を寄稿させていただきました。同じ大学研究室を出身された先生方と一緒に執筆した書籍です。

居場所は、施設ではない場所とされていますが、それでは居場所と施設を分けるものは何かについて考察したものです。
この考察は、次の3つが背景となっています。

1点目は、居場所の運営に携わり続けてきた方から伺った言葉。
居場所が各地に同時多発的に開かれるようになってきたのは2000年頃ですが、近年では高齢社会への対応として、介護予防や認知症予防の機能を担う場所として注目されるようになっています。しかし、居場所の運営に携わり続けてきた方から、次のような言葉を聞きました。

「今どこに行っても、立ちあげの目的は介護予防・健康寿命延伸のためと紹介されます。結果そうであることを願いますが、・・・・・・、参加される全ての方にとって日々の生きる喜びや楽しみ、自己実現の場であり、結果、地域に生きる安心につながることを願っています。そのために必要なことをプラスしながらやっていけたらと思っています。」

この言葉は、居場所が「介護予防・健康寿命延伸」のための場所として取り上げられる状況に対する問題提起だと捉えることができます。もちろん、「介護予防・健康寿命延伸」の機能を担うことが否定されているわけではありませんが、これらは結果としてそうなるものと捉えられています。

2点目は、居場所をモデルとする制度が生まれている状況。
宅老所をモデルとする小規模多機能ホーム、コミュニティカフェや地域の茶の間などをモデルとする通いの場というように、居場所が制度のモデルにされてきたという流れがある。
けれども忘れてはならないのは、居場所とは既存の制度・施設(=Institution)の枠組みで上手く対応できない課題に向き合うために開かれるようになった場所であり、制度の外側の場所という性格を持つこと。制度・施設の外側の場所であるにも関わらず、それは制度のモデルにもなり得るということ。こうした状況をどう捉えればよいのかという問題意識も背景となっています。

3点目は、居場所が制度のモデルにされるプロセスにおける研究者の関与。
研究者は先進事例として、いくつもの居場所を対象とした調査を行ってきました。それでは、居場所の調査を通して得られた知見はどのように活かされてきたのか。もしも、調査から得られた知見が、居場所の制度化のために利用されているとすれば、研究者は制度の外側の場所としての居場所が大切にしているものに対して、きちんと向き合ってきたのかという疑問が湧いてきます。


これら3点を背景として、既往研究、及び、これまで調査したり、運営に携わったりしてきた5つの居場所のことを改めて振り返り、考察を進めました。

  • 子どもだけでも入れる喫茶店として開かれた東京都江戸川区の「親と子の談話室・とぽす」(1987年~)
  • 大阪府の「ふれあいリビング」整備事業の第一号として開かれた「下新庄さくら園」(2000年〜)
  • 大阪府千里ニュータウンで空き店舗を活用して開かれた「ひがしまち街角広場」(2001年~)
  • 東日本大震災の被災地である岩手県大船渡市に開かれた「ハネウェル居場所ハウス」(2013年~)
  • 新潟市の「地域包括ケア推進モデルハウス」の最初の場所として開かれた「実家の茶の間・紫竹」(2014年~)

仮説として示したのは、居場所と施設では機能の位置づけが異なっていることです。

居場所においては、機能は人々の要求に対応することで事後的に発生してくるのに対して、施設においては、機能があらかじめ担うべきものとして定められてしまう。居場所が担う機能の一部を抽出し、それをあらかじめ設定することが制度化のプロセスだと捉えることができるということです。そしてこのことは、担う機能の中身だけを見ていては、居場所と施設とは明確に区別されないということでもあります。
それでは、人々の要求に対応することで事後的に機能が発生するとはどういう状態なのかを、5つの居場所を例に挙げて説明しました。

さらに、居場所と施設では、機能をめぐる反転により、人の関わり方が変わっていることも考察しました。施設では、あらかじめ機能が定められることで、人々の関わり方が、機能を実現するためのプログラムやサービスの参加者、利用者に限定される。施設では「利用者さん」という言葉が日常的に使われますが、居場所では「利用者さん」という言葉は(ほとんど)使われないことが思い起こされます。
これに対して、居場所は人々の要求に対応する場所。そのために大切にされているのは「居られる」ことの実現であり、それは他者と居合わせることができる、当事者になれるというかたちで実現されている。これを実現するために、居場所では数多くのことが配慮されていることを紹介しました。

この考察は、制度や施設の批判ではありません。そうではなく、居場所とは制度の外側の場所という性格を持つという原点に立ち返り、その可能性を描くことを意図したもの。居場所の現場で大切にされていることを少しでも描くことができていればと思います。


建築学というとハードとしての建物を作るための学問だというイメージで受け取られるかもしれませんが、その背景には人間への眼差しがあるということが伝わる論文集だと思います。他の先生方の論考も興味深い内容ですので、よろしければご覧ください。

『足立孝先生生誕百周年記念論文集:〜人間・環境系からみる建築計画研究〜』

はじめに

第一部:発祥
第1章:足立孝の初期研究に関する一考察(舟橋國男)
付録1:足立孝略歴
付録2:足立孝初期研究
付録3:足立孝博士論文 第一章 序説〈復刻〉

第二部:展開
第2章:建築計画の前提の再検討:人間・環境系モデルを中心に(鈴木毅)
第3章:「つくる/つかう」から考える人間・環境系のデザイン(小林健治)
第4章:居場所と施設:非施設としての居場所の可能性(田中康裕)
第5章:空間を『場所化』する行動から建築の計画・設計を考える:子どもと母親の生活環境に関する考察を通して(林田大作)
第6章:自閉症児者の人間・環境系(松原茂樹)
第7章:中国における環境移行の事例からみた人間・環境の関係(李斌)
第8章:コミュニテイ移転は計画できるのか:災害、開発、そして気候変動(森傑)
第9章:都市・建築における色彩(亀谷義浩)
第10章:ミースの人間観、ミースという人間(佐野潤一)

索引
おわりに
著者略歴