『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

シンガポールで見かけた千里ニュータウンでの工事現場仮囲いと「大きな本」に似た展示

千里ニュータウン研究・情報センター(ディスカバー千里)は、千里ニュータウンの歴史や魅力を記録し、共有する活動を続けています。そのために、歴史や魅力を室内のパネルに展示するだけでなく、次のような試みを行ってきました。

1つは、「ひがしまちって『どんな』まち?展」。千里ニュータウンのまち開き60周にあたる2022年から、千里ニュータウン研究・情報センター、UR都市機構西日本支社、近畿大学建築学部鈴木毅研究室との共同で行っているもので、UR新千里東町団地(千里グリーンヒルズ東町)の工事現場の仮囲いをキャンバスと見立てて、新千里東町の歴史を展示しています*1)。

(ひがしまちって『どんな』まち?展)

もう1つは、「大きな本」という、ページが縦1.8m × 横1.26mのサイズの本。2011年、新千里東町の東丘小学校児童の父親たちの集まりである東丘ダディーズクラブの主催で行われた、「いにしえ街歩き東町昔遊びツアー

(大きな本)

このように、千里ニュータウン研究・情報センターでは、千里ニュータウンの歴史や魅力を室内のパネルに展示するだけでない試みを行ってきましたが、少し前、シンガポールの団地を歩いている時に、偶然、工事現場仮囲いの展示と「大きな本」に似た展示を見かけました。
シンガポールでは国民の約8割がHDB(Housing and Development Board:住宅開発庁)が建設する住宅に住んでいます。いずれも、HDBが開発する街で見かけたものです。

イーシュン(Yishun)

イーシュン(Yishun)は、シンガポールの北部に位置。1970年代半ばからHDBによる開発が始まり、1981年に最初のHDBのプロジェクトが完成した街です*2)。

工事現場仮囲いの展示を見かけたのは、チョン・パン・シティ(Chong Pang City)という、イーシュンで最初の近隣センター(neighbourhood centre)として開かれた場所です。

「1980年代後半まで、チョン・パン(Chong Pang)という名前は、現在のセンバワン・ニュータウン(Sembawang New Town)内にある村を指していました。1989年、チョン・パンの住民は移住。過去とのつながりとして、1984年に建設されたイーシュン・ニュータウン(Yishun New Town)の最初の近隣センターは、1990年代半ばに、チョンパン・シティ(Chong Pang City)と名付けられました。現在、多くの住民はイーシュン・アベニュー5沿いにあるチョン・パン・シティとその周辺を、チョン・パンと呼んでいます。」

「近隣センター(neighbourhood centres)はビジネスチャンスも作り出していました。例えば、イーシュンの最初の近隣センター(neighbourhood centre)であるチョン・パン・シティ(Chong Pang City)の店舗のほとんどは、ニー・スーン(Nee Soon)やセンバワンの元住民が経営していました。」
ヘリテージ・ガーデン@イーシュン(Heritage Garden@Yishun)の展示パネルの一部を翻訳。

現在、チョン・パン・シティの南東にあるコミュニティ・クラブの建物と、HDBの102号棟を取り壊し、複合施設を建設する再開発が進められています*3)。この工事現場の仮囲いでは、仮囲いをキャンバスに見立てたヘリテージ・ストリート・ギャラリーが開催されています。

東西南北、4方向の工事現場仮囲いのうち、南側(イーシュン・アベニュー5に面した側)の仮囲いでは、「ルーツを祝う:チェー・ケイ村の暮らし」(CELEBRATING OUR ROOTS: Life in Chye Kay Village)と題して、イーシュンが開発される前にあったチェー・ケイ村の暮らしを描いたアーティスト(Sunny Ng氏)のイラスト17枚と、チョン・パン・シティを撮影した写真家(Darren Soh氏)の写真22枚が展示されています。

「ルーツを祝う:チェー・ケイ村の暮らし
・・・(略)・・・
多くの人々にとって、変化は困難を伴うものです。実際、ニー・スーン(Nee Soon)は前世紀に大きな変化を経験ました。けれども、変化にも関わらず、ニー・スーンのコミュニティ精神は歴史を通して生き続けています。気軽に助け合うという精神です。
これらのイラストは、HDBの住宅やショッピングモールができる前の時代を思い起こさせてくれます。ニー・スーン・タウン(Nee Soon Town)に変化する前の、チェー・ケイ村のような村(kampongs and village)での暮らしを描いています。
1800年代半ば以降、チェー・ケイ村にはガンビールと胡椒のプランテーションが作られました。その後、パイナップルとゴムのプランテーションで有名になりました。1960年代には、シンガポールで最も重要な熱帯魚の養殖場の1つとななりました。政府がこの地域を開発し、井戸が水道の蛇口に変わりました。チェー・ケイ村の人々は時代に適応していきました。
強いコミュニティの絆と回復力のある(resilient)人々が、チェー・ケイ村の根幹であり、これらは、今日でもチョン・パンとニー・スーンの住民の間に紛れもなく受け継がれています。
時代が変わっても、変わらないものがあります。」
※チョン・パン・シティ再開発の工事現場仮囲いの展示の翻訳。

北側(チョン・パン・シティに面した側)の仮囲いでは、「チョン・パン・シティの鼓動」(PULSE OF CHONG PANG CITY)として、イシュンの学校に通う49人の子どもたちが、チョン・パン・シティの様子や思い出を描いたイラストが展示されています。

工事現場の仮囲いをキャンパスと見立てて、街の歴史を伝えるという試みは、「ひがしまちって『どんな』まち?展」と共通しており興味深いと感じました。

なお、東側(イーシュン・リング・ロードに面した側)、西側(チョン・パン・シティに面した側)の仮囲いには、再開発で完成する複合施設や、チョン・パン・シティで営業する店舗の案内などが掲示されています。

ブキ・パンジャン(Bukit Panjang)

ブキ・パンジャン(Bukit Panjang)はシンガポール西部に位置、1986年、HDB(住宅開発庁)による最初のプロジェクトが完成した街です*4)。

「大きな本」のような展示を見かけたのは、HDBブキ・パンジャン259号棟のヴォイド・デッキ(Void Deck)。259号棟はブキ・パンジャン近隣センター(Bukit Panjang Neighbourhood Centre)の一画に位置する住棟で、周りに店舗や飲食店があるためヴォイド・デッキは多くの人が行き来しています。テーブルに座って、将棋のようなボードゲームをしている男性も見かけます。

259号棟は、ライブリー・プレイス・プログラムによって外壁やヴォイド・デッキの柱に蝶や花、自然の風景などのミューラルが描かれていますが、ヴォイド・デッキで「大きな本」のような展示があるのを見かけました。

写真のように、正確には「本」でなく、厚みのあるパネルを十字形に組み合わせたものですが、パッと見たときに「大きな本」のように見えました。

展示されている内容は、この地域を管轄するホーランド-ブキ・パンジャン・タウン・カウンシル(Holland-Bukit Panjang Town Council)の2022~2023年の取り組みとして、地域の紹介や、インフラ、サスティナビリティ、グリーンスペース、クリーン・エネルギー、廃棄物の循環、住民とのパートナーシップ、ワーカーのケア、COVID-19の対策などの観点からタウン・カウンシルの取り組みを紹介するものとなっています。


■注