『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

ニュータウンの歴史を継承するための場所@シンガポールのイーシュン

千里ニュータウンは2000年代以降、急速に再開発が進められています。「千里グッズの会」の活動に参加し、絵葉書の素材とするため千里ニュータウンの写真を撮り続けてきた経験を通して、急速に変化する街をどのように記録できるのか、人工的に作られたニュータウンの歴史をどう継承するのかを考えるようになりました。
こうした問題意識から、各国のニュータウンを訪れるようになり、シンガポールではニュータウンの歴史を継承するための様々な取り組みが行われていることを知りました。

シンガポールでは国民の約8割がHDB(Housing and Development Board:住宅開発庁)が建設する住宅に住んでいます。
HDBは、現在でも街・団地の開発を行っていますが、HDBの歴史や取り組みを紹介するHDBギャラリーの展示では、計画において重視しているポイントとして、①緑(Greenery)、②コミュニティ(Community)、③移動・輸送(Mobility & Transport)、④スマート・サステナブル(Smart & Sustainable)、⑤統合された商業施設(Integrated Commercial Facilities)、⑥ヘリテージ(Heritage)の6つが紹介されています*1)。
HDBギャラリーの展示では、ヘリテージが次のように説明されています。

■ヘリテージ(Heritage)
新しい街や団地の計画・開発において、ヘリテージは個性的なアイデンティティと場所の感覚(Sense of Place)を生み出すための重要な要素となります。可能であれば、記憶に残るランドマークを保存したり、その場所の思い出を取り戻すためにマーカーやストーリーボードを設置したりしています。地域のヘリテージを反映させたテーマのある遊び場も設置されています。
※HDBギャラリーの展示の翻訳。

ここでご紹介するはイーシュン(Yishun)という街。イーシュンは、1970年代半ばからHDBによる開発が始まり*2)⁠、1981年に最初のHDBのプロジェクトが完成した街で*3)、歴史を継承するためにいくつかの場所が作られています。

(イーシュンの街並み)

ヘリテージ・ガーデン@イーシュン(Heritage Garden@Yishun)

  • 場所:HDBイーシュンの934号棟の北(イーシュン・タウンスクエアの東)
  • 完成年:2010年5月*4)

ヘリテージ・ガーデン@イーシュン(Heritage Garden@Yishun)は、リメイキング・アワ・ハートランド(Remaking Our Heartland:ROH)によって、2010年5月に、シンガポール初の屋外のヘリテージ・コーナーとしてオープンしました*5)。
リメイキング・アワ・ハートランド(ROH)は、2007年のナショナル・デー(建国記念日)の集会で、リー・シェンロン首相が発表したもので、既存のHDBの街・団地を更新し、さらに発展させるための包括的な再生計画(comprehensive rejuvenation blueprint)。イーシュンは、プンゴル(Punggol)、ドーソン(Dawson)と共に2007年にリメイキング・アワ・ハートランド1(ROH1)に指定されました*6)。

ヘリテージ・ガーデン@イーシュンは、HDBイーシュンの934号棟と芝生の広場に挟まれた長方形の庭園。イーシュンと、イーシュンの北に隣接し、同じくHDBによって開発されてきたセンバワン(Sembawang)の歴史が、約30枚のパネルと、2枚の地図によって紹介されています。

ヘリテージ・ガーデン@イーシュンの入口には、次のように書かれたパネルが設置されています。

「沼地や森林から近代的なサテライト・タウン(satellite towns)に至るまで、イーシュンやセンバワンには豊かな物語があります。現在、高層ビルが並ぶ団地がニュータウン(new town)を形成していますが、かつては先住民の遊牧民が川を歩き回り、虎が森を闊歩していたとは想像もできません。

イーシュンとセンバワンの歴史は15世紀にまで遡ります。わからないことが多いものの、記録され、受け継がれてきた物語はエキサイティングで、カラフルです。例えば、19世紀初頭には、ガンビール(gambier)や胡椒のプランテーションを作るために川を下ってきた初期の起業家たちが、厳しい条件や危険を冒して生計を立てていました。1800年代半ばにヨーロッパからやってきた最初の調査員や旅行者たちは、この地の巨大な木々や野生動物の印象を記録しています。年月が経過し、ガンビールや胡椒のプランテーションは、20世紀に入る頃にはゴムやパイナップルのプランテーションへと姿を変えました。農場や果樹園とともに、点在するカンポン(Kampungs)と呼ばれる農村が、風景を作り出していました。1970年代には近代的な開発が進み、新たなサテライト・タウン(new satellite towns)が姿を現しました。」
※ヘリテージ・ガーデン@イーシュンの展示パネル「HERITAGE GARDEN @ YISHUN」の一部を翻訳。

展示されているパネルのタイトルは、入口からおおよそ次のような順番になっています

  • 19世紀半ば:森林、野生生物、川の世界(THE MID-19the CENTURY : OF FORESTS, WILDLIFE AND RIVERS)※円形のテーブル上に展示
  • 名前の意味(What’s in a Name?)
  • 生命の水路(Waterways of Life)
  • セレターの遊牧民(The Nomads of Seletar)
  • マングローブと森で生きる(Living off the Mangroves and Forests)
  • 偶然の発見(An Accidental Discovery)
  • トラが潜み、危険が待ち受ける場所(Where Tigers Lurked and Dangers Awaited)
  • BangsalとKangkar(Of Bangsal and Kangkar)
  • 1つの時代の終わり(The End of an Era)
  • 20世紀半ば:開発が始まる(THE MID-20th CENTURY : DEVELOPMENT TAKING OFF!)※円形のテーブル上に展示
  • 新たな産業の幕開け/狂ったリドレー(The Dawn of a New Industry / Mad Ridley)
  • ゴム王とパイナップル王の登場(Enter the Rubber and Pineapple King)
  • 1日の仕事(All in a Day’s Work)
  • ゴム栽培の遺産(The Legacy of Rubber Planting)
  • 東部のイギリス軍の基地(Britain’s Military Base in the East)
  • 東洋のジブラルタル(The Gibraltar of the East)
  • シンガポールの侵略(Invasion of Singapore!)
  • 日本統治下(1942~1945年)(Under Japanese Rule (1942-1945))
  • もはや「セレター」でない(No Longer ‘Seletar’)
  • 多様性:中国人とマレー人のコミュニティ(A Colourful Diversity: Chinese and Malay Communities)
  • の多様性:ヨーロッパ人とインド人のコミュニティ(A Colourful Diversity: European and Indian Communities)
  • 農村の暮らし(The Rural Life)
  • 農村から郊外へ(From Rural to Suburban)
  • 計画と設計(Of Planning and Design)
  • 新たなアイデンティティ(New Identities)
  • 仕事と遊び(To Work and Play)
  • 今すぐ乗れる(It’s Just a Ride Now!)
  • 移動薬局から病院へ(From Mobile Dispensaries to Hospital)
  • 目に見えないもの(More Than Meets the Eye)

パネルからは、ヘリテージ・ガーデン@イーシュンでは、HDBによって大規模に開発される前の歴史から、HDBによって開発された後の歴史までが対象になっていることがわかります。ニュータウンは何もない土地に作られたわけでないこと、ニュータウンは様々な考えによって作られたことが歴史として継承することが目指されていると言えそうです。

ヘリテージ・ガーデン@イーシュンでは、ニュータウン開発について次のように紹介されています。

「イーシュンは1976年、センバワンは1995年に建設が始まった。

シンガポールのサテライト・タウンの起源は1950年代まで遡ることができます。クイーンズタウン(Queenstown)がその先駆けです。サテライト・タウンは自己充足(self-sufficient)として設計されており、住民のニーズを満たすために必要な施設や設備が整っています。

センバワンとイーシュンのニュータウンは近隣住区(neighbourhoods)に分かれています。近隣住区内には、近隣センター(neighbourhood centres)と、学校、コミュニティセンター、レクリエーションエリアなどの施設があります。スポーツ施設(sports complex)、オープンスペース、図書館、ポリクリニックなどの主要施設は、複数の近隣地区で共有されています。

イーシュンの設計と計画は、トア・パヨ(Toa Payoh)やアン・モ・キオ(Ang Mo Kio)といった初期のサテライト・タウンから学んだものになっています。イーシュンでは、独自のアイデンティティと個性を持たせるために、多くの工夫がなされています。例えば、設計においては、土地のヘリテージ(歴史)や自然の特徴が考慮されました。かつて、この地域にはさまざまな種類の農場がありました。魚やエビを養殖するための人工池(man-made ponds)もありました。イーシュン池(Yishun Pond)と近くの庭園は、過去の農業の記憶を呼び起こすように設計されています。

一方、センバワンの設計は植民地時代のヘリテージ(歴史)からインスピレーションを得たものです。センバワンに見られる英国風の白と黒バのンガローの多くには、アーチや部分的なレンガ造りの壁という特徴があり、これらはセンバワンの近代的な住棟を設計するためにも用いられています。」
※ヘリテージ・ガーデン@イーシュンの展示パネル「Of Planning and Design」の一部を翻訳。

「1980年、Nee Soon(ニー・スーン)として知られていた街が、正式にYishun(イーシュン)であると宣言されました。いずれも、「Lim Nee Soon」の名前の異なる発音です。Nee Soonは潮州語(Teochew)の発音で、Yishunはマンダリンの発音です。この変化は、1989年に、シンガポールの中国人に他の中国語の方言の代わりにマンダリンを使うように呼びかけた「スピーク・マンダリン・キャンペーン」として行われたものです。

1980年代後半まで、チョン・パン(Chong Pang)という名前は、現在のセンバワン・ニュータウン(Sembawang New Town)内にある村を指していました。1989年、チョン・パンの住民は移住。過去とのつながりとして、1984年に建設されたイーシュン・ニュータウン(Yishun New Town)の最初の近隣センターは、1990年代半ばに、チョンパン・シティ(Chong Pang City)と名付けられました。現在、多くの住民はイーシュン・アベニュー5沿いにあるチョン・パン・シティとその周辺を、チョン・パンと呼んでいます。」
※ヘリテージ・ガーデン@イーシュンの展示パネル「New Identities」の一部を翻訳。

「近隣センター(neighbourhood centres)はビジネスチャンスも作り出していました。例えば、イーシュンの最初の近隣センター(neighbourhood centre)であるチョン・パン・シティ(Chong Pang City)の店舗のほとんどは、ニー・スーン(Nee Soon)やセンバワンの元住民が経営していました。」
※ヘリテージ・ガーデン@イーシュンの展示パネル「To Work and Play」の一部を翻訳。

イーシュン池は、かつて養殖のための人工池だったとのこと。千里ニュータウンでも、農業用の溜池が公園内の歴史にされています。池がニュータウン開発前の歴史を伝える場所になっているという点で共通しており興味深いです。

(イーシュン池)

チェー・ケイ村ヘリテージ・ガーデン(Chye Kay Village Heritage Garden)

  • 場所:HDBイーシュンの264号棟と293号棟の間
  • 完成年:2022年1月*7)

チェー・ケイ村ヘリテージ・ガーデン(Chye Kay Village Heritage Garden)は、HDBイーシュンの264号棟と293号棟の間の細長い空間にもうけられています。

チェー・ケイ村は、イーシュンの開発前にこの土地にあった村。チェー・ケイ村ヘリテージ・ガーデンの入口脇のパネルには、英語、中国語、マレー語、タミール語の4つの公用語で次のように書かれています。

「チェー・ケイ村の歴史は20世紀にまで遡ることができます。村は、300世帯が暮らす典型的な中国の農村でした。当初はガンビールを植えていましたが、やがてゴムの木に移行していきました。1970年代には、熱帯魚の飼育に力を入れ、シンガポールでも有数の熱帯水族館の魚の産地という農業の中心地となりました。1978年、チェー・ケイ村は都市開発のために取り壊され、現在のイーシュン・タウン(Yishun Town)となりました。」
※チェー・ケイ村ヘリテージ・ガーデンの展示の翻訳。

庭園内には、チェー・ケイ村の歴史を伝える10枚のパネルが設置。それぞれのパネルでは、歴史を伝える場所が、イラストや昔の写真とともに説明されています。10枚のパネルの内容は以下の通りです。

  • プロビジョン・ショップ(Provision Shop)
  • 熱帯魚養殖の村(Tropical Fish Farming Village)
  • ゴムのプランテーション(Rubber Plantation)
  • 公共施設(Public Facilities)
  • コミュニティー・センター(Community Centres)
  • 100周年の寺院(Centennial Temple)
  • 農業の村(Farming Village)
  • リー・チェン・スクール(Lee Cheng School)
  • オーラン・セレター(Orang Seletar)
  • 村の住宅(Kampong Houses)

庭園の入口脇には大きな地図が展示。地図は、庭園内のパネルで紹介されている歴史を伝える場所の位置が、現在のイーシュンの地図の上に重ねて描かれたもの。ニュータウンが、まっさらな土地の上に開発されたのでなく、歴史のある土地に開発されたことを伝える興味深い地図だと感じました。

チェー・ケイ村ヘリテージ・コーナー(Chye Kay Village Heritage Corner)

  • 場所:HDBイーシュン243号棟、1階のヴォイド・デッキ
  • 完成年:2022年*8)

HDBイーシュン243号棟の1階のヴォイド・デッキにあるチェー・ケイ村ヘリテージ・コーナーChye Kay Village Heritage Corner)も、チェー・ケイ村の歴史を伝えるために作られた場所です。

チェー・ケイ村ヘリテージ・コーナーは、ライブリー・プレイス・プログラムとして作られた場所。ヴォイドデッキをチェー・ケイ村と、チェー・ケイ村にあったリー・チェン・スクール(Lee Cheng School)の思い出を共有するためのヘリテージ・ギャラリーにすることが目的です*9)。

ヴォイド・デッキの壁には、リー・チェン・スクールと、強豪だった学校の卓球チームの写真が掲載されています。

ヴォイド・デッキの柱には、次のようにチェー・ケイ村の歴史が、航空写真、昔の写真、当時の暮らしを描いたイラストなどによって紹介されています。

  • チェー・ケイ村の歴史:オーラン・セレター、パイナップルとゴムの産業、農業・畜産業
  • チェー・ケイ村の世帯の記録:村にあった世帯の位置と名前を記したマップ
  • イギリス空軍が撮影した航空写真:1963年、1969年
  • 村の養殖の池(Village Fish Pond)の写真とイラスト
  • カーティブ・ボンス川(Khatib Bongsu River)の写真とイラスト
  • 村の生活(Village Life)
  • 村の建物(Kampung architecture)
  • リー・テック・スクール(Lee Teck School)・クワン・テック・スクール(Kwang Teck School)の写真
  • リー・チェン・スクール(Lee Cheng School)の1939~1942年、1945~1948年、1948~1978年の3つの時代の位置をマップ上に記したイラスト

ニー・スーン・イースト・ヘリテージ・パーク(Nee Soon East Heritage Park)

  • 場所:HDBイーシュンの397号棟と399号棟の間
  • 完成年:不明

ニー・スーン・イースト・ヘリテージ・パーク(Nee Soon East Heritage Park)は、リメイキング・アワ・ハートランド(Remaking Our Heartland:ROH)によって更新されたHDBイーシュンの397号棟と399号棟の間の細長い空間にもうけられており、フィットネス・コーナー、子どもの遊び場、リラクゼーション・パビリオンによって構成されています*10)。
リラクゼーション・パビリオンには、上部がクローバーのような形をした柱が4本立てられており、それぞれの柱の2面にパネルが設置。パネルは、次のようにニュータウンが開発される前の歴史から、近年の活動の様子までが、地図、写真とともに紹介されています。

  • 19世紀のガンビールと胡椒のプランテーション。その後のゴムのプランテーション。1960年代の熱帯魚の養殖、ランの栽培
  • Nee Soon(ニー・スーン)の地名の由来となった、ゴム王・パイナップル王のLim Nee Soon(リム・ニー・スーン)
  • 近代的な団地(modern estate)が開発される前の中国系とマレー系の村(Chinese villages and Malay kampongs)。1976年の政府によるイーシュン・ニュータウン(Yishun New Town)の開発開始
  • ニー・スーン選挙区の位置と範囲(Nee Soon constituency)
  • ニー・スーン・イースト(Nee Soon East)のコミュニティ・クラブ、カンポン・クラブ(Kampung Club)とも呼ばれているトーストマスターズ・クラブ(Toastmasters Club)、ユース・クラブ
  • ニー・スーン・イースト(Nee Soon East)における2003年のSARSへの対応、その後の市民防衛緊急ハンドブック(Civil Defence Emergency Handbook)
  • ニー・スーン・イースト・ヘリテージ・パークの紹介
  • メイキング・アワ・ハートランド(ROH)による団地の更新

イーシュンにおける歴史を継承するため作られた場所をご紹介しました。
いずれの場所も、短時間滞在しただけであるため、庭園・公園内で過ごしている人は見かけたものの、展示されているパネルをじっくり読んでいる人はいませんでした。また、ヘリテージ・ガーデン@イーシュンは、設置から約15年が経過していることもあり、パネルの一部の文字が読みづらくなっているところもありました。
けれども、ニュータウンは何もない真っさらな土地に作られたわけでないことや、ニュータウンは様々な考えによって作られたことを参照しようと思えば、参照できる資料が、街の中に展示されていることは大切なことだと感じました。

また、イーシュンとセンバワンには、2つの街の歴史にまつわる場所を巡るヘリテージ・トレイル(Heritage Trail)がもうけられていますが、ヘリテージ・ガーデン@イーシュンは、ヘリテージ・トレイルのスタート地点とされるなど*11)、他の取り組みと連携が行われていることも重要なポイントだと感じました。


■注

  • 1)HDBギャラリーの詳細はこちらを参照。
  • 2)ヘリテージ・ガーデン@イーシュンの展示より。
  • 3)HDBギャラリーの展示より。
  • 4)ヘリテージ・ガーデン@イーシュンの展示より。
  • 5)イーシュンとセンバワンのヘリテージ・トレイルの冊子『Yishun Sembawang A Heritage Trail』より。
  • 6)その後、2011年にはイースト・コースト(East Coast)、ホウガン(Hougang)、ジュロン・レイク(Jurong Lake)がROH2、2015年にはトア・パヨ(Toa Payoh)、ウッドランズ(Woodlands)、パシール・リス(Pasir Ris)がROH3、2023年にはアン・モ・キオ(And Mo Kio)、ブキ・メラ(Bukit Merah)、チョア・チュー・カン(Choa Chu Kang)、クイーンズタウン(Queenstow)がROH4に指定されている。HDBの「About the Remaking Our Heartland programme」のページより。
  • 7)Nee Soonの「Chye Kay Village Heritage Garden」のページより。
  • 8)HDBの資料『LIVELY PLACES PROGRAMME GUIDBOOK』2022年より。
  • 9)HDBの資料『LIVELY PLACES PROGRAMME GUIDBOOK』2022年より。
  • 10)ニー・スーン・イースト・ヘリテージ・パークの展示パネルより。
  • 11)イーシュンとセンバワンのヘリテージ・トレイルの冊子『Yishun Sembawang A Heritage Trail』より。