『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

親密な関係を越えるもの@コミュニティ・カフェから考える

田所承己氏の『場所でつながる/場所とつながる』(弘文堂 2017年)を読みました。
「リアルな場所を“媒介”に何らかの社会関係や相互作用が生成される側面」としての「場所でつながる」、「居住者や旅行者が“ある場所との関係”を形成する側面」としての「場所とつながる」の2つの観点からまちづくりについて考察された本。NHKの大河ドラマ観光、アニメ聖地巡礼、リノベーションまちづくり、ショッピングモール、コワーキングスペースなど場所をめぐる様々な事例とともに、コミュニティ・カフェ(まちの居場所)も取り上げられています。
田所氏は、コミュニティ・カフェを「コミュニティ再生」や「相互扶助機能」の観点から捉えるだけでは、その魅力や意義を最大限に捉えることができないという重要な問題提起をされています。以下では田所氏の調査とともに、このことを考えてみたいと思います。


田所氏は、横浜市内のコミュニティ・カフェの利用者を対象とする調査(*2015年4月〜7月にかけて横浜市内の3箇所のコミュニティ・カフェの利用者を対象として実施された質問紙調査。286人から調査票を回収し(回収率は67.0%)、有効回答であった273人の回答が分析対象とされている)を行い、「イベント参加者は全体の42.1%になり、スペース利用者とあわせると54.6%にも上った」ことから、「過半数の利用者が、何らかの形で直接的な会話や交流が生まれる可能性が高い利用の仕方を行っていることが分かった」と述べています。
このように利用されているコミュニティ・カフェにおいて、人々は新たな関係を築いているのか。この点について、一般のイメージとは異なる結果が明らかにされています。

「カフェ・ネットワークを作っている人は、実際には利用者の36%にすぎない。カフェを利用する人のうち、64%の人は誰ともつながりを持っていないのである。・・・・・・。つまり、コミュニティカフェは地域に「コミュニティ」を作り出すことが期待されてはいるが、実際には利用者の3分の2もの人たちは誰かと知り合うという経験すらしていないのである。」
*田所承己『場所でつながる/場所とつながる』弘文堂 2017年

それでは、どのような要因によりコミュニティ・カフェで知り合う人数が増えるかについては次の点が明らかにされています。

  • 「スタッフはその他の人より、知り合う人数が多い」
  • 「参加するイベントの種類が増えると、・・・・・・知り合う人数が増える」
  • 「コミュニティカフェの利用期間が長くなっても、利用頻度が増えても」知り合う人数は増えない

「コミュニティカフェは一般的に期待されているほど、コミュニティづくりの“きっかけ”に結びついているとはいえないようである」。田所氏はこのようにまとめた上で、「それでは、なぜ人びとはコミュニティカフェに集まるのであろうか。なぜ、誰かとつながるわけでもないのに、パブリックな場所を訪れるのであろう」という考察が進められます。

田所氏が行ったのは、利用者によるコミュニティ・カフェの意味づけを見出すこと。上にあげた2015年調査の結果から、コミュニティ・カフェは次の5つの意味づけがなされていることが明らかにされました。

①開放的コミュニティ
「「信頼感ができている」、「安心感がある」、「この場のつながりは一時的なものではない」など、いわゆるコミュニティ的な場所として受けとめる傾向がみられる。ただし、同時に「誰もが対等に振る舞える場所」、「初めて会う人同士でも気軽におしゃべりできる場所」など、古いタイプの共同体とは異なる開放的な性格をもつ場として意味づけられているのが特徴である。」

②サードプレイス
「「普段の役割や肩書きから解散される」、「自分の居場所のように感じられる」といったように、職場や家庭などとは異なる居心地のよい居場所」

③パブリックスペース
「「ここは目的がなくても気軽に訪れることができる」、「どんな人でも受け入れてくれる場である」といったように、誰に対しても開放されている、いってみれば公園や広場、あるいは喫茶店やカフェのような」場所

④協働的コワーキングスペース
「仕事や自己実現において刺激を受ける場というような意味づけである。たとえば「他者との接触によってアイディアが生まれる場所」、「新しい協働やコラボレーションが生まれる場所」、あるいは「自己実現に向けて刺激を受ける場所」など、何らかの活動を推進していく上での“インキュベーター”的な意味合いを見出す傾向が見られる。同時に「人に必要とされているという実感を得られる」、「つながりを感じることができる」といった協働的な紐帯の意識もそこには生まれている。」

⑤別世界との接触空間
「いまの自分にはまだない能力や情報、あるいはそうしたものをもたらしてくれる多様性を含む別世界へとつないでくれる空間といった意味づけである。具体的には、「ふだん出会えないような多様な人びとに出会える場」、「多様な考え方や価値観に出会える場」、「アイディア、機会、人脈をシェア(共有)することができる場」、「自己実現のために必要な情報や人脈、スキルを得ることができる場」といった場所の受けとめ方である。」
*田所承己『場所でつながる/場所とつながる』弘文堂 2017年

コミュニティ・カフェの一般的なイメージは「開放的コミュニティ」、「サードプレイス」、「パブリックスペース」だが、これらの枠組みには収まりきらない「協働的コワーキングスペース」、「別世界との接触空間」という意味づけもされている。

田所氏は、現在社会においてはこれら2つの意味も重要ではないかと述べています。

「モビリティが高まりつつある現代社会では、こうした「場所」の特性は注目される。というのも、地理的な移動が増え、メディアを介した創造的な移動や距離を隔てたコミュニケーションが支配的になるなかで、実際には「予想もしないような出会い」や「多様性や流動性に基づく情報交換」といったものが生じにくくなっているからである。つまり、“ノイズ”が生じにくい情報環境が広がるなかで、「場所」こそが、そうした“セレンディピティ”をもたらす数少ないチャンスになりつつあるのだ。」
*田所承己『場所でつながる/場所とつながる』弘文堂 2017年

コミュニティ・カフェはこうした「場所」になれる可能性がある。そのためには「多様性」や「流動性」をもたらす関係、つまり、閉じたものになりがちな親密な関係ではなく、「新しい世界に“挑戦”したり、異なる価値観に触れたりする機会」をもたらす「中間的な関係」が求められる。「中間的な関係」とは親密な関係に移行する過渡期的な状態ではない、親密な関係だけに意味があるわけではない、ということです。このことはコミュニティ・カフェを「コミュニティ再生」や「相互扶助機能」の側面から捉えていては埋もれてしまいがちな視点です。


仲間、絆、コミュニティ、つながり・・・  これらは確かに重要ですが、これらの言葉がもつイメージに縛られてしまっては、コミュニティ・カフェの可能性を見落としてしまう。
コミュニティ・カフェを、仲間同士で運営している場所として捉えるのではなく、仲間ではない人々も居合わせたり、立ち寄ったりする「多様性」や「流動性」の上にバランスを取りながら成立している場所として捉えること。あるいは、仲間にならなくてもそこに居てもいいんだと捉えること。これは、コミュニティ・カフェの内部にいる人々をも救うことになると感じます。
田所氏が対象としているのは都市部のコミュニティ・カフェであり、地域差があるかもしれませんが、それでもコミュニティ・カフェを「コミュニティ再生」や「相互扶助機能」の役割に押し込まないという主張からは、色々なことを気付かされます。

ただし、これをふまえた上で、そうは言ってもコミュニティ・カフェには核となる「内部」の人々が必要だという視点は忘れてはならないと考えています。
劇作家の平田オリザ氏による、「道路や広場といったパブリックな空間」では「人々はその場所を通り過ぎるだけだから、会話自体が成り立ちにくくなる」、「例えば家族というような核になる一群がそこにいて、そのいわば「内部」の人々に対して、「外部」の人々が出入り自由であるということが前提になる」ような「セミパブリックな空間」でこそ人々の対話は生まれやすい(*平田オリザ『演劇入門』講談社現代新書 1998年)という指摘に関わってくることです。多様な人々が同じ立場で関わるだけでは、コミュニティ・カフェを成立させるための核は生まれない。それは結果として、「中間的な関係」も生み出さないという視点は重要です。
閉じてしまわない「内部」、通り過ぎるだけでない「外部」というのは一見矛盾しているように思えますが、コミュニティ・カフェは「内部」の人々と「外部」の人々とのバランスの上に成立している

あるコミュニティ・カフェ(まちの居場所)を実践されている方が「矩を越えない距離感」が重要だと話されていました。コミュニティ・カフェ(まちの居場所)というのは、他者を親密さの次元だけで評価しないことを学ぶ場所なのかもしれません。