『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』(水曜社, 2021年)のご案内

コミュニティ政策学会のエクスカーション@千里ニュータウン新千里東町

2017年7月2日(日)、コミュニティ政策学会のプログラムの一環として、新千里東町を巡るエクスカーションが行われました。
コミュニティ政策学会の分科会「ニュータウンから探る、まちの担い手が育つコミュニティ」にあわせて行われたもので、ディスカバー千里(千里ニュータウン研究・情報センター)のメンバーがコースの検討、当日の案内人をつとめました。コースは千里ニュータウンの街の仕組み、集合住宅の建替え、地域活動の様子などを巡るというもの。当日はほぼ定員の30人が参加され、10人ずつ3グループに分かれて新千里東町を歩きました。

千里文化センター・コラボ

エクスカーションは15:00に開始。千里文化センター・コラボ2階の「コラボ交流カフェ」前に集合。今日のエクスカーションのコースの全般的な説明を行いました。
15:10頃、千里文化センター・コラボを出発。「せんちゅうパル」北広場を横切り、ライフサイエンスセンター前を通り抜け、長谷北橋を渡ります。

千里東町公園

千里東町公園の竹林を見ながら、もみじ橋通りを進み、パーゴラ付近で集合。千里東町公園はニュータウン開発前の千里丘陵の地形と、雑木林、竹林、ため池をいかした公園であり、日本でランドスケープの考えた導入された公園計画としては先駆的な場所であること、千里ニュータウンでは近隣住区論に基づき「幼児公園・プレイロット/児童公園/近隣公園/地区公園」という体系的な公園の配置計画が行われていることを説明しました。

桜ヶ丘メゾンシティ

桜ヶ丘メゾンシティ前、子どもたちが「赤ポス」と呼ぶポスト前に集合。ここで、新千里東町の集合住宅の建替えの事例である桜ヶ丘メゾンシティの説明を行いました。府公社の分譲住宅であった桜ヶ丘の集合住宅は、1996年に建替えが決議されました。しかし、建替えに反対する人が決議無効を提訴することで裁判が起こされ、2001年、最高裁判所で決議無効の提訴が棄却。これにより、2005年に桜ヶ丘メゾンシティが竣工することになります。
この裁判をきっかけに区分所有法が改正され、以前は所有者の全員が同意しなければ建替えが決議されなかったのが、所有者の4/5の同意で決議できるように変更されました。この意味で桜ヶ丘メゾンシティは集合住宅の建替えの歴史において、区切りとなる事例です。
なお、近年建替えられた集合住宅(分譲マンション)は敷地内に居住者以外が出入りできないゲーティッド・コミュニティ型のものが多いですが、桜ヶ丘メゾンシティは以前からの居住者の意向により敷地内の通り抜けが教養されています。

第八中学校中庭「八中の中庭を蘇らせよう!プロジェクト」

もみじ橋を渡って近隣センターへ。近隣センターを簡単に紹介した後、北に向かって歩き、15:30頃、東側の門から第八中学校内へ。
中庭では第八中学校の校長先生が、今年の春に行った「八中の中庭を蘇らせよう!プロジェクト」の説明をしていただきました。中庭は長い間「閉鎖された謎の場所」であったが、子どもたちが憩える場所を作ろうと思い再生事業を始めたこと、ディスカバー千里のメンバーにコーディネートを依頼したこと、ベンチのデザインは20人の美術部の生徒が担当したこと、選ばれたデザインは風車をデザインしたもので「風のように人が集まれる場所にしたい」という思いがこめられていること。校長先生は以上のような話をしていただきました。校長先生に紹介していただいた後、渡り廊下にのぼって中庭の様子を見せていただきました。

動物型の車止め

新千里東町には動物型の車止めが2つあります。15:50頃、第八中学校を出た後、もくせい公園とアソカ幼稚園の間の歩道を歩いて動物型の車止めがある場所へ。
ここでは、新千里北町には50以上の動物型・幾何学型の車止めがあること、ディスカバー千里では継続して車止め調査を行っていることを説明しました。

府営新千里東住宅の中庭

現在、府営新千里東住宅では敷地を集約して高層化し、余剰地を民間に分譲する建替えが進められています。
府営新千里東住宅は2つの囲みを作るように配置されており、現在でも南側の囲みの一部が残されています。エクスカーションでは新千里東住宅の残された中庭を訪問し、かつて、中庭は子どもの遊び場であり、ママさんバレーのためのコートがあったことを紹介しました。また、府営住宅は入居当初は各住戸に風呂場がありませんでしたが、風呂場と1部屋が中庭に増築されたことも説明しました。

建替え後の府営新千里東住宅

次に既に建替えが終わった府営新千里東住宅の住棟、及び、集会所を見ていただきました。府営新千里東住宅の住棟は、かつては階段室型だったのが、高層化して片廊下型になっていることも紹介しました。また、集会所は日常的に出入りできる場所でないため、近隣センターで運営している「ひがしまち街角広場」が日常的に出入り自由な場所として運営していることに意味があることも説明しました。

「あいあい食堂」

16:10頃、新千里東町の近隣センターへ。2015年9月から近隣センターには大阪府社会福祉事業団「豊寿荘」が運営する「あいあい食堂」が運営されています。軽食が提供されている他、健康体操、脳トレなどのプログラムも行われており、高齢者を中心とする地域の人々が立ち寄れる、集まれる場所となっています。
ここでは「豊寿荘」の副施設長の方が「あいあい食堂」について紹介いただきました。「あいあい食堂」が目指しているのは、「施設に来てもらうのではなく、施設側が地域に出て、持っているノウハウを提供することで地域貢献すること」だという説明。また、「あいあい食堂」を訪れた時、表で七夕の飾りを飾っていた方は住民ボランティアであり、「住民主体型の地域貢献」も目指しているという説明がありました。

「ひがしまち街角広場」

ひがしまち街角広場」は空き店舗を活用して2001年9月30日にオープンしたコミュニティ・カフェで、半年間の豊中市の社会実験の後は、補助金を受けず、住民ボランティアの手によって運営が継続されてきました。「ひがしまち街角広場」が運営しているのは月〜土曜ですが、雰囲気を見ていただこうとエクスカーションにあわせて「ウクレレ教室」を開催してくださったようです。
「ひがしまち街角広場」では、スタッフと立ち寄った人が店員とお客さんに二分されるのを防ぐために、住民ボランティアで運営していること、そのため、スタッフと立ち寄った人は住民という同じ立場で関われること、人が来なくなるのは「ひがしまち街角広場」が地域で必要とされていないことだから、補助金で補填してまで運営を継続しないでおこうと考えて運営を始めたこと、集会所と違って毎日開いている場所であること、学校帰りに子どもたちが水を飲みにたちより、世代を越えた関わりが生まれていることなどの説明を行いました。
新千里東町の近隣センターは、現在、建替えの計画が進められています。新しく建設される地区会館(集会所)に移転することが1つの可能性として考えられますが、地区会館で運営するとすれば、現在のようにコーヒーなどの飲物をお金をとって提供できなくなる可能性がある、「ひがしまち街角広場」だけで空間を使えないため、毎日開いている場所でなくなるなど、「ひがしまち街角広場」の運営のあり方の見直しが迫られることも説明しました。

UR新千里東町団地

近隣センターを出発した後、東丘小学校前を通り、あかしや橋を渡って、UR新千里東町団地へと向かいました。
UR新千里東町団地は、当時の「人間融和」の考え方を具現化するために住棟が中庭を作るように配置されています。公団住宅が「囲み型配置」を採用したのはUR新千里東町団地が初めてです。ただし、先に訪れた府営新千里東住宅の「ロの字型」の中庭とは異なり、「コの字型」「L字型」を組み合わせた緩やかな住棟配置となっており、これによって中庭の開放感や中庭同士の連続性が確保されています。また、住棟の階段室へは両側からアクセスできるような工夫もされています。UR新千里東町団地の中庭には子どものための遊び場があり、遊び場に面した壁には動物、ロケットなどの壁画が描かれています。
また、高層の住棟も中庭を作るように配置されており、足元はプロティになっていることも見ていただきました。

こぼれび通り

UR新千里東町団地を通りぬけ、こびれび通りへ。千里ニュータウンの後期に開発された住区では、歩行者が自動車と出会うことなく住区内を巡れるために歩行者専用道路がもうけられました。こぼれび通りはこの歩行者専用道路の1つで、現在は豊中市の「アダプト・ロード」として住民による清掃、管理が行われています。
ここでは、千里ニュータウンの歩行者専用道路の考え方が後に開発されたニュータウンにも継承されており、泉北ニュータウンでは緑道、港北ニュータウンではグリーン・マトリックスと呼ばれる道路になったこと、その意味でこの場所はニュータウンの歩道のモデルになった場所であることを説明しました。

千里東町公園

こぼれび通りを千里中央の方向に向かって歩いていきます。こぼれび広場では、今年の春、「ひがしまち街角広場」の主催、「千里竹の会」、「ディスカバー千里」、「東丘ダディーズクラブ」という地域団体の協力により竹林清掃を行ったこと、公園の竹林は「千里竹の会」のメンバーが管理していること、公園内の長谷池は、ニュータウン開発前の農業用のため池だったことなどを説明しました。
この後、千里セルシーを通り抜け、17:00頃、千里文化センター・コラボに戻りました。