2021年11月28日(日)、「新千里東町団地ものがたり展」解説と懇談会を開催しました。UR新千里東町団地では、千里グリーンヒルズ東町への建て替えが進められています。2020年11月には新千里東町団地の高層住棟と集会所棟を再整備した千里グリーンヒルズ東町の101・102・103号棟が完成しました。そして、現在、新千里東町団地の残り3棟の高層住棟の再整備が進められています。
入居から半世紀の歴史のあるUR新千里東町団地には、様々な物語があります。ディスカバー千里(千里ニュータウン研究・情報センター)は「街かどデイハウス千里」、近畿大学建築学部鈴木毅研究室との共催で、「新千里東町団地ものがたり展」を開催しました(※展示は2021年7月中旬~7月31日に開催。解説と懇談会は2021年8月に予定していましたが、新型コロナウイルス感染症のため延期しての開催となりました)。
この日の解説と懇談会は、住民の方とともに新千里東町団地の歴史を振り返るために企画したもので、30人以上の参加がありました
(解説と懇談会の様子)
ディスカバー千里のメンバーから、新千里東町団地の歴史を紹介しました。
目次
①ニュータウン建設前
②新千里東町の建設
③公団新千里東町団地の誕生
④万博外国人村から公団団地へ
⑤公団・UR新千里東町団地の暮らし
千里ニュータウンは、千里丘陵を切り拓いて建設されました。ただし、千里丘陵は無人の土地だったわけでなく、人々の暮らしがあった土地。例えば、新千里東町団地の近くにある長谷池(東町公園内)は、かつての農業用の溜池であり、長谷池の周囲は今でも千里丘陵の面影が残されています。また、新千里東町団地の敷地は、かつて勝尾寺街道が南北に通っています。
(東町公園の長谷池)
新千里東町の特徴として、歩行者専用道路(ペデストリアン)が住区内の主要な施設(近隣センター、医療センター、小中学校、幼稚園、保育所など)と公園を結んでおり、これによって自動車にあわずに歩いて移動することができます。歩行者専用道路による歩車分離という考え方は、欧米の計画住宅地で導入されていたもの。これを導入した新千里東町の歩行者専用道路「こぼれび通り」は、後に日本全国のニュータウンや計画住宅地の緑道のモデルになりました。
大阪府が新千里東町の開発にあたって1964年(昭和39年)に作成した新千里東町の住区基本計画設計説明書概要書には次のような記述が見られ、「理想的住区」を実現しようとする意気込みが感じられます。
「J住区は、この副都心に隣る住区として、理想的住区として計画された。即ち、欧米諸新都市で考えられているぺデストリアンと、自動車道路の徹底的分離を実現した。高密度高層・中層住宅群を数グループに分けて配置して、各グループはペデストリアン道路によって、幼稚園、小学校等の公共施設に便利に安全に結ばれ、且つ美しい庭園の中を通るように考えられている。」
※J住区とは開発時に使われていた新千里東町の名称(工区名称)
(こびれび通り)
新千里東町団地は、こぼれび通りの南側に位置しています。この団地の中層住棟は、1970年の大阪万博の外国人従業員の宿舎として利用されていました。この時、新千里東町は国際的な町で、子どもたちは外国人従業員からパビリオンのバッジをもらったという出来事もあったようです。
万博終了後、中層住宅が公団の団地となりました。入居者は抽選で選ばれましたが、倍率が非常に高く、20回も外れてやっと当選したという人もいたようです。外国人従業員の宿舎とするため、中層住棟の住戸内にはシャワーが設置されていました。風呂場がない住戸があった当時としては非常に先進的で、入居した人はシャワーがとても嬉しかったという思い出も聞きました。
--万博が終わってすぐの頃に入居されたんですね。
Aさん:2~3ヵ月たってから。
Aさん:万博が9月に終わって。
Bさん:万博の時は外国人の住居やったわけでしょ。万博が終わって外国人が出て行って、その後日本人が住めるようにちょっと改装して。
--そのころはやっぱり抽選ですか?
Bさん:抽選です。ものすごく厳しかったですよ。
Aさん:20回外れて、やっと入れたという人もいました。
Bさん:そうそう。
Aさん:だって、シャワーがあると言って、ものすごく喜んで。当時、シャワーがない、お風呂もあんまりない時に、外国人の宿舎だったのでお風呂に固定ですけどシャワーがついてて。それまで、私たちはシャワーの生活なんて知らんかったからね。
Bさん:そうですよ、第一、シャワーがある家なんか、
Aさん:40年代にシャワーはないのよ。
※ディスカバー千里が2011年10月11日、2012年1月10日に行ったインタビューより
新千里東町団地は、住棟配置という点でも先進的な団地でした。当時、公団の団地では日照を確保するため、板状(かまぼこ板状)の住棟を南側に向けて配置する「平行配置」ことが一般的でした。
これに対して、新千里東町団地では中庭を作るように住棟を配置する「囲み型配置」が試みられました*1)。具体的には、「コ」の字型、「L」字型に配置した住棟を連続させることで、緩やかに囲まれた中庭を作るという方法です。当時、公団は「人間融和」(今でいうコミュニティ)をテーマとしており、「囲み型配置」にはこれを実現しようとする思いが込められています。
(中層住棟による中庭)
解説と懇談会では、新千里東町団地の中庭について、次のような多くの思い出を伺いました。
「私たち子どもを幼稚園に送り出したらね、〔子どもが〕帰ってくる時、「まだ、おかあちゃんら話してたん?」って言われるぐらい、本当に喋ってました。割と、みんな家にいる者が多かったものですからね。子どもを幼稚園に送り出して、何人か集まってきたら、喋り出したら。子どもが帰ってくるまで喋ってることもあった。」
「囲み型の話を聞いて思い出してたんですけども、真ん中〔中庭〕に児童公園がありますよね。私は子育てしてるのに、本当に安心して、親が行かなくても、みんなが周りから子どもたち見てくれてる。そしたら、もう子どもたちがわぁ〜っと夕方集まってね、リレーが始まったりね、本当に子どもたちが遊んでる様子が周りから全部見える。ご飯なったら、「ご飯よ」って言ったら、みんながばぁ〜っとこう家に帰って行くというようなね、そんな風景を思い出してたんですけど。囲み型の効果が出てたんだなっていうのは感じました。」
「私も東京からこちらの方へ来ましたけど、東京の〔東京で住んでいた〕団地っていうのは、先ほど言われた南向いてる、将棋の駒を立てたような団地やったもんですから、こちらへ来た時、非常に庭があったもんですから、すごく珍しい団地だなぁと思って。よくよく聞いたらば、万博の宿舎の跡だったということで、「あぁなるほど、それだったらこういう住宅形式やな」と。それで、中庭が広いことには感心しました。緑が多いことですね。」
「ある程度時間が経って、隣近所の心が溶け合ってきた時には、昔の縁台の将棋じゃありませんけれども、「ビールぐらいは」っていうあれがありました。やはり住宅のルールで、うるさいとかそういう苦情もありましてね、だんだんなくなって、少なくなってきました。」
「囲み型配置」により住棟で中庭を作るだけで「人間融和」(コミュニティ)は実現できないかもしれませんが、このような思い出からは、「囲み型配置」の団地では「平行配置」の団地とは違う暮らしが確かにあったことが伺えます。
子どもの遊び場所として、新千里東町にはお椀型の滑り台がありました。その形状から、子どもたちからは「アリジゴグ」と呼ばれていた場所。ローラースケートが流行った時期にはローラースケートで滑り台をぐるぐる走る子どもがいたようです。大きな子どもたちの中には、自転車で走る子どももいたとのこと(当時、子どもたちの間ではこれができると一人前だと認識されていた)。これは危険だということで、最初は「アリジゴグ」に手摺りが設置され、その後、埋め立てられました。
「公団の団地には、集会所前にすり鉢型の遊び場があって、小さな子どもはローラースケートをしに行ったんですね。すり鉢の中をローラースケートで走るわけです。それが危険だということになったんでしょうね、今は埋め立てられてしまいました。そして、大きくなったら自転車でそこを走っていたようです。男の勲章、「自転車で走られへんかったら男やないで」とか言って。」
※2014年3月2日に開催の「三世代で語る千里ニュータウン」より
(アリジゴグ跡の広場)
解説と懇談会の最後に、これからの新千里東町団地/千里グリーンヒルズ東町のことを伺いました。
住民の方からは、住戸が狭くて子育てがしにくい、田舎にいる高齢の親を呼び寄せることができないという理由で他に引っ越した人がおり、これからの時代、もう少し多様なタイプの住戸が必要ではないかという意見が出されました。
「1DKから3DKまでしかないんですね。・・・・・・、この狭いとこで一緒に育てられないということで、残念ながら住宅双六じゃないけども、家買って出て行った。ここが好きでずっといたいんだけども、住宅事情がそれを許さずに出て行ったっていう人たちがたくさんいてる、友だちの中にも。それからもう1つ残念だったのは、高齢化社会迎えて、入ってる人が、親の介護をしたい、田舎にほっとかれへんから呼びたいと思っても、ここに一緒に住めない。親を引き取って、自分がみたいなと思っても、それができなかったために、やむなくマンション買って出て行った。住みたいけども、子育てなり、親の介護のためにここを離れていったことをたくさん見てます。」
「新千里東町団地ものがたり展」のために近畿大学建築学部鈴木毅研究室が作成した新千里東町団地の「大きな本」は、千里グリーンヒルズ東町の集会所に保管しており、今後も定期的に行われている茶話会などで見ていただけるようにしています。ぜひ、「大きな本」をご覧いただき、新千里東町団地の歴史を振り返っていただければと思います。
(大きな本)
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